Culture
2022.01.28

編纂者は辛いよ。記紀神話は高度な政治的配慮の末に成立した?「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇vol.3〜」

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

前回は日本列島人類到達から大和朝廷成立前後まで、およそ四万年の年月を二千字で振り返り、その末に本題「政治的に創作された神々」という重大疑惑にたどりついた。

今回はいよいよ重大な謎に迫ります!

記紀神話の謎に迫る!

この疑惑の前提となるのが、記紀神話は決して「昔から伝わっているお話をそのまま書きました」というような単純素朴なものではなく、むしろ高度な政治的配慮の末に成立したとする説である。

さて、ここでいよいよ疑惑の主である神々にご登場いただこう。

それは『古事記』の天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)の二柱だ。

再度『古事記』の記述を確認しておきたい。
天地開闢最初期の高天原には、天御中主神、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)、可美葦牙彦舅神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神の五柱の神が生まれたとしている。彼らは何もないところから独力で出てきた強力な神々ということで、天津神の中でも特別な地位を与えられ、別天神(ことあまつがみ)と呼ばれる。天津神とは日本神話において高天原系統に属する神々の総称だが、そのトップグループのうち5分の2までが『古事記』が書かれた時代に新しく創出されたのではないか、とする説があるのだ。

では、なぜそう考えられるのだろうか。

それは、二柱ともほぼ「ここにしか記述されない神」だからだ。さらに、古代に祭祀されていた形跡が見当たらないのだそう。

「え? 天御中主神とか天之常立神を祀っている神社、行ったことあるよ?」という方。残念ながら祀られるようになったのはぐっと下った後代、中世以降のことなのである。

これといった痕跡がないのは、引きこもり神だったからでは? とも考えられる。
だが、同様に引きこもり扱いされた高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かむむすひのかみ)は、十世紀に編纂された古代法典集『延喜式』の「神名帳」に名前がある。彼らは宮中でばっちり祭祀されていたのだ。

それにしても、ボッチ五神衆のうち二神までが「創出」疑惑の対象だとは……。
やはり、我が国がボッチ大国というのは、私の思い込みに過ぎなかったのか?

いや。
我々には、宮中で祭祀される由緒正しき神々である高御産巣日神と神産巣日神がいる。
だから、ボッチ国と言えなくはない。ただ論拠が少々薄くなってしまっただけである。
にしても、なぜ当時の人々は神話に新しい神を付け加えようと考えたのだろうか。
そこには古代日本を巡る事情があった。

神話に新しい神が登場した謎に迫る!

古墳時代を経て、6世紀末頃までには、大王をトップとする大和朝廷が日本の西半分をほぼ掌握した。だが、大王家が絶対君主として君臨していたかというとさにあらず、有力豪族との合同政権であり、大王家といえども安泰ではなかった。

そうした中、安定した国を作るにはお隣の先進国・中国の制度を学ぶのがベストと、意識高い系の施政者たちは考えた。中国大陸では583年に隋王朝が成立。律令、つまり法律を元にした中央集権体制を整え、大帝国を築いていた。大王家の人々が憧れたのも無理ない。「律令国家ってヤバくね? まじリスペクト」ってな感じだったんだろう。

とにかく、7世紀に入ると新世代の政治家たちが大和朝廷をグローバルスタンダード化すべく、猛烈に動き始めた。十七条憲法を制定したとされる聖徳太子をはじめ、次世代の天智天皇や天武天皇は律令国家を目指した。記紀を始めとした史書の編纂も、そうした流れの中で発生した国家事業だった。国の起源を明らかにし、大王家、後の天皇家が歴史的に見ても日本の正当な支配者であると示さねばならなかったのだ。

日本書紀は、「国家史の正式な集大成」として編まれた。

編集方針は次の通り。
1.書式はグローバルスタンダードである中国史書の書式を採用。
2.神話の妥当性は権威ある中国の道教/陰陽思想を借用し、補強する。
3.全体としては大王家に伝わる神話(当時の人々にとっては歴史)を本筋とする。
4.但し、他豪族の伝承も無視できないので「*注 諸説あります」形式を採用して併記する。

神話といえども国の内外に気を使わなきゃいけないなんて、編纂者もさぞ苦労したことだろう。特に方針4なんて視聴者からのクレームに備えるテレビ番組みたいで、ちょっと微笑ましい。

意識高い系といい、注意文言を入れるあたりといい、現代の私たちと似ていて親近感が湧きます

一方、古事記はもう少しプライベートな史書として編まれたという。つまり、大王家に伝わっていた話をよりコンテンポラリーに作り込み、整理したのだ。道教/陰陽思想の援用は、『日本書紀』に同じ。なにせ、中国の思想は当時の日本にとっては最先端。最高にクールなトレンドだったわけで、そんな知識を持っていること自体が最高権力者としてのステイタスだった。

こうした流れの中、道教的な文脈から天御中主神は天の主宰神として新規創出、天之常立神はオリジナル神である国之常立神(くにのとこたちのかみ)と一対、つまり陰陽バランスを取るための神として新規設定された、とする説が有力だ。しかし、その他の神々は、一応“本当に伝わっていた古き神々”と見てよいらしい。

記紀神話は目的が違っていて、こういうことになったんですね

とりあえず「日ノ本はボッチ国」説を捨てずにすみそうである。小声でなら「日本はボッチがデフォルトの国だよ~」と言っても怒られないだろう。竜頭蛇尾な結論で甚だ無念ではあるが、仕方あるまい。

というわけで、次からはもっと大きな声で自説を主張できるようにするため、日本神話の中のさらなる「ボッチ神」を見つけていこうと思う。

(つづく)

▼「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇〜」シリーズはこちらからチェック!

書いた人

文筆家、書評家。主に文学、宗教、美術、民俗関係。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』『文豪の死に様』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。関心事項は文化としての『あの世』(スピリチュアルではない)。

この記事に合いの手する人

編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。