日本文化の入り口マガジン和樂web
11月29日(月)
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(藤原道長)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
11月25日(木)

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば(藤原道長)

読み物
Culture
2021.07.10

聖徳太子は観音様の化身?小学生でも楽しめる太子像のポイントを徹底解説!

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

今年(2021年)は、聖徳太子の没後1400年にあたる記念イヤー(1400年遠忌)。「聖徳太子」と聞いて、最初に思い浮かべるのはなんだろうか? ある年代以上の方は「旧1万円札」のイメージが強いかもしれない。では、令和の小学生は、「聖徳太子」を知っているのだろうか? そんな訳で、まだ授業で歴史を習っていない、ポケモン大好きな小学4年生男子のR君(筆者の子ども)に訊いてみた。

R君は奈良県在住。以前、筆者と一緒に法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)へ行ったことがあるため、当然知っているものと思い込んで、「聖徳太子って知っているよね?」と聞いたところ、まさかの「え?知らん!」(R君)との答えが返ってきた。法隆寺で聖徳太子像を観て、さらに冠位十二階などの話をしていたので、正直ビックリしていると、

「法隆寺、冠位十二階・・・どっかで見た。あ、図書室のサバイバルとかタイムワープ※1の飛鳥時代のやつで読んだわ。妹子(小野妹子)の上司の厩戸皇子じゃね?」と、さらなる返事が。「厩戸皇子が聖徳太子だよ」と伝えると、え? と驚いた表情をみせた。なんと、厩戸皇子と聖徳太子があまり繋がっていなかったのだ。ちなみに、法隆寺でなにが一番おもしろかったか? を訊いたところ、「赤ちゃんの像。〇〇ちゃん(R君の2歳の弟)みたいだったから。あと世界一古い木の建物」との回答があった。

※1 朝日新聞出版の歴史漫画タイムワープシリーズ『飛鳥時代へタイムワープ  歴史漫画タイムワープシリーズ 通史編3』のこと(人物紹介の欄で厩戸皇子(聖徳太子)と記載がなされており、作中では厩戸皇子として登場)。科学版は、サバイバルシリーズ。R君いわく、小学校の図書室でもたくさんの子が借りていて人気があるため、なかなか借りられないおもしろい漫画シリーズとのこと。

小学生でも楽しめる色々な年齢の太子像

聖徳太子と法隆寺展の担当である奈良国立博物館の山口隆介主任研究員。奈良展は法隆寺東院伽藍※2の絵殿の世界、東京展は舎利殿の世界を体感できる空間を再現

こんな感じの現代の小学生R君(聖徳太子ほぼ初心者)が奈良国立博物館の聖徳太子と法隆寺展の担当である山口隆介主任研究員(日本彫刻史が専門)のお話を通じて、様々な年齢の太子像から、母親(筆者)と一緒に聖徳太子や太子信仰に初めて触れていく本記事。R君の実体験レポートが今後、法隆寺を訪れる方や7月13日から東京国立博物館で開幕する聖徳太子1400年遠忌記念「特別展 聖徳太子と法隆寺」展を訪れる方の一助になれば幸いだ。

※2 法隆寺には世界最古の木造建築群(金堂や五重塔)で知られる西院伽藍(さいいんがらん)と太子信仰の聖地である夢殿を中心とした東院伽藍(とういんがらん)がある

●本記事は奈良国立博物館で6月20日まで開催された聖徳太子1400年遠忌記念「特別展 聖徳太子と法隆寺」展担当の山口隆介主任研究員のお話をもとに聖徳太子初心者(小学生)が様々な太子像から聖徳太子や太子信仰に触れていく内容。同展覧会は、7月13日から9月5日の会期で東京国立博物館(東京展)に巡回する

国宝 薬師如来坐像 飛鳥時代 7世紀、奈良・法隆寺蔵(奈良展、東京展ともに通期展示)今まで寺外にほとんど出たことが無く、謎も多い。古代仏像彫刻の傑作のひとつ

では、R君が興味を持った「赤ちゃんの像」とは、一体なんであろうか? その前に、奈良国立博物館内でR君より「お母さん、仏像がすごくいっぱいあるけど、なんで?」との質問が飛び出した。

母(筆者):聖徳太子は、仏教をすごく大事にして信仰したの。で、政治家として、仏教中心の国づくりに取り組んだのよ。ちなみに用明天皇の息子(第二皇子)ね。それで、仏教を広めるために法隆寺などのお寺を建てたわけ。だから(会場内には)、約1400年前の聖徳太子が生きた時代(飛鳥時代)の仏像がいっぱいあるの。そして、法隆寺(その他の太子ゆかりのお寺も)では、今でもお釈迦様と同じくらい聖徳太子を大事にしていているの。聖徳太子は観音様が姿を変えたとして信仰されているんだよ

聖徳太子が観音様の化身!どんだけすごい人だったの……!

