奈良県には、現代に甦った天平美人がいる。普通に電車やバスに乗り、日常風景に溶け込んでいるのだ。その人物の名は、銀とき子さん(年齢非公開)。県内で開催される様々なイベントに友人の「奈良天平girl’s」(古代衣装愛好家)達と非公式で駆け付け(公式に呼ばれて登場する場合も)、その場にいる人々を突如として奈良時代へと連れて行ってくれる。自宅には天平衣装の専用衣裳部屋があり、その数は約30着もあるという。すべて銀さんの手づくり。衣装だけでなく、古代のメイク、髪形も完ぺきな見目麗しい天平美人だ。
彼女はきっと奈良時代からタイムスリップしてきたに違いない。もしくは、人魚の肉を喰らって不老不死となり、現代まで生き続けているのかもしれない・・・。
そんな謎に満ちた銀とき子さんと友人で天平メイクも専門に請け負うメイクアップアーティスト・五十嵐公子(いがらしまさこ)さんに現代でも通用する天平美人の秘訣を伺った。
そもそも天平時代って?当時の流行の最先端、唐の影響を受け花開いた天平文化
その前に天平時代とはいつ頃のことだろうか?一般的に和銅3年(710)の平城京遷都から延暦3年(784)の長岡京遷都までを指し、政治的な時代区分は「奈良時代」だ。美術史(文化史)上の区分として「天平時代」と表記される。
この時代に花開いた天平文化は、遣唐使によってもたらされた華やかな西域や唐の文化の影響を受けており、「鎮護国家」(仏法によって国家の安泰を願うこと)の思想から仏教の影響も強く受けているのが特徴だ。もちろん、当時の化粧や髪形も流行の最先端であった唐の影響を受けている。
天平文化を代表するものには、聖武天皇の発願により造立された東大寺の大仏、聖武天皇の没後に「正倉院正倉」に納められた遺愛品や大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)などで使用された品々である「正倉院宝物」など。なかでも天平美人が描かれていることで知られる『鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)』は日本史の教科書でもお馴染みなので、思い出しながら、本記事を読み進めて頂けると幸いだ。
奈良時代のキャリアウーマンの正装って?衣服のルールが記載された養老律令の「衣服令」(えぶくりょう)
実は、当時の天平美人達の衣服や髪形などには細かいルールがあった。文武天皇の大宝元年(701)、唐の制度にならい「大宝律令」が発布された。「律令」をざっくり説明すると、律令の「律」は現在の刑法にあたり、「令」は現在の行政法や民法などにあたる。律令制度により中央集権国家として、国の仕組みから庶民の暮らしに至るまで、あらゆる事が法体系化された。
天平宝字元年(757)に施行された「養老律令(ようろうりつりょう)」の養老令「第十九 衣服令(えぶくりょう)」では、全14条の服制のルールが記載されている。
写真の銀さんは、「威儀命婦(いぎのみょうぶ)」という、大礼時に宮廷儀式の威容をととのえるため並ぶ命婦※の姿。
(※従五位下以上の位階を有する女性の地位を示す称号、外命婦は官人の妻)
命婦(みょうぶ)は、ざっくり現代風に言うと中央政府機関で働くキャリアウーマン、もしくは政府高官の妻(外命婦/げみょうぶ)のことだ。例えば「衣服令」では、命婦の礼服(らいふく)※を下記のように記している。
(※礼服(らいふく)は「大宝律令」やこれを改定した「養老律令」の衣服令で規定された五位以上の貴族の正装)
内命婦の礼服
一位の礼服の宝髻(ほうけい)⇒ 宝髻は仏像の菩薩が頭上に結んでいるのと同じ髪型
・深紫の衣
・蘇方深紫の紕帯(そえおび)
・浅縹の褶(ひらみ) ⇒ 裳(も)、裙(くん)に重ねて用いられる
