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2022.11.17

【11/28発売】『日本文化POP&ROCK』刊行記念!第1章ぜーんぶ見せます☆浮世絵をポップに学ぼう

この記事を書いた人

和樂webの人気コンテンツ、セバスチャン高木とサッチーのポッドキャスト「日本文化ラジオ」を書籍化した『日本文化POP&ROCK』(笠間書院刊)が2022年11月、発刊されました。

ここでは刊行記念として、この本の「第1章」を特別に【全文公開】いたします!

【本の目次】
はじめに
第1章 世界最高のコンテンツビジネス! 浮世絵をポップに学ぼう←ココを全文公開!
第2章 エンタメ黄金期の超スター・近松門左衛門と歌舞伎バーリトゥード
第3章 DEEPでDOPEな芭蕉の俳句の世界
第4章 茶の湯はロックだ! それは転がり続ける美の石ころ
第5章 まだまだある! 世界をトリコにした浮世絵進化論
第6章 誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ
第7章 今こそ正義の話をしよう。幕末とはなんだったのか問題
おまけ 平安ナイトクラブオープン! 古典は高尚なものという先入観を解放せよ!

ぜひお楽しみください☆

世の中が「憂世」から「浮世」に!そこで誕生したのが浮世絵だった

浮世絵には肉筆と版画がある

高木 最初のテーマは「浮世絵って何?」という話です。

サッチー そもそも浮世絵の「浮世」って何なんでしょう?

高木 浮世絵は、読んで字のごとく「浮いた世」を描いたから「浮世」「絵」と言います。浮世絵が描かれたのは江戸時代なので、それまでを戦国時代としましょう。戦の多い世の中ってどう思いますか? 私たち庶民にとって……あれ、サッチーって庶民?

サッチー 貴族です(うそ)。

高木 ちょっと想像してみましょう。仮に応仁の乱(1​4​6​7~7​7)からだとすると、1​0​0年以上続いた戦国時代。織田信長とか武田信玄とか、あるいは豊臣秀吉みたいな戦国武将はいいですよね。「下剋上だぁ!」とか「天下統一!」とか言って戦に明け暮れていればいいんですから。だけど「僕みたいな庶民はどうなっちゃうの?」ってことです。

サッチー うーん、どういうこと?

高木 ワーッと戦が始まって、その時にまず何が起こるかというと、武士たちは敵の領地の田んぼや畑を焼きはらいます。そんなことされたら庶民はいったいどうなるのって話ですよ(怒)。

サッチー 食べるものも納めるものも……(涙)。

高木 庶民にとってこんなにたまらない時代はありません。戦国時代は憂鬱の「憂」と書いて「憂世」だったのです。それが江戸時代になって戦がひと段落すると、庶民の心がポジティブになります。

サッチー 楽しくハッピーな世を描いたから「浮世絵」なのですね。

高木 そうです。だから、徳川家康がいなかったら浮世絵は存在していなかったかもしれません。……と、ここまでめちゃくちゃバクっと話をしているので細かなツッコミはご遠慮ください。とにもかくにも、浮世絵は浮いた世の中を描いたもの。技法ではなくて、何を描いたかによって定義されるものです。ちなみに、浮世絵には「版画」と「肉筆」の2種類があります。

サッチー えっ! 版画しかないと思っていました。

©時松はるな

高木 私たちが浮世絵と聞いて思い浮かべる、葛飾北斎(1​7​6​0~1​8​4​9)の『冨嶽三十六景』歌川広重(1​7​9​7~1​8​5​8)の『東海道五十三次』は、まず、北斎や広重などの絵師が下絵を描いて、次に下絵を貼った木を彫師が彫り、最後に摺師が彫った木に色を載せて紙に絵を摺る。ですから、絵師が描いた下絵は浮世絵を制作する際に失われてしまうのです。これに対して肉筆は、紙や絹本と呼ばれる絹に筆などで描いたものということになります。技法を称しているわけではないので肉筆の浮世絵もあります。
 ただ、世の中はサッチーと同じく、浮世絵と聞けば版画をイメージする人が圧倒的に多いと思うので、ここからは版画に絞って話をしていきます。もちろん肉筆にもすばらしいものがたくさんありますが、それはちょっと置いておきましょう。というのも、浮世絵は印象派をはじめとする世界のアートに大きな影響を与えたことでも知られていますが、もし浮世絵が肉筆しかなかったら、果たしてそこまでの影響力があったのだろうかと思うからです。

サッチー どういうことですか?

