日本文化の入り口マガジン和樂web
12月9日(金)
柴扉暁に出づれば 霜雪のごとし(廣瀬淡窓)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
12月8日(木)

柴扉暁に出づれば 霜雪のごとし(廣瀬淡窓)

読み物
Culture
2022.04.20

流れてきたのは、生首と同船する若い女。グロテスクで過激な江戸の偏愛奇談

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

日本の古い物語には、さまざまな恋のかたちが描かれている。もっとも、そのすべてが心暖まる愛のドラマ、というわけではないけれど。ラブストーリーが語られるとき、私たちは恋する二人の末路に関心を寄せずにはいられない。

忍ぶ恋。道ならぬ恋。裏切りの恋。引き裂かれた恋。死して成就する恋。あるいは、歪んだ恋……。

今回紹介するのは、執着と念から生まれた江戸の歪んだラブストーリー。過激すぎる愛は不幸を招き、ときに恐怖を連れて来る。

この先、怖いお話が苦手な方は閲覧注意です!

『奇異雑談集』より「古堂の天井に女を磔にかけをく事」

情男の生首を愛おしむ女の話


ある修行僧が中国地方を旅していた。
日が暮れたので、僧は山中の荒れ果てた古堂に一夜の宿を借りることにした。

その晩、松明を振りたてた男がやってきて堂の天井に上り、磔柱に縛りつけられた若い女の体を激しく叩きながら「まだ、しにをらぬか」と罵りはじめた。女のほうは「もうはや、おゆるしあれ」と何度も詫びている。

男が闇夜に消えて松明が見えなくなると、僧は天井の女に事情を尋ねた。女の言い分は次のようなものだった。

女は、松明の男から身に覚えのない外夫(マヲトコ)の疑いをかけられていた。そこで、たまたま一緒にいた若者を殺して「くびをとって、そこにをかれ候」ということらしい。しかも、この責め苦は六晩も続いているという。

これも仏の慈悲。
僧は女を解いてやると、里に送り届けてやった。娘は死んだと思っていたのだろう。女の両親は泣いて喜び、僧を篤くもてなしてくれた。

僧が発つ日のことだった。娘は心ばかりのお礼にと、「小つづら」を手渡した。しばらく持ち歩いたが、この箱、重すぎる。いったい何が入っているのかと、僧は中身を確認しようと蓋を開けた。すると、そこに入っていたのは幾重にも包まれた、男の首だった――。

しかも「くさりてくさき事」このうえない。鼻をつく酸っぱい匂いに身の毛がよだつ。僧は生首を谷底に投げ捨てて立ち去った。やはり、あの娘は密通していたのだ。

わ、悪い女だ~~!!

「宿直草(とのいぐさ)」より「女は天性肝ふとき事」

死体を踏みしめて川を渡る女の話

津の国、富田庄(とんだしょう)に住んでいる女がいた。女は毎晩、一里もある男のもとへと通っていた。里の犬の吠える声、人々の好奇の目。細い田んぼの畦は心細く、それでも女が男のもとへ通ったのは、ただただ恋のためだった。

道の途中には「西河原の宮」という深い森があった。そこを越えるには一本の小川を渡らなくてはならない。

ある晩、女がいつものように男のもとに向かっていると、川にかけられているはずの橋がなくなっていた。これでは男のもとへは行かれない。どうしたものかと困っていると、浅瀬に一人の男が仰向けに倒れて死んでいるのが見えた。これは幸いと、女は死人の体を橋代わりにして小川を越えた。

しかし、男の死体が女の着物の裾に食いついて離れない。女はなんとか死体を引き剥がすと、しばらく歩いて、ふと思った。

「死人に心があるはずない。なのに、なぜ私の着物の裾に食いついたのだろう?」

女は死体を放置した場所へと戻ると、わざと着物の裾を死人の口に入れ、先程と同じように胸板を踏んで川を渡ってみた。すると死人は、口でぐっと着物の裾を噛み締めた。

男の家に着くと、女は先ほど遭遇した死人の話を聞かせた。すると男は、女の常軌を逸脱した振る舞いに肝を潰して、女を遠ざけるようになったという。

死体を見つけて「これは幸い」とか思っちゃう女性はちょっと……。

「藤岡屋日記」

幕末期江戸の世相を書き留めた『藤岡屋日記』。ここには、江戸中を騒然とさせた猟奇事件が克明に記されている。そのひとつが、世にも恐ろしい漂流物である。 

痴情の果てに水に漂う女体

天保十(1839)年、江戸の小日向の上水に首なしの死体が浮いているのが見つかった。死体の身元は、今井駒次郎という浪人の女房。夫の浮気が発覚したことから別れ話になったという。

「百五十両払うから離縁してほしい」夫からの申し出を頑なに拒否した女は、嫌気が差した夫に喉を突かれ、首を掻き切られた。そして簀巻きにされた挙句、水中に投げ捨てられたのだった。

