はじめて祖父母の家に訪れた時、日本家屋を新鮮に感じたことを覚えています。障子や襖、畳などは生活の工夫に満ちており、独特の風情があって強く記憶に残りました。
ところで、アートの世界では襖絵などで知られている「襖」を主役に据え、舞台芸術にした習俗があるのをご存知でしょうか。今回は、そんな襖を生かした習俗「襖からくり」をご紹介すると共に、襖からくりを題材にして小説『春荒襖絡繰(はるあれふすまからくり)』を執筆された藍銅ツバメさんに、襖からくりの魅力について語っていただきます。
襖からくりとは。発祥と魅力
そもそも襖からくりって何?
人形浄瑠璃の舞台背景や、幕間の舞台美術として発達した習俗
昔、農村の神社には野舞台があり、農閑期には村人たちが歌舞伎や文楽、人形浄瑠璃を上演していました。徳島県では人形浄瑠璃が盛んに行われており、人形浄瑠璃の舞台背景では襖絵が使われていました。また襖絵は、人形浄瑠璃の公演の幕間に、観客に見せる舞台美術として使用されたとも言われています。この襖絵にからくり要素を付加し、進化させたものが襖からくりです。
襖からくりには動かすしくみが必要ですが、この芸能が可能となったのは人形浄瑠璃から派生したためと推測されます。人形浄瑠璃のからくりを襖からくりに応用・転用したのでしょうし、からくり要素を実装することに長けた人がいたから成立したのだと思います。
襖からくりにおいては、さまざまなモチーフが分割して描かれた襖絵が、紐や縄などで一枚ずつ結ばれて、舞台の裏側につながっています。それを複数の人が操作して、縦や横に移動させ、回転させるしくみです。
からくり仕掛けの種類は十種類程度あり、地域独自の仕掛けもあるそうです。操作は複雑で難しく、長時間の稽古と熟達した技が必要だといいます。なお、「阿波の襖カラクリの習俗」は中国・四国の無形民俗文化財として認定されています。
襖からくりが上演された時代
徳島県にて明治前後にさかんに開催
襖からくりに関しては、全国各地で似た技法が見られるそうですが、特に徳島県では独立した演目として行われてきました。
襖からくりは、日本三大秘境のひとつである三好市の祖谷(いや)や、由緒ある寺院が多く残る徳島市の八多町(はたちょう)にある犬飼農村舞台などで開催されましたが、今回ご紹介する動画や画像は、かつて阿波人形浄瑠璃が盛んに上演されていた名西郡神山町(みょうざいぐんかみやまちょう)のものです。神山町では172組、1459枚もの襖が残っており、77組731枚が町有形文化財に指定されています。
なお、神山町の野舞台「小野さくら野舞台」では、毎年4月の第2日曜日に定期公演が行われています(現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休演中)。
襖からくりは、恐らく明治時代前後に盛んだったものと思われます。
神山町のデジタルアーカイブ『デジタル襖からくり全編』に登場する襖絵の多くは明治時代に制作され、また有形民俗文化財に指定されている三好市指定の「徳善(とくぜん)からくり襖絵」も明治~大正のものとされています。
襖絵は、龍虎などの古典的なモチーフから青海波に似た文様のみが描かれていることもあり、具象から抽象に至るまでかなり幅広く描かれています。次にどういう絵が出るか全く予測がつかず、最初から最後まで目を離せないのも魅力の一つです。
遠近法を駆使したダイナミックな表現
見る者を異界に誘う不可思議な魅力
襖からくりのクライマックスは、襖を奥へ奥へと開けていき、千畳敷の大広間を出現させるシーンです。そのダイナミックな情景には遠近法が用いられています。
西洋画の技法が一般化していなかったと思われる状況で遠近法を活用し、一枚の平面ではなく数段階の奥行きを活かして創作するとは、当時の画家たちの感覚の鋭さと工夫に驚きを感じます。
新しい表現を知ることが多くなかったであろう当時の人々にとって、非常に刺激的だったことでしょう。実際、当時の観衆は、人形浄瑠璃においてこの千畳敷の御殿が登場すると、拍手喝采で歓迎したそうです。
襖からくりの襖絵は、日常を描いているものはほぼ見受けられず、また人形がいるという前提で描かれているせいか、人の気配がなく、異界に誘われているような感覚に陥ります。