髙木 浮世絵版画は「摺られる」ことで、一般消費者向けのプロダクトとしてものすごい枚数が流通しました。それが大量に海外に流出したので、世界のアートに影響を与えたのです。もし肉筆による1枚の絵しかなかったとしたら、極東の島国の絵師・北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』に見られる波の絵が、モナリザに次いで「世界で二番目に有名な絵」として知られることはなかったのではないでしょうか。

サッチー なるほど。「摺る=印刷機でコピーする」みたいなことなのですね。というか北斎の波の絵って「世界で二番目に有名な絵」なんですか?

髙木 その真偽に関してはここでは不問としましょう。

サッチー 詳しくは聞かないでおきます(笑)。

押さえておきたい浮世絵キーパーソン

髙木 突然ですが質問です。浮世絵はいつから始まったでしょう?

サッチー まったくわかりません(きっぱり)。

髙木 浮世絵のスタートにはいろいろな説があるのですが、まず覚えておかなくてはならない人物が菱川師宣(?~1​6​9​4)です。彼の名前は知らなくても、切手にもなった『見返り美人図』はどこかで見たことがあるのではないでしょうか。菱川師宣が浮世絵を描いたのは1​6​7​0年頃でした。関ヶ原の戦いが1​6​0​0年ですから、江戸時代が始まってだいたい70年くらい経った頃、菱川師宣によって浮世絵が誕生したということになります。

菱川師宣『見返り美人図』出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

サッチー 平和な世になって約70年、みんな相当ウキウキしてきた?

髙木 もう浮っき浮き。この時代に菱川師宣が一枚の絵として楽しめる浮世絵を描きました。次に覚えておきたいのが、菱川師宣から1​0​0年くらい後に生まれた鈴木春信(1​7​2​5?~7​0)です。春信は私たちがよく目にする「錦絵=カラフルな浮世絵」を開発しました。

サッチー カラフルな浮世絵?

髙木 錦絵とは、いろいろな色が使われた派手な絵のことです。それまでモノクロや2、3色だった絵をカラフルにしたのが春信。そこから一気に浮世絵が広がっていきました。そして、世界的にも有名な浮世絵のスーパースター・葛飾北斎が波の絵を描いたのは、浮世絵が誕生して1​5​0~1​6​0年くらい経ってからのことです。

サッチー そう考えると北斎って意外と最近の人ですね。

髙木 とにかく、浮世絵は庶民が楽しむものであったということが重要です。その頃ヨーロッパでは、アートは金銭的に余裕のある人が楽しむものでした。しかし、江戸では庶民がウキウキと浮世絵を楽しんでいたのです。上流階級やお金持ちだけでなく、庶民がアートを楽しんでいたということが、浮世絵の本当のすごさかもしれません。

鈴木春信が始め、喜多川歌麿が極めた「美人画☆レボリューション」

浮世絵がアイドルビジネスになった

サッチー 「レボリューション」って、お笑い芸人のゴー☆ジャスさんのネタ?

髙木 ネタじゃありません(涙)。その説明の前に、浮世絵の歴史は幕府との闘いの歴史でもあったという話から始めましょう。江戸幕府はたびたび庶民の暮らしを引き締めるために改革を実施しました。江戸の三大改革と言えば享保の改革、寛政の改革、天保の改革ですね。最初に登場する享保の改革(1​7​1​6~4​5)によってエロ、つまり春画が規制されました

サッチー 春画って何ですか?

髙木 男と女のまぐわいを赤裸々に描いた浮世絵のことです。

サッチー まぐわいって?

髙木 それは自分で調べてください(汗)。幕府に規制された春画は地下に潜ってアングラ化します。しかし、いつの時代もエロは金の生る木。アングラ化した後もじゃんじゃん資金がつぎ込まれ、春画は裏の世界でとんでもなく発展していきました。春画については後ほど詳しく説明します。

サッチー エロのパワー、恐るべし。

髙木 暴れん坊将軍のモデルである8代将軍・徳川吉宗によって実施された享保の改革は、緊縮や目安箱など、結構ケチ臭いものだったと言われています。その反動もあって、政治の中心に躍り出たのが、教科書では「悪いヤツ」とされることが多い田沼意次です。

サッチー 賄賂の人というイメージです。

髙木 ドラマなどではそのように描かれることが多いのですが、実はそれだけではなかったというのが最近の評価です。田沼意次は江戸時代にあって商業を重視する政策を進めた人物であり、それによって江戸はふたたびキラキラ時代を迎えました。

