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2019.09.24

落語のオチって何?「サゲ」「マクラ」など専門用語を初心者向けに解説!

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落語を知っている人と寄席に行ったり専門家や噺家が書いた解説本を読んだりすると、「サゲが○○の流れ」や「あのマクラの型は○○師匠の型かな」という初心者にはよくわからない言葉を見聞きします。

落語には、独特の符牒(ふちょう・専門用語)や決まりがあります。この落語の専門用語や決まりを知ることで、もっと落語を面白く読み解くことができ、伝統芸能の深さを知ることができるでしょう。

今回は、知ればもっと楽しい落語の基本のキ、「サゲ」「マクラ」についてのお話です。

落語の定義とは? 話す落語・読む講談・語る浪曲

落語とは、落ちのある滑稽噺(落とし噺)のことをいいます。話芸の一種として江戸時代中期から始まり、鹿野武左衛門(しかのぶざえもん)の流罪により一旦廃れましたが、立川焉馬(たてかわえんば 烏亭焉馬・うていえんば とも)や三笑亭可楽(さんしょうていからく)により復活しました。

落語には、笑いを目的とした滑稽噺の他にも、長講の人情噺(にんじょうばなし)、怪談噺(かいだんばなし)、芝居噺(しばいばなし)があります。江戸時代の寄席では、滑稽噺は「落咄(おとしばなし)」、人情噺などの長講は「昔咄(むかしばなし)」としていました。しかし明治に入り、これらをまとめて「落語(らくご)」と呼ぶようになりました。

また、鳴り物や効果音が入らない落語は「素噺(すばなし)」といわれ、芝居噺とは区別されています。

落語、講談、浪曲の違い

所蔵:東京都立図書館「粋興奇人伝」より 幕末の寄席の様子

日本の三大伝統話芸は、落語、講談、浪曲です。それぞれ、落語は「話す」、講談は「読む」、浪曲は「語る」芸だと言われています。それぞれの違いをみてみましょう。

講談は張り扇(はりおうぎ)で釈台(しゃくだい)を叩いて拍子を取りながら読み、浪曲は三味線の伴奏に節と語りで物語を進めるという、両者とも「音」と共に話を進める芸能です。しかし、落語は扇子と手ぬぐいを小物に見立て、基本的に登場人物の「会話」を中心に語られます。

つまり、落語では「ご隠居、居るかい」「やあ熊さん、おはいり」と噺家が上下(かみしも)を振りながら噺を進め、講談では張り扇で釈台を叩きながら「ときに元禄十五年十二月十四日(タンタンっ!)、江戸の夜風をふるわせて…」となり、浪曲は三味線に合わせ「旅ゆけば〜駿河の国に茶の香り〜♪」と始まるわけです。

落語には大きく分けて2種類ある!「古典落語」と「新作落語」

古典落語は江戸時代から明治期に作成されたものをいいます。江戸時代初期に書かれた安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)の「醒睡笑」(せいすいしょう)などの笑話集に収められている滑稽噺(こっけいばなし)に、くすぐりを加えるなどしてストーリー性を持たせたものが、現在まで継承されている古典落語です。

新作落語は大正時代から現代までに作られているものをいい、作成した噺家とその弟子しか演じることができません。しかし「動物園」や「新聞記事」などのように、多くの流派や噺家が演じて現代に至っている、古典落語化した新作落語もあります。

古典落語のストーリーは決まっています。つまり、誰が演じても同じ話なのですが、演者や継承元により演じ方やセリフ、登場人物の名前、マクラまでもが違います。これが「芸の継承」の証しであり、違いを楽しめるようになると落語はもっと楽しくなるでしょう。

