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2021.12.21

歴史的文書を後世へ!「徳川将軍の図書館」も受け継ぐ、国立公文書館の知られざる魅力

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玉音放送で伝えられた「終戦の詔書」や、新元号発表時に掲げられた「令和の書」……。日本の重要な歴史資料を保存する場所が、皇居近くにある国立公文書館です。2021年7月に開館50周年を迎えました。図書館や美術館には行くけれど、公文書館は行ったことがない人もいるのではないでしょうか。私もそのひとりでした。ところが、足を運んでみると、歴史資料の宝庫であるとともに、自宅でタイムトラベルができる「デジタルアーカイブ」も無料で公開していることが分かりました。そんな国立公文書館を前後2回に分けてご紹介します。

知られざる魅力に迫ります!

貴重な歴史資料をご紹介

まず、国立公文書館が所蔵する貴重な資料を見ていきましょう。次の画像は、「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」の公布原本です。

「大日本帝国憲法」原本 御署名部分 1889(明治22)年2月11日 国立公文書館蔵

「日本国憲法」公布原本 御署名部分 1946(昭和21) 年11月3日 国立公文書館蔵

2つの公布原本の御署名部分を見比べると、いずれも上質な和紙で鶏卵に似た淡い黄色をした「鳥ノ子紙(とりのこがみ)」の罫紙が使われていますが、大日本帝国憲法の方が、57年前に作られたにもかかわらず、白く見えます。日本国憲法の紙質が落ちた理由として、敗戦直後の深刻な物資不足がここまで及んでいたのだとすれば驚きです。

歴史的人物の運命を物語る公文書

2つの公布原本には、それぞれ明治天皇と昭和天皇の署名「御名(ぎょめい)」と公印「御璽(ぎょじ)」が入っています。大日本帝国憲法には、黒田清隆内閣の各国務大臣と枢密院議長の伊藤博文、日本国憲法には、吉田茂内閣の各国務大臣の署名がずらりと並んでいます。大日本帝国憲法には、自筆があまり残されていない、当時の外務大臣大隈重信の貴重な署名があります。一説には、若いころに友人から悪筆だと非難されたことをきっかけに、自ら字を書くことはあまりなかったといわれています。この署名をよく見ると、墨痕が少しゆがんでいるような気がします。大隈は、慣れない手で筆を握ったのではないか、そんな思いを巡らせました。

歴史の悲劇を物語る資料もあります。画像の左から2番目にある御署名原本の流麗な署名は、文部大臣・森有礼(ありのり)。1889(明治22)年2月11日憲法発布式当日、官邸を出たところを暴漢に襲われ、翌日に息を引き取りました。森の公的な文書への署名は、これが最後のものといわれています。

同様の例が、 1936(昭和11)年2月26日に陸軍の青年将校らが首相官邸などを襲撃したクーデター「二・二六事件」で、戒厳令公布のために作成された閣議書です。明治から続く慣例として、フルネームの代わりに図案化された署名「花押(かおう)」が並んでいますが、この閣議書には、大蔵大臣の欄だけ、「花押」が空白です。それは、大蔵大臣の高橋是清が事件で暗殺され、この時点では空席となっていたからです。

二・二六事件に対応する戒厳令公布の閣議書 1936(昭和11)年2月26日 国立公文書館蔵
当時の証人のような文書ですね!

加筆・修正の跡が残る「終戦の詔書」

文書が書かれた状況を生々しく伝えているのが、「終戦の詔書」。1945(昭和20)年8月14日の御前会議で、無条件降伏を迫るポツダム宣言の受諾を昭和天皇が決断したことを受けて、発布されました。その日のうちに昭和天皇による詔書の音読が録音され、翌15日正午、録音をラジオで放送したのが、「堪ヘ(え)難キヲ堪ヘ(え) 忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び)―」で知られる玉音放送です。

終戦の詔書 1945(昭和20)年8月14日 国立公文書館蔵

画像右側に、「必ス(ず)シモ好転セス(ず)」など、紙が削られた修正箇所や吹き出しの挿入が、そのまま残されています。深夜まで続いた8月14日の閣議での文案を巡る激論の跡で、緊迫ぶりを伝えています。文案が完成し、録音が行われた後には、玉音放送阻止を図った一部の陸軍将校が、「宮城(きゅうじょう)事件」と呼ばれるクーデター未遂事件を起こしました。

歴史の息づかいが感じられる歴史資料の原本は、東京・北の丸公園にある国立公文書館東京本館の書庫に納められています。しかし、精巧な複製が、本館1階で常設展示されていて、入場無料で見ることができます。2019年の改元の際に話題となった「令和の書」の複製もあります。