サッチー 再びウキウキ「浮世」を取り戻したんですね。

髙木 そこで登場したのが鈴木春信。私たちは浮世絵と言えば色鮮やかで華やかな絵を思い浮かべますが、それを作ったのが美人画を得意とした鈴木春信だったのです。当時江戸では絵暦、いわゆる携帯式のカレンダーが流行していて、最高にイケてる暦を作っていたのが春信だった。それに目をつけた版元が絵暦を一枚絵の浮世絵として販売した……、これが「カラフルな浮世絵=錦絵」の始まりだと考えられています。

サッチー 春信、オシャレだったんですね。

髙木 春信の絵、特に美人画にはそれまでの浮世絵にはない魅力が3つありました。
 ひとつ目が、豪華で上質だったこと。
春信以前の浮世絵はモノクロや2、3色だったのですが、それがいきなり7色ほどのカラフルなものになります。さらに空摺り(エンボス加工のようなもの)という技法をはじめとして、ありとあらゆる技が詰め込まれました。一説によると春信の浮世絵は他に比べて数倍の値段がしたそうなのですが、それが右から左へ売れていったとか。
 そしてふたつ目が「ポエティック」、つまり詩的であったということです。

サッチー 高木さんは自称「ロマンティスト」ですよね。

髙木 そ、そうですね(笑)。例えば『雪中相合傘』という雪の中で男女が相合傘をしている絵があります。この絵はカップルが心中する道行を描いたもので、このような心理描写を浮世絵で表現する手法も春信の専売特許となっていきます。

鈴木春信『雪中相合傘』メトロポリタン美術館

サッチー うつむき加減の雰囲気がたまらなくいいですね。

髙木 そして3つ目が「見立て」です。春信は『源氏物語』などの古典を当世風に描く「見立て絵」で人気を博しました。千利休(第4章参照)が魚を捕る時に用いるびくを花入に見立てたと言われるように、見立ては日本文化の特徴のひとつです。春信はその手法を浮世絵に取り入れる名手でした。

サッチー 春信、かなりレボリューション起こしてる。

髙木 とにもかくにも、春信の浮世絵革命によって一気に美人画が花開き、女性を描いた絵は今でいうところのブロマイドのような、アイドルビジネスとして成長していきます。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった春信は、10年で千作以上描いてコロッと逝ってしまいました。もしかしたら働きすぎだったのかもしれませんね。

サッチー なんと……。その後、美人画はどうなったのでしょう?

絵師・歌麿が浮世絵に込めた不屈の精神

髙木 春信の後は八頭身美人で有名な鳥居清長(1​7​5​2~1​8​1​5)などがいますが、なんと言っても美人画の頂点に立つ絵師、喜多川歌麿(1​7​5​3?~1​8​0​6)が重要です。実は歌麿も寛政の改革(1​7​8​7~9​3)を逆手に取って大きく浮世絵をアップデートしたひとり。寛政の改革では、派手な色使いや立派な紙など、贅沢とみなされるものが制限されました。

サッチー またケチ臭くなってきましたね。

髙木 多色刷りはまぁ許されていたものの、紙がペラペラになってしまいました。春信がありとあらゆる技を込めた浮世絵では、奉書紙のような厚くてしっかりした和紙が使われていましたが、寛政の改革では贅沢なので禁止されてしまったのです。

サッチー 厚紙からわら半紙になったみたいな?

髙木 わら半紙ってなんだか懐しい響きだね(笑)。とにかく、紙が薄くなったことで、空摺りやきめ出しのようなエンボス加工や、背景に深い色を何色も塗ることができなくなりました。そうなると、もう構図を工夫するしかありません。その結果、ドーンッと女性の上半身に寄ったバストショットの大首絵が生まれたわけです。代表作として『ポッピンを吹く女』という作品があります。

サッチー あー! これは有名ですね。

髙木 この大首絵で歌麿は美人画の頂点に登りつめます。ところが、なんと幕府は町娘の名前を絵に記すことを禁じてきました。当時の美人画にとって茶屋などで働く女性は重要なモデル、今でいうところの「会えるアイドル」のような存在でした。茶屋娘たちを描いた絵は、浮世絵ビジネスにおいても稼ぎ頭のひとつだったのです。ですから、これは非常に困った規制でした。

喜多川歌麿『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘』出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

サッチー どうする歌麿!?