太子は観音様の化身として信仰されるほどの超人

太子が創建した大阪・四天王寺の本尊を模刻した古い作例。重要文化財「如意輪観音菩薩半跏像」(平安時代12世紀、法隆寺蔵)。四天王寺の本尊であった観音像は現存していない。平安時代以降には、聖徳太子を観音の化身とする信仰(太子信仰)によって、この像のような多くの模刻が制作された

R君:ふ~ん、観音様・・・、聖徳太子は仏様みたいってことね。なんかすごいわ

母:そう、すごいのよ。だから、愛馬の黒駒(黒い馬)に乗って空を駆け、富士山まで行ったとか、10人(人数は諸説あり)の話を一度に聞くことができたとか超人エピソードがいっぱいあるの

R君:仏様級スーパーすごいってことね

二歳 南無仏太子像

お釈迦様がこの世を去った旧暦2月15日(涅槃の日)、2歳(数え年)の聖徳太子は、東を向いて合掌し「南無仏」と唱えた。そして、合掌した手のひらからは仏舎利(お釈迦様の遺骨のこと、実際は米や貴石など)がこぼれ落ちたという。(聖徳太子伝暦をはじめとする太子伝の説話)

その姿をあらわした像がこちら、

聖徳太子立像(二歳像)鎌倉時代 徳治2年(1307)奈良・法隆寺蔵

「南無仏太子像」とも呼ばれ、各地で造立された。赤い袴をはいて上半身は半裸、立って胸前で合掌する姿が特徴だ。

R君:なんか眉毛がキリっとし過ぎている・・・

母:それだけ徳のある賢いお子様だったのよ。なんと、この時に手からこぼれ落ちた仏舎利(お釈迦様の遺骨)とされるものが、法隆寺に今もあるんだって!

R君:えっ? マジ!??

山口先生:お正月の三が日に法隆寺で営まれる「舎利講」の時だけ拝むことができますよ。法隆寺東院伽藍の舎利殿のご本尊で、水晶でできた塔(五輪塔)に入っている「南無仏舎利(なむぶつしゃり)」です

R君:え、見たい!

母:お正月に法隆寺へまた一緒に行こうね

山口先生:奈良展での展示はありませんでしたが、7月13日からの東京展で観ることができますよ

R君:東京~!

ちなみに、太子の岡本宮を息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が寺院に改めた法起寺(ほうきじ/奈良県生駒郡斑鳩町)の「聖徳太子像(二歳像)」は、X線CTスキャン調査の結果、左掌中に数粒の舎利になぞらえた品が納入されていることが判明している。

R君:え? 手ひらにお釈迦様の骨みたいなのを埋めてんの! マジ? レントゲン(X線CTスキャン)すげー

現存最古の聖徳太子の彫像 「聖徳太子坐像(伝七歳像)」※奈良展のみの展示

重要文化財 聖徳太子坐像(伝七歳像) 平安時代 治暦5年(1069)奈良・法隆寺蔵(奈良展のみ通期展示)

こちらは、太子の命日3月22日(旧暦の2月22日)に法隆寺で行われる聖霊会(しょうりょうえ)で、輿(輦/れん)に乗り、寺内を練り歩く像だ。

え?年齢がわからない!?

「実は、七歳像と呼ばれるようになったのは、江戸時代からなのです。像内の墨書には「聖徳太子御童子形御影」としか記されていないので、そもそも具体的な年齢はありません。あくまでも「伝」七歳とされる聖徳太子の童形像です」と山口先生。

そして、「銘文には、太子の生誕505年にあたる「治暦五年」(平安時代)に法隆寺大衆が結縁(けちえん)して制作したことが書かれているので、現存するなかでは、最古の聖徳太子の彫像です。大阪の四天王寺(太子創建)にあった童形像を模して法隆寺でも造ったと推測されています」と説明してくれた。

もともとは法隆寺東院伽藍の絵殿に安置されていた像で、髪を古代の子ども髪形である角髪(みずら)に結った少年の姿だ。

なんで少年の姿(童形)なの?