平成の書 1989(昭和64)年 国立公文書館蔵

令和の書 2019(平成31)年 国立公文書館所蔵

「徳川将軍の図書館」も受け継ぐ

国立公文書館には、古代から近世にかけての貴重な古書・古文書も数多く保存しています。明治時代以降の重要な歴史資料を含む、行政機関から移管等により受け入れた行政文書等約108万冊のほかに、「紅葉山文庫」など江戸幕府の旧蔵書を引き継いだ和漢の古書・古文書コレクション約48万冊も所蔵しています(2021年3月末現在)。

「紅葉山文庫」とは、徳川家康が1602(慶長7)年に江戸城本丸に文庫を創設したのが始まりで、家康が集めた蔵書や鎌倉幕府の書物「金沢文庫」(北条実時が設立した文庫)旧蔵書などを所蔵していました。3代将軍家光の時代、1639(寛永16)年には、江戸城の紅葉山のふもとに新たな文庫が造られました。これが江戸城無血開城で明治新政府に移管され、「紅葉山文庫」と呼ばれるようになりました。

この「将軍の図書館」には、どんな書物が納められていたのでしょう? 日本で初めて天皇の命によって編纂された歴史書『日本書紀』の写本(全10冊)をはじめ、鎌倉時代の歴史書『東鏡(あずまかがみ)』(漢文の『吾妻鏡』を仮名交じり文に書き改めたもので、戦国時代の大名、後北条家から黒田家に贈られ、黒田家から江戸幕府に献上されたもの)全83冊、家康から10代将軍家治に至る江戸幕府の正史『御実紀』(通称・徳川実紀)全485冊など、古代から近世にかけての貴重な歴史書が所蔵されていました。

『御実紀(徳川実紀)』 国立公文書館蔵

紅葉山文庫の管理を担ったのは、1633(寛永10)年に創設された書物奉行でした。資料の貸し出しや受け入れ、虫干し、補修や写本の作成など、多岐にわたる業務内容は、執務日誌『御書物方留牒(ごしょもつかたとめちょう)』『御書物方日記』に記録されています。5代将軍綱吉の治世末期である1706(宝永3)年から幕末の1857(安政4)年までの約150年間、書き継がれた225冊が現存しています。細かい記述を見ると、歴代の書物奉行が文庫を守ることに使命感を感じていたことがうかがえます。

『御書物方留牒』『御書物方日記』国立公文書館蔵
書物の保存に情熱を傾けた人たちがいるからこそ、今閲覧できるんだなぁ。

日本における公文書保存の歩み

ここでは、戦後の公文書と古書・古文書の保存・管理をめぐる歩みをひもといてみたいと思います。

日本初の文書館は山口県文書館

戦後の混乱で、多くの古書・古文書が、散逸の危機に見舞われました。それを守ろうという史料保存運動が起こり、学者たちの国会請願を受けて、文部省史料館(現在の国文学研究資料館)が1951(昭和26)年に開館しました。

1959年4月には、日本初の文書館(公文書館)として、山口県文書館(山口市)が開館しました。同館公式サイトによると、旧萩藩主の毛利家から山口県へ寄託された藩政時代の文書「毛利家文庫」や、戦前の県庁の文書の保管場所として整備されました。

その後、自治体史の編纂が盛んとなり、文書館・公文書整備の機運が全国に広がっていきました。

こうした流れの中、日本学術会議は政府に対し、59年に「公文書の散逸防止について」の勧告を出しました。それを受けて、71年7月、総理府(現・内閣府)の附属機関として国立公文書館が開館しました。2001年4月に、国の行政改革の一環で独立行政法人化されました。

情報公開法と公文書管理法

公文書管理のポイントは、膨大な公文書の歴史的価値を評価した上で、どれを保存して、どれを廃棄すべきかを判断することです。瀬畑源さんの著書『公文書管理と民主主義 なぜ、公文書は残されなければならないのか』 (岩波ブックレット)によると、明治中期以降、官僚や政治家たちの判断基準は、今の自分たちにとって必要か、不必要か、だったようで、歴史的価値という観点は見過ごされがちでした。

廃棄される公文書もあることを知りませんでした!