髙木 そこであきらめないのが歌麿のすごいところ。幕府の規制をかいくぐるために歌麿が取ったのが判事絵という手法、いわゆる「謎解き」です。その代表作が『難波屋おきた』。女性の左ななめ上に目を転じると、なんだか不思議な絵が描かれています。

サッチー あ、本当だ! ふたつの野菜と矢、海と田んぼ……。どういう意味なんだろう?

髙木 野菜の菜は「な」、それがふたつなので「にわ」、つなげて読むと「なにわ」。そして矢は「や」、海は「おき」、田は「た」、これで「おきた」。つなげて読むと「なにわやおきた」。つまり、「難波屋という茶屋で働くおきたさん」ということになります。

サッチー 遊びの中に、喜多川歌麿の激しい反骨心が垣間見えるようです。

髙木 ただ残念ながら、幕府の規制をかいくぐってきた歌麿も結局は捕まってしまいます。庶民に絶大な人気を誇った歌麿を見せしめにする幕府の意図もあってか、手鎖五十日、つまり手錠をしたまま50日間自宅で過ごすというかなり重い刑に処されました。一説によると、先が長くないと焦った版元たちが次から次へと仕事を発注。働きすぎに加え、それまでの不摂生がたたったのか歌麿は54歳で亡くなってしまいます。(※1​7​5​3年出生という説をもとに算出)

サッチー レボリューションを起こした歌麿、まだまだ描きたかったでしょうね。

喜多川歌麿『高名美人六家撰 難波屋おきた』出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

北斎VS広重の仁義なき戦い!第三のコンテンツ、風景画ブームがやってきた

冨嶽三十六景は46枚あった!

髙木 続いてご紹介するのは、葛飾北斎と歌川広重が起こしたイノベーションについてです。北斎の『冨嶽三十六景』、広重の『東海道五十三次』、このふたつが生み出した浮世絵の新たなジャンルこそが風景画でした。

サッチー この時も厳しい時代だったのですか? まだ天保の改革(1​8​4​1~4​3)が残っていますよね!

髙木 その通り! 寛政と天保の改革の間に、江戸最後のウキウキ時代がやってきます。そして、その時に起こったのが旅行ブームです。当時の江戸って、庶民はそんなに自由じゃなかったっていう印象ない?

サッチー あります。関所が置かれていて。

髙木 でもね、もしかしたら江戸時代の方が今より自由だったかもしれない。だって今って自由なようで不自由な気がします。いろいろ管理されてさ……。

サッチー お疲れ様です(笑)。

髙木 それはともかく、江戸の人は意外と自由に各地を行き来していたみたいです。「お蔭参り」など信仰上の理由による旅行は許されていたので、伊勢に行くついでに京都や大坂に寄ったり。そんな旅行ブームを背景にして作られたのが『冨嶽三十六景』です。この作品は「36の風景」と言いながら、実際は46枚あります。旅行ブームに乗って『冨嶽三十六景』が描かれて、作品を見た人がさらに旅行に行きたくなる……。そんな相乗効果があったようです。

サッチー なるほど。どんどん増版されていったみたいな感じですね。

髙木 そうそう。こうしたことを絵師に指示したのが、版元。版元とは、現代でいうところの「出版社」兼「書店」です。そんな版元のプロデュースにより、二匹目のどじょうを狙って描かれたのが、江戸~京都間の各宿場を描いた『東海道五十三次』でした。

サッチー 永谷園のお茶漬けに入っている絵ですね。私たちが一番よく見かける浮世絵かもしれない。

歌川広重『東海道五十三次 加奈川』メトロポリタン美術館

髙木 そうですね。そしてこのふたつの作品が浮世絵に「風景画」という新しいジャンルをもたらしました。ここでおさらいしましょう。浮世絵の人気コンテンツは何でした?

サッチー 美人画!

髙木 そうですね。そして、後で説明しますが、もうひとつが歌舞伎役者を描いた役者絵です。それに続く新しいジャンルが風景画でした。この風景画というのが、本当にドル箱中のドル箱だったのです。当時の初版は約2​0​0枚。2​0​0​0枚刷ればヒット作のところ、ふたつの作品ともに累計1万~1万5​0​0​0枚摺られたとされています。現代でいうところの「累計1​0​0万部!」みたいな感じで、彼らの風景画は社会に相当なインパクトを与えたと言えるでしょう。しかも美人画や役者絵と違ってロングセラーですから。

サッチー これは版元もウハウハですね!!