表面の彩色も当時のものという「聖徳太子坐像(伝七歳像)」。国宝「聖徳太子絵伝」(平安時代、東京国立博物館蔵)を描いた平安時代の絵師・秦致貞(はたのちてい)が彩色した

R君:結構年が(俺と)近いかも

母:先生、聖霊会の太子像は、なぜ童形(子どもの姿)をしているのでしょうか?

山口先生:うーん、それはやっぱり、子どもには昔から特別な力があると信じられてきましたので、童形で造るというのは、太子の特別な力を意識したのではないかなと思います

母:なるほど、太子の特別な力を意識ですか。R君、特別な力を感じる?

R君:なんか、肌が白いし、像だけど生きている子っぽく見えてきたかも・・・

会場内には、聖霊会で10年に一度行われる法要「大会式(だいえしき)」の際、この像(聖徳太子坐像(伝七歳像))が乗る「聖皇神輿(しょうこうみこし)」の展示もあった。

 聖皇神輿 室町時代 奈良・法隆寺蔵(東京展では「舎利神輿」が展示)

R君:なんで、この太子は御神輿に乗るの?

山口先生:神輿に乗ってやってくるというのは、実際に肉体をもった生身(なまみ)の太子そのもの。研究の世界では生身(しょうじん)というのですが、おそらく生身の太子であることを見ている人達に実感させる効果があったのだと思いますよ

母:R君、太子が信仰として、今も生きているってことを感じてもらうためなのかもね

R君ビックリ、太子像の中に観音様が!太子十六歳の孝養像

聖徳太子立像(孝養像)鎌倉時代 13世紀 奈良・成福寺

この像は、太子が16歳の年に父の用明天皇が病に倒れた際、日夜寄り添い香炉を捧げ、神仏に加護を祈ったという説話に基づく姿とされる。髪を角髪(みずら)に結い、両手で柄香炉(えごうろ)を持ち、袈裟(けさ)を身に着けているのが特徴だ。この説話の内容から、一般的に「孝養像(きょうようぞう)」と呼ばれている。彫刻、絵画ともに鎌倉時代以降に多くの作例がみられるという。

母:なんて、お父さん孝行な……

R君:ずっと、お父さんの傍で元気になるように仏様に祈っていたの?

母:仏様が絶対にお父さんを助けてくれると信じていたんだね

孝養像のなかでも、注目は太子が晩年を過ごした葦垣宮跡(あしがきのみやあと)と伝わる奈良・成福寺(じょうふくじ/廃寺)の本尊(写真参照)だ。近年のX線CTスキャン調査の結果、像の胎内(胸部)に木造菩薩半跏像(像高約6・5センチ)と、舎利になぞらえた品とみられる紙に包まれた16点の鉱物が納められていると判明したのだ。

聖徳太子立像(孝養像)CT画像 胸部垂直断面(3D)

R君:え、像のなかに観音様がいたの? マトリョーシカやん!

母:……

母:先生、なぜ胎内に観音様がおられるのでしょうか? この調査で何がわかったのですか?

山口先生:太子が観音様の化身であることを表現しているからですね。太子が創建した大阪の四天王寺にあったとされる「救世観音(くせかんのん)」におおむね一致する姿で、二臂(にひ/腕が2本)の如意輪観音(にょいりんかんのん)と共通する点もあります。四天王寺のご本尊に対する信仰と平安時代以降の太子を如意輪観音の化身とする信仰が重ねあわされた姿だと考えられます

R君:見えないから誰もわからないのに、ちゃんと造って入れるのがすごい・・・

 

特に注目の聖徳太子像、聖霊院・秘仏本尊の国宝「聖徳太子および侍者像」

国宝 聖徳太子および侍者像のうち聖徳太子 平安時代 保安2年(1121)奈良・法隆寺蔵(奈良展、東京展ともに通期展示)