・蘇方、深紫、浅紫、緑の纈(ゆはた)の裙(くん) ⇒ 纈の裙は絞り染めの巻きスカート(女性の着用する下衣)のこと
・錦の襪(しとうず) ⇒ 襪は指の股のない足袋のこと
・緑の革昔(くつ)(くつの飾りは金銀を用いる)
三位以上は、浅紫の衣
・蘇方、浅紫、深緑、浅緑の纈(ゆはた)の裙(くん)
それ以外はいずれも一位に準じること
<以下省略>
天平メイクの3大基本カラーは「赤、白、黒」
前知識はこれくらいにして、さっそく銀さんと天平メイクのプロである五十嵐さんに現代でも活かせる天平メイクや天平美人の秘訣をご教授頂こう。
実はこのお2人、読売テレビ制作の正倉院展の特集番組で登場した聖武天皇役、光明皇后役の着付けやメイクを担当した正真正銘のプロ。奈良県や市町村が開催する奈良時代関連のイベントでも依頼を受け、登場する天平衣装の方々のメイクや着付けを担当することが多い。
五十嵐さんは、役者やテレビ出演者に対して、「テレビで映え、現代人が目にしても違和感を覚えない天平メイク」を施している。そのため、彼女が提案する天平メイクは、時代考証し、当時の化粧ルールの基本をしっかりと押さえつつも現代の私達が日常生活に取り入れやすい。
「まず奈良時代にキラキラしたメイクは存在しません」と五十嵐さん。現在、一般的に市販されているアイシャドウ等には、実はラメが入っているものが多い。そのため、舞台化粧用のものを購入するか、チークを使用することを教えてくれた。
日本の化粧には、3大基本カラーがあり、「赤、白、黒」の3色を使う。赤は紅(べに)、白は白粉(おしろい)、黒は眉墨など墨を油で練ったものだ。
【天平美人の秘訣 その1】奈良時代は「赤化粧」、血色の良さが大事
さらに五十嵐さんは、「奈良時代は“赤化粧”なんです。頬や耳たぶに赤を入れ、水紅(固形の紅で水や唾で溶いて使用する)で血色を良くみせる化粧。おぼこく(幼く)見えるのが特徴です」と説明。確かに、正倉院宝物の「鳥毛立女屏風」を思い返すと、頬全面いっぱいに紅を差している。
また当時の眉を完全再現すると、墨でベタっと描くので現代に馴染まないため、五十嵐さんはその人その人の骨格に合う形で描くようにし、バランスを取っている。奈良時代の仏像のように眉頭から鼻根部を通り鼻尖(びせん=鼻先のこと)に流れる鼻梁線(びりょうせん=鼻筋のこと)を大事に意識し、描くことがコツだ。
口紅は輪郭を描かず、水紅を使用し、内側から指で差す。目の際(目尻)に紅を少しだけ入れる。当時はまつ毛が濃く黒いことが良いとされたため、その代わりに黒のラインをひく。
そして、現代の化粧には無い最大の特徴は、額中央に花子(かし)・花鈿(かでん)と呼ばれる花や4点を紅や碧色で描くことと、口元に靨鈿(ようでん)という“えくぼ”のポイントメイクがあることだ。
【天平美人の秘訣 その2】時代を超えた美バランス、仏像もEラインと姿勢が美しい
元々は美容師から舞台ヘアメイク専門になった五十嵐さん。現在は日本メークアップアーチスト学院の主任講師でもある。奈良時代のメイクに関する情報は圧倒的に少なく、未知の世界だった。当時の化粧・髪形・衣装について学ぶため、前出の「鳥毛立女屏風」をはじめとする正倉院宝物はもちろん、中国唐代の壁画や絵画、仏像などを研究した。様々な展覧会を訪れ、普段観ることができない仏像の後ろ姿や横顔を穴があくほど見つめた。なかでも京都・浄瑠璃寺の秘仏「吉祥天女像」(鎌倉時代作)は、かなり参考になったという。
そんな五十嵐さんが感じている天平美人の特徴は、「Eライン(横顔で鼻の先端と顎を結んだ線)と姿勢が美しい」こと。浄瑠璃寺の吉祥天女像も例にもれず、Eラインや後ろ姿が美しい。「時代によってもてはやされ方は違いますが、美しさには、世界共通の美バランスがあります」と話す。