一度は愛して妻にした女。憎しみの深さが感じられる狂気じみた事件である。

生首と一緒に戸板流し

『東海道四谷怪談』 歌川国貞 1825年 「仏小兵衛二役 尾上 菊五郎」(「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)」より)伊右衛門によって殺されたお岩と小平の死体が戸板の表裏に打ち付けられている。

嘉永二(1849)年、盆の頃。
江戸は、男女の体が打ちつけられた戸板が大川(現在の隅田川の下流)に流れていたとの話でもちきりだった。打ちつけられた体が川を流れている…それだけでも恐ろしいが、なんと男のほうは首だけという有様だった。一緒に打ちつけられた女のほうはまだ息があって「助けて」と繰り返し叫んでいたらしい。

原因は痴情のもつれだった。
寵愛する妾が家来と密通したと知って激怒した殿様が、家来を手討ちにした。それでも怒りがおさまらなかったのだろう。今度は妾を戸板に打ちつけて、件の家来の首と一緒に川に流したという。

この事件には、続きがある。
不義を犯した妾には殿様とのあいだに7歳になる女の子がいた。愛する男が手討ちになったと知った妾は、娘が告げ口したと疑い、憎しみから我が子を喰い殺してしまったという。あくまでも江戸の町の噂に過ぎないけれど。

信じるか信じないかは、あなた次第……。

世にも恐ろしい漂流物たち

『源氏雲浮世画合』『紅葉の賀』『遠藤武者盛統』 歌川国芳 1846年(「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)」より)

愛しているから憎しみが募る。ふつうの感覚の持ち主ならできないが、過激な情が人を狂わせるのは今にはじまったことではない。生首が漂流しているなんて怪異小説のなかだけと思うかもしれないが、この時代、生首はちょいちょい水のうえを漂っていた。

朝口重章『鸚鵡籠中記』元禄十二(1699)年の記事は、恐ろしい漂流物があったことを記録している。記事によると、伊勢方面から熱田に流れ着いた空穂船(うつぼぶね)に美しい宮女が坊主の首と一緒に乗っていたという。船には二十両の金が置かれており、発船の日付と百日経てば陸に上げてもよいと記された書付が添えられていた。

江戸に流れ着いた戸板流しの景を思わせる事件だが、この衝撃的な船は当時かなり話題になったらしい。重章は作り話だとしているが、なにせ300年も前のこと。真偽のほどはわからない。

また、安政四(1857)年の『大阪絵新聞』もおぞましい漂流物があったことを伝えている。その年の四月、大阪は天保山の沖合に箱舟のようなものが流れ着いたという。箱舟は格子付きで、内部のようすが見えるようになっており、涙にくれる若い女と男の生首を乗せたまま海上を漂っていた。

江戸の世相を書き留めた『藤岡屋日記』には、痴情のもつれで川へ流された女の死体のことが記されている。真偽のほどは分からないが、今よりずっと生者と死者の世界が近かった時代である。首なし死体や、あるいは首だけが川を漂流していたとしても不思議はない。

どんぶらこ、どんぶらこ……と大きな生首が……。

江戸の偏愛と怪談

『仮名手本忠臣蔵]』 歌川豊国 歌川国貞 1854年 (「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)」)

生首の怪異ばなしは『新御伽婢子(1683年)』にも登場する。生首は怪奇物語の世界には欠かせないモチーフのようだ。この生首は若い娘のもので、腐りもせず美しいまま、京の若僧との交情を楽しみさえするのである。

これによく似た内容が唱導話が臨済宗系の説教書『怪談信筆(1715年)』にもみられる。唱導とは、仏教の経典を講じ教義を説くこと。物語が誕生した背景から読み解くと「女の生首」の話は、もともと布教の場で生まれたらしいということがわかる。

色欲と女の念が、生首の例のように怪談じみた現象と結びついていく。人間存在に驚愕の念を抱き、人の内面の深い部分に化け物の住処を見いだしていた江戸の人びとにとって、怪異とは人間の心のなかに棲むものだったのかもしれない。

とするなら、激しい恋情や男への執着、淫女の業といったイメージと共に描かれる〈生首〉は、「執着する女の怪」の一種だったといえるだろう。

例え首だけになってもあなたを見ていたい……。

おわりに

この時代の怪談ばなしの最大の魅力は、どこからが幻想でどこまでか現実かわからないことにある。太平がうちつづいた江戸時代は、怪談が好まれた時代でもあった。『お伽夜話』『百物語』『諸国話』などの怪談ばなしは、いま読んでも背筋がぞっとする薄気味悪さだ。

江戸時代のラブストーリーには恐怖がまとわりついて離れない。しかし、どれも愛ゆえに引き起こされた痴情の果ての結末であることを思うと、人間とはなんて悲しくて恐ろしい存在だろう。

そういえば、愛=美しいもの、とは限らないなぁ。愛とは一体。

【参考文献】
『女人蛇体―偏愛の江戸怪談史』 堤邦彦、2006年、角川叢書
『大江戸残酷物語』 氏家幹、2002年、洋泉社、  

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。