本展覧会のなかでも、特に注目されている聖徳太子像は、平安時代に太子の500回忌に制作された法隆寺聖霊院の秘仏本尊、聖徳太子および侍者像だ。27年ぶりの寺外公開になった。周囲にいる4名の侍者は、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)、異母弟の殖栗王(えぐりおう)・卒末呂王(そまろおう)、太子の仏教の師で高句麗の僧・恵慈法師(えじほうし)だ。太子は、袍(ほう/朝服の上衣のひとつ)を着て、笏を持ち、頭に冕冠(べんかん/天子・天皇や皇太子が大礼の時に着用した礼冠)を戴くのが特徴だ。

R君:この太子も眉毛がキリっとしている・・・太子はこんな顔だったの?

母:いやぁ、正直言うと実際の太子の顔はわからないのよ。絵も像も太子が亡くなられてから、時代が経って造られているしね・・・でも、造った当時の人は、徳の高い方のお顔はキリっとしていると思っていたのかもね

R君:子ども(山背大兄王)がめちゃくちゃ真面目な顔している・・・なのに、弟(殖栗王)がなんか違う・・・

母:お父さん(太子)に真面目にやりなさいって言われていたのかな? 弟達(殖栗王と卒末呂王)はお兄ちゃん(太子)から言われて参加したのかもしれないよね。実際はわからないけど、表情がおもしろいよね

侍者像のひとつ、太子の息子「山背大兄王」

侍者像のひとつ、太子の異母弟「殖栗王」 ユーモラスな表情が特徴

やっぱり太子の胎内に観音様が!観音様の顔が太子の口と同じ高さになるよう設計!?

この太子像の像内には、法華(ほけ)経、維摩(ゆいま)経、勝鬘(しょうまん)経の三つの経を納めた三連筒形の容器の上に亀の背にそびえる蓬莱山(ほうらいさん)をあらわし、山頂に観音菩薩像が安置されているものが納入されている。なんと、観音像の顔がちょうど太子の口の高さになるよう設計されているというのだから驚きだ。

R君:どの時代の人も、みんな太子が大好きやね。こんなに凝った像を造っているし

母:たしかに

山口先生:平安時代後期における太子信仰の高まりを背景に造立された傑作といえますね

太子信仰はもっと広く、深淵を知るのはむずかしい

果たしてR君は、様々な太子像を通じて、太子信仰がわかったのだろうか?

最後に奈良国立博物館の吉澤悟学芸部長が大切なことを教えてくれた。

「太子信仰そのものは、もっともっと広いもの。とても複雑です。それこそ時代によって波がありますし、貴族階級から庶民(被差別階級も含む)まで信仰してきた広い歴史背景を持つので、この展覧会だけではすべてをおさえられないのが正直なところです」(吉澤学芸部長)

約1400年もの間、信仰とともに現代まで残り続ける法隆寺の寺宝の数々は、まさに奇跡といえる。

「100年後にしか観られないかもしれないものをいっぱい観ることができて、なんかすごかった!色々な時代で、太子大好きな人がいっぱいいたのもわかった」とR君。各時代の太子を深く信仰してきた人々によって、寺宝(文化財)だけでなく信仰そのものも次の時代へとバトンが渡されてきたからこそ、現代の私達もその信仰の一部を肌で感じることができた。100年後、200年後、さらにその先の未来へと、今回R君が触れた太子信仰が連綿と続いていくことを願いたい。

それにしても、今年は没後1400年のスペシャル記念イヤー(1400年遠忌)。コロナ禍中だが、こんな記念すべき年に当たって私達はものすごくラッキーだ。あと100年後(1500年遠忌)には、おそらく生きていないのだから……

聖徳太子1400年遠忌記念『特別展 聖徳太子と法隆寺』展

書いた人

奈良在住。若かりし頃、大学で文化財保存科学を専攻した文系なのにエセ理系。普段は、主に関西のニュースサイトで奈良県内を取材しており、たまに知人が居る文化財保存業界周辺を部外者として外側からウロチョロ。神仏習合が色濃く残る奈良が好き。信心深いので、仏様にはすぐ合掌。しかし、仏像の衣裾に当時の顔料が残っているのを見つけたりすると、そこに萌えるタイプ

この記事に合いの手する人

編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『アートラジオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。