そして、「“はんなりする”という言葉がありますが、はんなりしているのと姿勢が悪いのは違います。銀さんは自然と動きに礼法(れいほう)の所作が入っています。そんな、どこか芯が通った姿勢こそが美の秘訣ですよ」と笑う。
【天平美人の秘訣 その3】天平美人は髪が命、「一髪、二化粧、三衣装」
銀さんの美しく結い上げた髪は地毛だ。おろすと腰を超えるほどまで伸びた艶やかな黒髪が目を引く。「ただ天平衣装を着ていても、髪が決まらなければ天平美人にはなれないです。髪型が変だと天平衣装はただの仮装になってしまいます」と銀さんは語る。
「なるべく当時の人と同じような色と長さで、髪の毛さえちゃんと結えれば、何とかなります。だから髪が大事ですね。地毛でしっかり結えば、みんな可愛くみえるんです!」(銀さん)
五十嵐さんも「そうそう。一髪、二化粧、三衣装という身だしなみの言葉がちゃんとあるんですよ。それくらい大事」と力を込める。
どんなに高級で素敵な服を着ていても髪がボサボサで顔に汚れが付いていたら相手に対して失礼だ。これは天平美人だけでなく、現代人にも通じる大切なことだと言える。
【天平美人の秘訣 その4】無いものは自らすべて作る
現代に残っている奈良時代の被服や髪飾りは、当たり前だが文化財だ。銀さんの天平衣装も、五十嵐さんが常備している当時のような櫛や髪飾りも、正倉院宝物(残欠なども含む)や絵画、仏像等を参考して図面を起こし、自ら手作りしている。
「(奈良時代のものに)似たデザインの櫛も髪飾りも一般的に販売されていないので、すべて私が作成しました。手芸のパーツ屋さんなどで購入したもの使用し、糸鋸ややすりをかけて作るんです」と五十嵐さん。その精巧な出来栄えには、目を見張るものがある。
当時の翡翠(ひすい)や瑪瑙(めのう)などの玉(ぎょく)やガラスなどに似たビーズなどを探し出し、当時存在した色だけで作成しているという。
銀さんの友人である「奈良天平girl’s」達も、皆、衣装や髪飾りは基本的に自前。天平美人になるためには、それくらいの強い思いと情熱、加えて奈良時代へのリスペクトが必要なのだ。
「天平衣装を着るのも大事だけど、身近な奈良時代を探して」
「髪が大事と言いましたが、実は40歳以上は結わなくても良いという決まりが当時はありました(笑)。天平衣装には年齢制限は無いんです。白髪になっても着られるので、これからもずっと奈良を全身で楽しみたい」と銀さんは笑う。
謎の天平美人銀さんが最後にとっておきの秘訣を教えてくれた。
「天平衣装や髪も大事だけど、一番大事なのは奈良(奈良時代を感じる場所)で着ること。奈良県には奈良時代の寺社や遺跡がいっぱいあるので、そこで衣装を着て撮影することがポイントです。奈良県だけでなく、全国には国分寺・国分尼寺跡や万葉まつりなど、天平を感じられる場所は意外とたくさんあります。皆さんも身近な奈良時代を探して衣装で撮影してみて下さい。タイムスリップしますよ」
※事前に各寺社や遺跡等の管理者に撮影許可を得て下さい
奈良時代への愛とリスペクト
銀さんと五十嵐さんが教えてくれた天平美人の秘訣。もうお分かりのように、現代にも通じることが結構多い。髪を美しく保ち、姿勢や所作に気を付けるだけでも、一歩、天平人へ近づけるのではないだろうか?そして、なによりも奈良時代への愛とリスペクトだ。それをお2人は体現していた。
五十嵐さんは出演者全員のメイクアップと着付けを担当。銀さんは出演者であり着付け担当。威儀命婦役のフリーランスモデルのほりいみほさん(左)、奈良時代の称徳女帝役のタレントの福本愛菜さん(左から2番目)、まつりの会長である奈良・海龍王寺の石川重元住職(右から2番目)、威儀命婦役の銀とき子さん(右)
参考文献 「日本の女性風俗史」 切畑健 編 京都書院