流派によって違う噺で有名なところでは、吉原太夫と職人の純愛「紺屋高尾」(こうやたかお)と「幾代餅」(いくよもち)があります。両方とも、ストーリーは全く同じです。

多くの流派では、紺屋の職人が吉原の高尾太夫(たゆう)に一目惚れする「紺屋高尾」でかけていますが、古今亭の流派では搗き米屋(つきごめや)の奉公人が吉原の幾代太夫に恋する「幾代餅」でかけます。これを知っていれば、「紺屋高尾」か「幾代餅」かで、演じる噺家がどこの師匠から稽古をつけてもらったのかを推理できるという寸法です。

色々な種類がある?!「サゲ」と呼ばれる落語のオチ

落語といえば、「隣の家に囲いができたってよ」「へえー」のようなダジャレ落ちと考えている人が多いようです。ところがどっこい、落語の落ちは様々。実はダジャレ落ちはほんの一部で、思わず膝を打ちたくなるような型がたくさんあります。

落語では、落ちを「サゲ」といい、落語の終わらせ方を「〜でサゲる」といいます。

サゲの種類は、大きく分けて下記です。

  • 地口落ち…いわゆるダジャレ落ち。「転失気」(てんしき)「錦の袈裟(けさ)」「崇徳院」(すとくいん)など。
  • 考え落ち…聞いてはすぐにわからず、少し考えて可笑しみがわかるもの。「親子酒」「野ざらし」など。
  • トントン落ち…調子よく話を進めて落とすもの。「小言念仏」など。
  • 逆さ落ち…最後で立場が逆転すること。「初天神」(はつてんじん)「一眼国」(いちがんこく)「禁酒番屋」(きんしゅばんや)「たがや」。
  • とたん落ち…話の最後で全体が結びつくもの。「芝浜」(しばはま)「厩(うまや)火事」「紙入れ」が有名。
  • まわり落ち…話がひとまわりするもの。「持参金」「真田小僧」(さなだこぞう)など。
  • 見立て落ち…意表をつく落ち。「もう半分」「試し酒」「まんじゅうこわい」。
  • 仕草落ち…身振りの表現でサゲるもの。

トリ根多しか使えない?「死神」でお馴染み「仕草落ち」

所蔵:東京都立図書館「粋興奇人伝」より 三遊亭圓朝像と略歴が描かれている

サゲの型で特異なものに「仕草落ち」があります。仕草落ちで現代でも演じられているのは、三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)原作の名作「死神」(しにがみ)だけではないでしょうか。

【死神の最後のシーン】
死神をだまして人間の死を操作した主人公。報いとして、本来死ぬはずだった人間の命のろうそくと、自分のろうそくが入れ替わってしまう。自分のろうそくの火は、今にも消えそう。消えれば死ぬと聞いた主人公は、だました死神に命乞いをする。すると死神は、消えそうな自分のろうそくから火を移せたら死なずに済むといい、いくらか寿命のありそうなろうそくを差し出す。

震える手で火を移そうとする主人公に、死神は「早くしないと消えるよ…消える…、ほら消えた…」。

演者はここで前に突っ伏して、主人公の死を表現。静まり返る間の後、追い出し太鼓を合図に拍手が鳴り、緞帳(どんちょう)が降ります。悪夢から現実へと引き戻す追い出し太鼓に、ハッとしつつも救われる瞬間です。

倒れてそのままセリフがないサゲなので、緞帳が降りるトリでしかかけられません。寄席の明かりがロウソクだけだった時代は、観客はゆらめく明かりの中で、主人公が死んでゆくのを見届けたのでしょうか。ロウソクが消えたら、高座は真っ暗。納涼を通り越して、引くほど怖かったことでしょう。

しかし、「死神」のサゲは仕草落ちだけではなく、継承元によって様々です。「てめえで火を消しやがった」と死神が死を見届ける型、ロウソクの火を消してしまう主人公のくしゃみでサゲる型、主人公が火をつけたロウソクを死神が握りつぶす型などがあります。

さらに、死神がよそ見をしている間に消えそうなロウソク全てに火をつけて、主人公も世の中の人間も長生きできたという型もあるようです(昭和37年/加太こうじ著「落語」による)。