髙木 そういうわけで風景画はもう本当に数多く摺られて、世に行き渡りました。幕末から明治にかけて海外に輸出された量も多かったので、海外の人にとっては「浮世絵=風景画」のイメージが強いというわけです。
 ちなみに、浮世絵は、絵師の思い通りに摺られなかったものもあります。

サッチー 何それ、大丈夫なんですか?

髙木 浮世絵には絵師が描いた下絵があって、その下絵を彫師が版木に彫り、摺師が摺る、と説明しましたね。ただ、浮世絵師の思い通りに摺られたのは、最初の2​0​0枚だけだそうです。後は版元が勝手に指示を出して変えちゃうこともありました。「もっとここをこうした方がよくない?」みたいな。ヒット作は絵師と版元の二人三脚で生まれたとも言えるかもしれません。

サッチー 今、同じことをしたら大問題になりそう!

天才ふたりの絵の共通点とは?

髙木 風景画の大ブームを巻き起こした北斎と広重の絵には、共通の魅力があります。まずひとつ目が「ベロ藍」という鮮やかな藍色の染料です。

サッチー ベロって?

髙木 ベロ藍はプルシアンブルーとも呼ばれる、ドイツで発明された化学染料のことで、「ベルリン藍」が縮まって「ベロ藍」と呼ばれるようになったそうです。植物性の染料では出すことが難しかった色鮮やかで透明感のあるブルーに、江戸の人々は熱狂しました。

サッチー 確かに『冨嶽三十六景』も『東海道五十三次』も青色が印象的ですね!

髙木 そしてもうひとつは、日本的遠近法です。江戸時代後期に西洋の遠近法が入ってきたのですが、ヨーロッパから直接ではなく、中国から長崎へ伝わり、そして浮世絵に取り入れられました。そのため遠近法がちょっとずれてしまっているのです。

サッチー どういうことですか?

髙木 遠近法にはいろいろあります。例えば、消失点という1点を決めて、そこに向かって事物が段々と小さくなっていくように描き、平面上に架空の奥行きを作り出す。つまり立体を表現するのですが、日本的遠近法は遠近が「板」で表現されています

サッチー 板???

髙木 バクッと説明すると、板状に描かれた絵を遠くから近くに重ねることによって、遠近法っぽいものになっている。それが日本的遠近法です。有名な北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の絵をみてみましょう。一番手前に平面的な大きな波があって、その奥にも平面的に描かれた小さな波があって、最後に平面的な富士山が描かれていますよね。つまり、板が3、4枚重なった遠近法なのです。

葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

サッチー なるほど。確かにそうすると奥行きがあるように見えます。

髙木 これは北斎だけでなく、広重などもほぼ同じです。そこを意識して浮世絵を見ると少しだけ違った世界が見えてきます。北斎はやがて風景画から離れ肉筆の世界へと移りました。一方、広重は風景画を極め『名所江戸百景』という名作を生みました。
 ところで浮世絵は当時いくらくらいで買えたと思う?

サッチー この間私が神保町で買った時は、1万6​0​0​0円くらいだったと思います。

髙木 実は時代によって異なりますが、浮世絵は1枚4​0​0~5​0​0円くらい(諸説あり)と、かなり安価に手に入れることができました。

サッチー だから江戸の庶民たちが楽しめたんですね。

プロデューサーの時代到来!謎の絵師・写楽の陰に蔦屋重三郎あり

突如現れた「役者絵」の天才

髙木 ここからはちょっと歴史を遡って役者絵を見ていきましょう。役者絵と言えば、なんと言っても謎のスター絵師、東洲斎写楽(生没年不詳)です。

サッチー 世界三大肖像画家のひとりとも言われているようですね。後のふたりは?

髙木 レンブラントとベラスケスらしいです。みんな「世界三大〇〇」が好きですよね。世界三大夜景とか世界三大炊き込みご飯とか。いずれも高確率で日本のものが入ってきます。ちなみに、世界三大炊き込みご飯は「パエリヤ」「ビリヤニ」「松茸ごはん」だそうです。

サッチー 全部好きです!