襖という、暮らしに根づいた道具が使われていることを考えると意外な感じもしますが、襖はそもそも寝所の間仕切りとして使用する「ふすま障子」であり、「ふすま」の語源は夜具の一種である「衾(ふすま)」だといいます。襖からくりが異界の入り口に思えるのは、そもそも襖が夢の世界に親和性があるからかもしれません。
また襖からくりが舞台芸能として優れているのは、もともと襖絵が平面的な一枚の絵というよりは、描かれていない部分や奥行きを想像させるものであり、部屋の立体空間を構築するものだからだと思います。
昭和に入ってしばらくすると、襖からくりはテレビの普及と村の過疎化などで衰退したとされています。人形浄瑠璃などに比べれば、まだまだ知名度が低いのが現状です。しかし情景が一瞬にして切り替わり、想像を超えた世界が展開するさまは、他の芸能や表現にはない独特の迫力と魅力を備え、現代に生きる私たちを驚嘆させる力を持っているように思います。
藍銅ツバメさんが語る襖からくりの魅力
襖からくりは、歴史的な背景とアートとしての見どころを兼ね備えた貴重な伝統芸能ですが、鑑賞するには徳島県に足を運ぶ必要があり、実際に舞台を見た人の感想を聞く機会は少ないと思います。今回は、徳島県に滞在なさったことがあり、襖からくりを実際にご覧になった上で小説『春荒襖絡繰』の題材にされた藍銅ツバメさんにお話を伺いました。
※取材中は、マスクを着用しております。
襖からくり鑑賞時の感想
さまざまな人が惹きこまれる、魅力的な舞台
――藍銅さんは、以前徳島にお住まいで、その時に襖からくりをご覧になったそうですね。どれくらいの年齢の時にご覧になったんでしょうか?
藍銅:確か中学二年生ですね。中一の夏に大阪から徳島に引っ越したので、その後になるのですが、見た場所は神山町の舞台だったと思います。子どもからお年寄りまで、いろいろなお客さんがいらっしゃいました。遠くから来ている人もいて、当日は駐車場が拡張されて賑わっていましたね。
――いろいろなお客さんがいらしていたんですね。どんな様子でしたか?
藍銅:私が鑑賞した時は、最初は人形浄瑠璃が上演されて、その後で襖からくりが上演されました。その時は中ニでしたし、自分から進んで見に行ったわけではないのですが、舞台が大きくて見ごたえがありましたし、すぐに惹きこまれました。
――鑑賞時の内容や感想などをお話いただけますか。
藍銅:人形浄瑠璃の演目は、恵比寿様が鯛を釣り上げるという内容の『恵比寿舞』だったと思います。演目自体が楽しい内容で、人形の様子も面白かったです。
襖からくりは、襖の絵の力や、絵がぱっと切り替わる感じなど、大変迫力があって強く印象に残っています。三味線や拍子木も、雰囲気を盛り上げていましたね。
あと、その時に見た襖絵には虎が出てきて、かわいらしくて記憶に残っていたのですが、今回小説執筆時に参照した「神山タイムズ(襖からくり)平成28年2月」や神山アーカイブスの映像などにもかわいい虎が出てきたので、懐かしいなと思いました。虎が猫みたいなんですよ。
――今回執筆なさった小説『春荒襖絡繰』の主人公も、中学二年生で襖からくりを見ていますね。
藍銅:今回の小説は、私の気持ちをそのまま書いている部分が大きいと思います。例えば小説の中で主人公の兄が弓道部に入っているのですが、私も弓道部に所属していたので、その経験を生かしています。
今回は思い出の要素が強いということで、主人公の名前「藍子」には私の苗字「藍銅」の一部が入っているのですが、徳島の名産が藍だということも意識しています。また、藍子と同じように私にも兄がいる点なども共通していますね。
――かつて藍は徳島の経済に利益をもたらし、人形浄瑠璃を行う際の資金源にもなっていたかと思いますので、「藍子」という名前は襖からくりにも間接的に関わってきますね。
伊藤若冲の鶏、鈴木其一の青……
想像力を刺激する、奇想の画家たちの作品
――普段ご覧になるアートの中で、もしも今回の襖からくりの絵に関連するようなものがあれば、教えていただけますか。
藍銅:2019年に東京都美術館で開催された『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』※(1)を鑑賞した際、伊藤若冲※(2)の絵が好きだなと思いました。若冲の絵の中だと、特に鶏の絵などに惹かれたのですが、今回参照した神山町アーカイブの襖からくりの画像に鳳凰が登場しており、鳳凰の頭の部分は鶏が元になっているので、若冲を連想しました。