落語の本題に入る前の「マクラ」もいろいろ

ひとつの高座の流れは、口上、マクラ、噺、サゲで構成されています。

例えば落語「崇徳院」なら、「え、本日はお足元の悪い中」の口上から始まり、「人の縁とは不思議なもので、袖触る(そでふる)縁も他生(たしょう)の縁といいますが…」とマクラを振り、「旦那、お呼びでしょうか」「ああ、熊さんよく来てくれた」と噺に入り、「割れても末に買わんとぞ思う」でサゲます。噺家お決まりの口上も多く、先代の鈴々舎馬風(れいれいしゃ ばふう)の「えー、よく来たな」は有名です。

「マクラ」というと、落語に入る前の掴みでやる世間話と思われているようです。本来は、落語の種類にマクラは決まっており、そのマクラを振らなければなりません。
ただ、客が落ち着かない、前の高座の余韻が引かないなどなかなか噺に入れないときは、世間話のマクラを長く振って場をあたためることもあります。

師匠から噺を稽古してもらう時は、マクラと一緒に教わります。マクラはその話にまつわる蘊蓄(うんちく)、川柳、都々逸(どどいつ)、小咄(こばなし)などが主ですが、最近では馴染みが薄くなった「吉原」や「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」「歌舞伎」などの説明をすることも多いようです。忠臣蔵は、全部説明すると20分にもなってしまい、マクラだけで1席できそうです。

都々逸がかっこいい!お約束マクラのいろいろ

新橋炉ばた寄席の根多帳。本日の演目を記録する。

マクラのパターンを理解できると、導入部分を聴いただけでこれから何をかけようとしているのかを推理することができます。

例えば、「天下の大泥棒といえば石川五右衛門、しかし落語の出てくるようなのは二衛門半、中にはナシ衛門なんてのも…」とくると、今日は泥棒の噺。「夏泥」(なつどろ)「出来心」「締込み」などです。

酒粕を食べて酔っ払っている与太郎や、「親子三人の馬鹿」の小咄が始まったら与太郎噺。「牛ほめ」「かぼちゃや」などが出てきます。

昔の旅人といえば、手甲脚絆(てっこうきゃはん)に振り分け荷物」ときたら「ねずみ」、女房が嫉妬する「厩火事」「三年目」の枕には「焼きもちは、遠火に焼けよ 焼く人の胸も焦がさず味わいもよし」という粋な都々逸が語られることもあります。

遊女三千人御免の場所」とくれば噺の舞台は吉原。さらに「傾城(けいせい)の恋は誠の恋ならで 金持ってこいが本当のこいなり」とでたら、花魁(おいらん)と職人の純愛「紺屋高尾」「幾代餅」です。

今の季節なら、「たがや」のマクラで「橋の上、玉屋玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋と言わぬ情(錠)無し」の狂歌(きょうか)が聴けるでしょう。

次の出番の噺家は、マクラで今演っている演目を判断し、自分の演目を決めます。「噺に関係あるマクラを振るべし」という約束は重要なことなのです。

楽屋では、「おい、今なにやってる?」「まだわかりません」「枕で何演るか、わかるだろう」という、前座さんとの会話があるんだそうですよ。

落語ならではの可笑しみを楽しんで

落語というとダジャレや親父ギャグ、大笑いできる芸能というイメージが多いようですが、落語と他の話芸との違い、いろいろな「サゲ」や「マクラ」がわかると、解釈の違いを楽しんだり、最後のオチで伏線回収に驚いたりなど、様々な笑いを楽しめるようになります。

春なら「崇徳院」「紺屋高尾」などの恋の話、夏は「死神」「三年目」などの怪談、秋は「目黒のさんま」「ぞろぞろ」、冬なら「芝浜」「文七元結」など、粋な「マクラ」と思わず膝を打つ「サゲ」で、スカッとしてみてはいかがでしょう。

※本記事は2019年7月1日現在の内容です

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