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Culture
2021.10.04

神代の昔から現代まで、月を愛してきた日本人の心【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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夜更けに浮かぶ月。明け方の白んだ月。月が見えるとなんだか嬉しい気持ちになるのはなぜなのでしょうか。連載「彬子女王殿下と知る日本文化入門」、今回のテーマは月。月見行事の解説とともにご寄稿くださいました。

三日月への夢

三日月が好きだ。子どもの頃から、三日月に乗りたいという夢があり、未だにそれは変わらない。月があの形に削れているわけではないのだから、不可能なのはもちろんわかっているけれど、三日月の下の部分に腰かけて、足をぶらぶらさせながら、地上の世界を覗いてみたい。どんな景色が見えるのだろうかと想像しながら、いつも夜空の月を見上げている。

そんなことをいつも考えているのだけれど、以前聞いたある話を思い出した。ある方が、ロシアのエルミタージュ美術館で「わびさび」をテーマに講演をされたときのこと。西洋の人は、完璧な形のものを美しいと思うかもしれないが、日本人は完璧ではないものに美を見出す。例えば、満月ももちろんきれいだと思うけれど、満月より少し欠けた状態の十三夜や十六夜の月、雲がかかって見えない朧月も美しいと思う。皆さんはどんな月がいいと思うでしょうと語り掛けたら、会場がものすごくざわついたのだそうだ。でも、ロシア語もわからないし、そのまましばらく月の話を続け、終わってからコーディネーターの人にあれはなんだったのか聞いたところ、衝撃的な事実を聞かされたそうだ。「ロシア人は月を見ません」と。

ロシアは寒すぎて、夜に月を見上げている場合ではないのか、緯度が高いので月が出ている時間が短いのか、そのあたりは定かではないのだけれど、「月を見ない」という話は、私にとっても衝撃だった。ロシア文学などに精通しているわけではないけれど、言われてみれば、月の描写はあまりないような気がする。でも、オスカー・ワイルドの『サロメ』には、月の描写が何度も出てくるし、ベートーヴェンのピアノ・ソナタには「月光」という愛称がついているものがある。ゴッホには「星月夜」という作品もある。英国に長くいたけれど、西洋人が月を見ないということはないと思う。同じような文化圏だと思っていても、人々の感覚や習慣が違うと言うのがおもしろい。

日本人の心に根付く月の存在

そう考えてみると、日本人は世界の中でも月が好きな民族なのかもしれない。古事記で「三貴神」と呼ばれる最も尊い神様の一人に、月読命(つくよみのみこと)という月の神様が数えられる。阿倍仲麻呂の「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」など、百人一首の中だけでも、月を詠んだ歌は12首もあるし、「有明の月」「残月」「暁月夜(あかつきづくよ)」「朝月」など、夜が明けても残っている月を示す言葉だけでもこんなにある。

『竹取物語』はもちろん、萩原朔太郎の『月に吠える』という詩集もあれば、滝廉太郎の「荒城の月」という歌も、「月に代わってお仕置きよ!」という美少女戦士が主人公のアニメもある。神代の昔から現代まで、日本人が月を愛してきたことがよくわかる。

春の朧月夜も、冬のきりりとした寒さの中で空高く上がる月も、それぞれに美しいけれど、月の季節と言えばやはり秋だろうか。空気中の水蒸気量が少ないので、くっきりとした月が見えるし、月の軌道も高くなく、低くなく、ちょうど見上げやすい位置にある。だんだんと日が短くなり、過ごしやすくなる秋の夜長は、月を眺めるのに最もふさわしいときといえるかもしれない。

『東都名所 高輪之明月』 歌川広重 シカゴ美術館

日本独自の習慣、のちの月とは

月見と言えば、旧暦8月15日の中秋の名月がよく知られるところだけれど、旧暦9月13日の十三夜の月も、「のちの月」として愛される。8月十五夜の月を芋名月というのに対し、9月十三夜の月は豆名月、あるいは栗名月といい、どちらか片方だけの月しか見ないことを「片見月」として嫌ったのだという。十五夜の月見は、中国から伝わってきた習慣であるが、十三夜の月見は日本独自の習慣であり、醍醐天皇の御代、延喜19(919)年に清涼殿で月見の宴が催されたのが始まりとされている。

『千代田の大奥 月見之宴』 楊洲周延 国立国会図書館デジタルコレクション

月見のときは、十五夜には15個の月見団子に里芋、十三夜には13個の月見団子に豆や栗をお供えする。抜穂祭(ぬいぼさい)、新嘗祭(にいなめさい)など、神事には稲作が結びついていることが多いけれど、月見には、芋、栗、豆といった畑作が結びついていることが興味深い。秋の実りに感謝し、お月様に収穫物をお供えするのが本義であるが、畑の作物を育てるのは月の力が強いと言うことなのだろうか。

桜は満月に向かって咲く

以前、農家の方に、新月のときに種を植えて、満月のときに収穫するといいと聞いたことがある。新月と満月のときに、植物は成長するのだそうだ。桜守の佐野藤右衛門さんにも、桜は満月に向かって咲くと教わった。「今年は開花が遅いとか早いとか言うけれど、満月の日によって変わるんやから、当然のことですわ」と。

植物と月の不思議な関係。現代科学で証明できるものではないかもしれないけれど、昔の人たちは月の力で作物が成長することをよく理解していたのだろう。だからこそ、収穫できたものをお月様にお供えし、感謝の祈りを捧げてきたのだ。

『探幽/拜月布袋図』 松隣模 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp

まだ欠けがある十三夜の月。完璧な丸ではないお月様に、なぜ日本人は思いを寄せてきたのだろう。完璧な人間などこの世にはいない。いつも明るく輝く太陽とは違い、満ちたり欠けたりを繰り返す月に自らを重ね、日本人はつらいときも、悲しいときも、うれしいときも、その思いを託してきたのかもしれない。

「十三夜に曇りなし」といわれる。十三夜の月を見上げながら、今年の私は何を思うだろうか。三日月が見えるまで、まだ間がある。

書いた人

1981年12月20日寛仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。