髙木 ともかくレンブラント、ベラスケスと並び称され(ほんと?)『大谷鬼次の奴江戸兵衛』など、ドアップの衝撃的な役者絵を描いたのが東洲斎写楽です。写楽の人生は謎に包まれ、浮世絵界最大のミステリーとも言われています。

サッチー ワクワクしてきました。

髙木 写楽は寛政6年(1​7​9​4)、歌麿が美人画で一世を風靡した直後に突如浮世絵界に現れました。絵も派手なら登場の仕方もド派手。歌麿の美人画をプロデュースした版元である蔦屋重三郎(1​7​5​0~9​7)の店先に、ある日28作もの役者絵が一斉に並べられたそうです。しかも描いたのはどこの誰かさえわからないまったくの新人絵師。

サッチー ザワ……ザワ……。

髙木 その役者絵は歌舞伎役者の顔の特徴を強調しすぎるほど強調したスペシャル仕様。これは役者絵どころか浮世絵の常識をもくつがえすものでした。というのも、浮世絵と言えば「ありのままに描かない」ことが常識だったからです。写楽以前の浮世絵は髪型や着物、あるいは情景は違えども描かれた顔自体に大きな違いはなく、ステレオタイプ的に理想化されたものでした。そのため、役者の個性を真正面から捉えた写楽の絵はめちゃくちゃ革命的だったのです。

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

サッチー 私たちのこの似顔絵も、理想化されていますよね。

髙木 そうね(笑)。写楽の絵は「真を描こうとしている」と評され大変な話題になりましたが、メガヒットとまではいかなかったみたいです。その証拠に、写楽はわずか10カ月という短い期間で浮世絵界から消え去ってしまいますから。

サッチー 時代を先取りしすぎていたのかもしれませんね。

髙木 この奇妙な役者絵を描いた東洲斎写楽とは一体何者なのか? 「実は葛飾北斎なのではないか?」などという説も飛び出しましたが、最近の研究によって能役者の斎藤十郎兵衛だという説が有力になっています。ここで質問です。なぜ能役者だと推測できるのでしょうか?

サッチー う~ん、その舞台に出入りしていたから?

髙木 惜しい! ヒントは写楽の特徴である、極端にデフォルメされた絵にあります。普通の絵師が役者をあんなふうに、例えば美女の役なのにグニャグニャの線で描いたとしたらただではすみません。おそらく役者や公演元の座主から強い反発を受けるはず。だから、描けるのは役者たちからあまり文句を言われないような立場にいる人物である能役者だったのではないかと推測されるのです。

サッチー なぜ能役者なら許されるのですか?

髙木 当時、能は武士階級のための芸能、つまり大衆の芸能である歌舞伎より一段上のクラスとされていました。役者を揶揄していると捉えられても仕方がないような絵も、「能役者の斎藤さん」であれば描くことができたというわけです。

浮世絵は江戸のコンテンツ産業

髙木 そんな写楽のデビューを鮮烈に演出したのが、版元の蔦屋重三郎です。江戸時代の版元は超優良コンテンツ企業でした。

サッチー 何しろテレビもスマホもない時代ですもんね。

髙木 庶民の娯楽はごく限られたものしかなかったので、浮世絵は江戸のコンテンツビジネスを支える巨大産業でした。消費者が求めるものをいち早く察して販売する版元の中でも、蔦屋重三郎は過激な仕掛け人と言えるでしょう。私はドラマ『全裸監督』のモデルになった村西とおるさんと通じる部分があると思っています。

サッチー まさかそのふたりがつながるとは!

髙木 文化を創ったというか、それまでの文化を壊したというか。そんなところにこのふたりの共通点があるんじゃないかと思っています。前述した歌麿にバストショットの美人画を描かせたのも、写楽という謎の絵師を連れてきて描かれた役者が怒り出すような役者絵を発売したのも、蔦屋重三郎です。

サッチー 確かにカゲキ~。

髙木 私たちは浮世絵を「絵」として見ているので絵師の流れを追いがちですが、浮世絵を今のゲームやアニメのような「コンテンツ」と考えると、そのビジネスを仕切った版元が想像以上に大きな存在に見えてきます。歌麿が美人画のバストショットを描いたのも、写楽が役者の大首絵を描いたのも、消費者の動向を敏感に捉える版元の要請に応じてのことでした。

サッチー そのことを知ると、浮世絵がさらに違って見えてきます。

幕末のくにくにブラザーズ参上!浮世絵は江戸のSNSだった

国芳はパリでも大人気

髙木 サッチーは「くにくにブラザーズ」って知ってる?