※(1)『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』……2019年2月9日(土)~4月7日(日)の期間、東京都美術館で開催された展覧会。1970年に出版された辻惟雄による書物『奇想の系譜』に登場する岩佐又兵衛(いわさまたべえ)、狩野山雪(かのうさんせつ)、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)、曽我蕭白(そがしょうはく)、長沢芦雪(ながさわろせつ)、歌川国芳(うたがわくによし)の六人の画家に白隠慧鶴(はくいんえかく)、鈴木其一(すずききいつ)を加え、彼らの代表作を紹介した。
※(2)伊藤若冲(1716~1800)……江戸中期に京都で活躍した絵師。錦小路の青物問屋の長男として生まれ、40歳で家督を譲り画業に専念、晩年まで絵を描き続けた。卓越した技巧とユーモラスなモチーフ、既成の画風をデフォルメして生み出した幻想性などが高く評価されている。なお、2016年に東京都美術館で開催された『生誕300年記念 若冲展』が「若冲ブーム」と「江戸絵画ブーム」を引き起こした。
――若冲は動植物を描くのが得意な絵師でしたが、特に鶏の絵は素晴らしいですよね。また、神話や物語や絵からどんどん想像が膨らんで創作に繋がるのは、小説家らしいなと思います。
藍銅:襖からくりには、鳳凰の他にも、龍や虎、亀などが出てくるので、中国の神話で方角を司る霊獣である青龍・朱雀・白虎・玄武あたりを象徴しているのかもしれない、などと想像が膨らんで楽しかったです。
あと、『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』の中では、鈴木其一※(3)の『夏秋渓流図』の青の色がきれいで印象に残りました。
※(3)鈴木其一(1796~1858)……江戸後期の絵師で、江戸琳派の祖である酒井抱一(さかいほういつ)に学ぶ。継承された作風を独特の感覚によって表現し、琳派の造形美を近代につなぐ役割を果たした。なお近年の「奇想の絵師」ブームによって注目され、俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一に次ぐ琳派の大家として認知が上がりつつある。
――『夏秋渓流図』の色味は金地に青と緑が鮮やかで、目に焼き付きますよね。画家が独特の色彩感覚を持っていたのだろうと思います。
他にも其一は、『朝顔図屏風』において、朝顔の群青色の花びらの部分は、岩絵具の接着剤の役割を果たす膠(にかわ)の量を減らし、岩絵具がぎっしり定着するように重ね塗りしていたといいますので、色味に強いこだわりがあったのでしょうね。
藍銅:私は自分の名前にも「藍」という字を入れているくらい青色が好きなので、青が入っている絵に惹かれるのだと思います。
――そうなのですね。また「藍」と言えば、其一の生い立ちははっきりしないところが多いのですが、一説には紺屋の家に生まれたと言われているので、もしかすると藍色にこだわりがあったのかもしれません。そんな点が、今回の小説『春荒襖絡繰』の主人公、藍子の名前にも繋がってきて面白いですね。
創作の糧になる襖からくり
今後も受け継がれてほしい伝統芸能
――『春荒襖絡繰』には、襖絵の中に子どもが出てきます。通常の襖からくりには人の気配がないので、藍銅さんオリジナルだなと思いました。
藍銅:襖からくりを見た当時、襖絵が広い座敷の絵に切り替わったのを見て、ここに誰かがいるんじゃないか、という不思議な感じがしたんです。実際の襖からくりの絵には子どもは出てきませんが、その時感じた人の気配の想像を膨らませて、今回の小説の根幹にしました。
――襖からくりは一年に一度実施されていましたが、今は新型コロナウイルスの影響で中止になっています。状況が良くなったら是非再開してほしいですね。
藍銅:本当ですね。襖からくりは綺麗で大掛かりで怪しくて、記憶に残る大変優れた芸能だと思いますので、是非実際に見ていただきたいですし、今回は小説という形で世に広まるといいなと思っていまして、今後、毎年開催されることを願っています。
あとは、阿波の襖からくりもそうですが、各地にはあまり表に出てこない伝統芸能などもあるでしょうから、そういうものがもっと人に知られ、見られるようになるといいなと思います。
photo by 久下典代
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