公文書に対する関心が日本で高まったのは1970年代から。1976年に発覚した戦後最大の疑獄事件「ロッキード事件」や公害、薬害問題等で、解明に必要な関連文書が開示されなかったことがきっかけで、情報公開を求める市民運動が盛り上がりました。

今と未来を生きる人たちへの「知る権利」と「説明責任」を果たすために、政策がどのような過程で立案され、誰がどのように決めたのか。公文書でそのプロセスを見えるようにしておかないと、後世において歴史の検証が困難になってしまう―。その強い危機意識が、多くの人たちを駆り立てたのだと私は思います。80年代に入ると、国に先んじて、地方公共団体が情報公開制度を制定する動きが広がりました。

公文書管理に関する法整備は、21世紀に入ってから進みました。国民の「知る権利」を保障し、国の行政機関などが保有する情報を原則公開することを義務づけた情報公開法が、2001年に施行されました。ここでいう「行政文書」とは、「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」(情報公開法第2条2)と定義されています。そして、2011年施行の公文書管理法(公文書等の管理に関する法律)では、公文書の具体的な管理方法が定められました。

公文書管理法では、作成から保存のあり方まで「公文書のライフサイクル」が定められています。第1条で、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定義。国の行政機関は、作成した行政文書を原則、最長30年まで保存できます。文書の量は膨大なので、すべてを保存し続けられるわけではありません。評価選別をする必要があります。

その基準は、歴史資料として重要かどうか。国立公文書館等に移管して永久保存するか、廃棄するかを設定する「レコードスケジュール」は、作成元の各行政機関があらかじめ決定。国立公文書館の専門職員が、重要な公文書が誤って「廃棄」とされていないかチェックし、公文書管理を担う内閣府に、専門的な立場から助言する仕組みになっています。

廃棄しちゃったら元に戻せないですもんね!

行政機関や国の独立行政法人が作成した文書のうち、保存期間が満了した歴史的に重要とされる「歴史公文書等」を受け入れる施設は、公文書管理法の上では「国立公文書館等」といい、国立公文書館のほか、外務省外交史料館や、宮内庁宮内公文書館などが含まれます。

このうち、国立公文書館のケースを取り上げたいと思います。同館には、前に述べた東京・北の丸公園の「東京本館」のほかに、茨城県つくば市に「つくば分館」があります。公文書はどのように管理されているのでしょう?

皇居の近くにたつ国立公文書館東京本館

書庫内は温度22度、湿度55%

保存期間満了後に行政機関等から国立公文書館に移管される公文書は、毎年3万~4万冊。紙媒体の公文書はかびや虫害を防ぐため、つくば分館において、専用のガスで10日ほどかけてくん蒸。電子公文書はウイルスチェックを実施。こうした処理を施した後、請求番号をつけて、目録を作った上、書庫に排架され、永久保存されます。移管されてから原則1年以内に目録を公開しているそうです。

国立公文書館にある書庫は、万が一、火災が起きても水ではなく、炭酸ガスの消火設備が整備されています。今回見学した東京本館の書庫には、書棚が整然と並んでいました。その中には、和綴じで製本された文書もありました。近年作成された公文書は厚手のファイルに綴られているとのことです。

国立公文書館東京本館の書庫 同館提供

書庫内の環境は、原則として「温度22度、湿度55%」で保たれています。紅葉山文庫から引き継がれた木製の箱が、今も現役で活用されているケースもあるそうです。

本館には、経年劣化や過去の虫害、水害、酸性化で傷んだ歴史資料を修復する部署も。専門技術を持つ職員の皆さんが、破損した部分に紙をあてる「繕(つくろ)い」、裏から紙を貼って補強する「裏打ち」などを、こつこつと手作業で行っていました。公文書を後世に伝えるための地道な努力の一端をのぞいた気になりました。東日本大震災で被災した公文書の修復を支援する活動にも尽力したそうです。

「かげろうの羽」と呼ばれる高知産の典具帖紙(てんぐちょうし)や、耐久性のある富山産の悠久紙(ゆうきゅうし)」などの和紙や、水に浸けると元に戻る生麩(しょうふ)糊など、自然由来の材料が多く使われています。重しに漬け物石、乾燥にアイロンや扇風機と、身近な生活道具が活躍していて、親しみを感じました。

専門的な道具以外も使ってるんだ〜

おうちで楽しめるデジタルアーカイブ

「国立公文書館の利用者は、学生・研究者・好事家に限られているといっても過言ではない」と、『アーカイブズと歴史学 日本における公文書管理』(小池聖一氏・著、刀水書房)に書かれています。

国民にさらに開かれた存在になることが課題となっており、広報担当者も「過去を検証し、未来へ活かしてもらえるように、認知度をさらに上げていきたい」と話していました。多くの人たちに、所蔵資料への関心を持ってもらおうと、積極的に展示会を開いています。でも、この記事を書いている2021年秋現在、新型コロナウイルスの収束が見通せず、外出を控えている人もいるでしょう。そこで、自宅で気軽に歴史資料を楽しめる方法をご紹介したいと思います。

いつでも、どこでも、誰でも、自由に、無料で

「いつでも、どこでも、誰でも、自由に、無料で」。このキャッチフレーズで、国立公文書館がインターネット上で公開しているデジタルアーカイブが、次の2種類あります。国立公文書館デジタルアーカイブと、アジア歴史資料センターです。