サッチー どうせ高木さんがつけた名前ですよね? だったら知らないです。

髙木 冷たっ(泣)。幕末に活躍した歌川国芳(1​7​9​7~1​8​6​1)と歌川国貞(1​7​8​6~1​8​6​4)、名づけて「くにくにブラザーズ」です(実際の兄弟ではありません)。ブラザーズのひとり目・歌川国芳が得意としたのは武者絵。武者絵とは、甲冑姿の武者を描いた浮世絵のことを言います。これがなぜ幕末に大人気になったのかというと、江戸の職人たちが国芳の絵をタトゥーとして彫ったからだとか。

サッチー 「これ彫ったらイケてるじゃん!」みたいな感じですか?

髙木 そうですね。江戸時代には「粋」という独特の美学がありました。それを表現したもののひとつが彫り物でした。国芳が全身に刺青が入った人物の浮世絵を描き、それを見た江戸の職人たちが「これいいじゃん」となって自分の体に刺青を入れて、さらにその刺青を見た国芳が「こういう刺青あった方がいいんじゃない?」ということで、また浮世絵で男たちの絵を描いたのです。

サッチー なんだかすごく今っぽいノリですね。

髙木 国芳の一番の出世作になったのは、明代の中国で書かれた長編小説『水滸伝』を描いたものです。堕落した国に反抗する1​0​8人の豪傑たちが梁山泊というところに集まって官軍と戦う話です。現代でも人気があるから、ハードボイルドの巨匠・北方謙三さんの小説などで知っている方も多いかもしれません。

サッチー 『西遊記』などとともに「四大奇書」のひとつと言われていますよね(得意気)。

髙木 『水滸伝』を彩った豪傑たちの絵は読本などでも描かれましたが、あくまで物語の挿絵でした。一方、国芳はひとりひとりの男たちを主役にした絵をそれぞれ1枚の浮世絵として描きます。この斬新な作品は大ヒットし、江戸の町人たちはこぞって国芳の絵の刺青を全身に入れました。こうして、武者絵というジャンルが確立したのです。

サッチー 刺青と浮世絵が連動しているのが面白い!

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑 百 八人之壹人 浪子燕青』シカゴ美術館

髙木 実はこの武者絵、人気なのは幕末の日本においてだけではありません。それは現代のパリ。2​0​1​5年に国芳の展覧会がパリで開かれた時のショーは、国芳の絵の刺青を入れた男性たちがランウェイを歩くというものでした。その後、パリで国芳のタトゥーを入れるのが流行ったのだとか。

サッチー おしゃれなパリジャン、パリジェンヌたちが? 国芳かっこよすぎる。

髙木 そんな国芳の魅力は3つあります。ひとつ目はブラックジョーク。ここまで話してきたように、浮世絵は江戸の政治改革を逆手に取って進化してきました。売れっ子となった国芳を襲ったのが天保の改革です。この改革によって、歌舞伎の役者絵、遊女や芸者などの美人画を描くことが制限され、浮世絵は大打撃を受けます。

サッチー 庶民の娯楽が……。

髙木 それに対して国芳は反逆と諧謔の精神を持って立ち向かいます。なんと、国芳は人ではなく猫やスズメを描きました。例えば、吉原の様子を描く時、そこにいる人は人じゃなくて猫やスズメ。

サッチー つまり、擬人化して描いたということですね。

髙木 他には見立てを使って幕府を批判した絵も描きました。そんなブラックジョークが国芳の魅力のひとつです。

サッチー 政権批判の風刺画を描くとは、やりますね! ふたつ目の魅力は?

髙木 それは変なアイデアです。『猫飼好五十三疋』って聞いたことありますか?

サッチー 『東海道五十三次』みたいな響き。

髙木 まさにその通り! 『東海道五十三次』を猫で表した絵です。例えば、猫が2本の鰹節をくわえている。つまり、出汁を2本で……。

サッチー 日本橋!! ダジャレだ!(笑)

髙木 この作品、海外のオークションではものすごい値段になっているのだとか。

サッチー 私に先見の明があれば今頃……。

髙木 ほんとほんと。そして、国芳の3つ目の魅力は大胆な構図です。浮世絵では多くの場合、縦長の紙にひとりの人物を描きます。また、複数枚の紙を並べて一作とする場合でも、それぞれの紙に独立して人物が描かれることがほとんどでした。一方、国芳は紙を横に3枚並べ、それを1枚のスクリーンのようにして絵を描きます。さらに縦に紙を並べ、長さ1​mほどの作品を仕上げることもありました。

サッチー 圧倒的な迫力!!

江戸のヒットメーカー国貞

サッチー ではそろそろ、くにくにブラザーズのふたり目・国貞の紹介をお願いします!

髙木 国貞は早くから才能を見込まれ22歳で浮世絵界にデビュー。その後79歳で亡くなるまで57年の絵師人生を送り、中でも役者絵と美人画で名声を得ます。テレビもインターネットもない時代、彼が描く歌舞伎や、吉原で人気の遊女たちの姿は、現代におけるメディアそのもの。生涯の作品数は2万5​0​0​0点とも言われ、当時江戸ナンバーワンの売れっ子浮世絵師でした。

歌川国芳『龍宮玉取姫之図』メトロポリタン美術館

サッチー ヒットメーカーだったのですね。

髙木 まるで幕末の小室哲哉です。

サッチー 小室ブーム、すごかったですね。なるほど、あんな感じか。

髙木 なぜそんなに売れていたかというと、江戸の「今」をとにかく描き続けていたからだと思います。現代に例えるなら、ユーチューバーとインスタグラマーを合わせた感じの人でしょうか。他にも、役者の家紋や役柄などを抽象化し、いわゆるギンガムチェックの背景を入れた『御あつらへ三色弁慶』など、現代でも通用するようなセンス抜群の絵を描いたんです。

サッチー ポップでかわいい!

髙木 役者の家紋や役柄にあわせて背景を描くのはよくあることなのですが、こんなに抽象化して描いたのは国貞が初めてかもしれません。
 もうひとつ『御誂三段ぼかし』という作品も紹介しましょう。これは絵が6枚つながっています。6人の役者がそれぞれ見栄を切ったポーズで立っていて、それがズラッと横に並び、その後ろにそれぞれの家紋が三段にぼかして摺られています。

サッチー なんだか色使いもかわいらしいというか華やかですね。

髙木 国貞が小室哲哉たる所以は「いいとこ取り」をしていたからです。国貞は浮世絵の三大画題、役者・美人・風景のうちふたつをミックスしちゃいました!

サッチー どういうことですか?

髙木 これまでは例えば、品川宿を描くなら、品川宿のみを風景として描いていました。しかし、国貞はそこに美人を足したのです。人気ジャンルをミックスさせてひとつのジャンルに仕立てたというのが、国貞が小室哲哉たる所以です。

サッチー 浮世絵のイメージが変わります。

髙木 また、版元によって、国貞と広重の豪華コラボも実現しました。国貞が美人を、広重が風景を1枚の絵に描いたのです。現代だったらまさに奇跡のコラボ! 幕末の浮世絵は技術もすごかったのですが、そういう仕掛けも魅力だと思います。ところで、どうして国貞が国芳より売れたか想像できますか?

サッチー 国芳、技術もセンスも最高だと思いますが……何でだろう。

髙木 それは、私たちが浮世絵を「アートとして見ている」ことにヒントがあります。国芳は猫で『東海道五十三次』を描いたり、ブラックジョークを込めたり、あるいは3枚つなげてひとつのキャンバスにしたり……そういったスゴイ発想をした人ですが、ちょっといきすぎていました。

サッチー 時代を先取りしすぎていたのですね。

髙木 浮世絵をコンセプトアートとしてみたら、きっと国芳の方が評価が高いのですが、大衆娯楽としてみたら断然国貞の方が上です。これは、北斎と広重の風景画にも言えます。今は北斎の方が評価が高いけれど、当時断然売れたのは広重でしたから。浮世絵はアートではなく、あくまでプロダクトであり娯楽なのです。そのように捉え直すと浮世絵の見えなかった部分が見えてきませんか?

サッチー う~ん。「浮世絵=アート」という先入観に支配されていました。

書誌情報

著者:セバスチャン高木と和樂web編集部
出版社:笠間書院 (2022/11/28)
発売日:2022/11/28
言語:日本語
単行本:304ページ
ISBN-10:4305709759
ISBN-13:978-4305709752

「日本文化を楽しむプロ」を称する「日本文化の入口マガジン」和樂webの編集部と編集長・セバスチャン高木が、浮世絵や歌舞伎などの日本文化をカジュアルに紹介します。今さら聞けない基礎知識や反骨精神あふれる先人たちの生き様、日本文化の奥深さがわかります。そして、日本文化を楽しむコツをつかめるはずです。