まず、「国立公文書館デジタルアーカイブ」から。キーワード検索や資料の分類をたどる方法で、資料の検索やデジタル画像の閲覧、印刷、ダウンロードができます。所蔵資料約156万冊の目録情報とともに、約35万冊分のデジタル画像をデジタルアーカイブで公開しており(2021年3月末現在)、大判資料や絵巻物なども、高精細なデジタル画像が楽しめます。

貴重な資料をふらっと見てみたい場合は、トップページのコーナー「主な資料を見る」がオススメ。広報担当者の一押しは、「重要文化財 国絵図等」 です。江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回にわたって全国規模で国ごとの絵図が作成されました。このうち「天保国絵図 」 は、1835(天保6)年に作成を命じられ、3年後に完成しました。約2万1,600分の1の縮尺で、山、川、道路が描かれています。

天保国地図の一部 徳川家康が生まれた三河国岡崎(愛知県岡崎市)の地名が記されているスクリーンショット 国立公文書館本館蔵
江戸時代のものがこんなに綺麗に残ってるんだ!

例えば、徳川家康が生まれた三河国岡崎(愛知県岡崎市)の国絵図では、白い四角の中に城主の名前、楕円形の中に村の名前と石高が記されています。双六のように見えるのが面白いですね。

デジタル文書館としての「アジ歴」

次は、「アジア歴史資料センター」を見てみましょう。通称「アジ歴」と呼ばれ、実は世界有数のデジタルアーカイブとして知られています。1994年8月、当時の村山富市首相が戦後50周年を翌年に控えて発表した談話のなかで、アジア近隣諸国等との関係の歴史を直視し、これら諸国等との相互理解を一層増進することによって、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の発足を表明しました。この計画の一部として「アジ歴」が構想され、2001年11月に開設されました。

国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所戦史研究センターが所蔵する公文書のうち、近現代の我が国とアジア近隣諸国等との関係に関わる約216万件、約3200万画像の歴史資料をデジタル化して、インターネット上で無償で提供しています。今では近現代史を専門とする国内外の研究者にとって、欠かせない存在となっています。

歴史上の出来事を公文書でたどる展示コーナーや、トピック別に気軽に資料を探せるコーナー、教育用コンテンツなど、一般向けの内容も充実。例えば、様々な歴史上の出来事を公文書によってたどる展示コーナーの「岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~」 においては、1871年12月(明治4年11月)から1年10ヵ月に及ぶ詳細な旅程や、教科書には出てこない随行者や留学生が顔写真入りでかなりディープに紹介されていて、使節団の旅を追体験できます。

「岩倉使節団~海を越えた150人の軌跡」地図のスクリーンショット

このほか、明治・大正の陸軍や復員・引揚の記録、『写真週報』にみる昭和の世相など、硬軟織り交ぜたテーマで様々な歴史資料が紹介されています。公文書に触れて知る歴史の重みを、ぜひ感じてみてください。

後編では、公文書等の管理の公的資格「認証アーキビスト」の誕生や新館建設計画など、国立公文書館のこれからをお伝えしたいと思います。

施設情報

国立公文書館 東京本館(東京都千代田区北の丸公園3番2号)
※展示会情報:開催日時、テーマは公式サイトでご確認ください
閲覧室・開室日: 火~土曜日(9:15~17:00(入室は16:30まで)
閲覧室・閉室日: 月、日曜日、年末年始(12月28日~1月4日)、祝日、その他法令により休日に定められた日
閲覧室入室料:無料
公式サイト

参考文献
『公文書管理と民主主義 なぜ、公文書は残されなければならないのか』 瀬畑源・著 岩波ブックレット No.1000 2019年
『公文書問題 日本の「闇」の核心』瀬畑源・著 集英社新書2018年
『アーカイブズが社会を変える 公文書管理法と情報革命』 松岡資明・著 平凡社新書 2011年
『アーカイブズと歴史学 日本における公文書管理』 小池聖一・著 刀水書房 2020年
『大日本帝国憲法と日本国憲法』石渡隆之・著 『北の丸』第14 号1982年1月
http://www.archives.go.jp/publication/kita/pdf/kita_old1.pdf

書いた人

大阪生まれ、横浜育ち、名古屋を経て東京住まい。就職浪人ののち記者歴20年超。ロスジェネ世代ゆえの粘り強さとフットワークの軽さが身上。小4から新聞中毒。社会問題から舞台やアートなど全方位に興味があり。橋本治に私淑。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター会員で『シアターアーツ』編集部員。アイコンは5歳の時に描いた自画像。正面向きでも鼻を明示したくて青で塗った個性は「五つ子の魂 百まで」。

この記事に合いの手する人

編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。