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三十六歌仙その3、三十六歌仙を選んだ藤原公任ってどんな人ですか?
公卿の藤原公任(ふじわらのきんとう)は優れた歌人。のちの百人一首の中でも「大納言公任」として紹介されています。
「公任は、関白太政大臣の藤原頼忠の長男で、漢詩や管弦といった諸芸にも優れていました。藤原道長の全盛期に父を亡くしていたため、父が太政大臣なら息子も同じ位が与えられるはずなのに、大納言で止まってしまった。一時は、出家さえも考えていたようです。しかし当代一の才人であったことが、彼の運命を開きました」(馬場さん 以下同)
いわば、不遇な状況にあったから、公任は歌に専念することができたのではないかといいます。
「わが世を謳歌(おうか)した道長時代の第一級文化人ということで、歌人たちは公任に恐れおののいていたんです。政治的な権威はなかったけれど、彼は文学的権威を備えていたんですね。キレキレの文化人なので、具平親王(ともひらしんのう)ぐらいしか物申せなかったのでしょう」
公任セレクトの36人は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、大伴家持(おおとものやかもち)、在原業平(ありわらのなりひら)、素性法師(そせいほうし) 、猿丸大夫(さるまるたいふ)、藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)、藤原敦忠(ふじわらのあつただ)、源公忠(みなもとのきんただ)、斎宮女御(さいぐうのにょうご)、源宗于(みなもとのむねゆき)、藤原敏行(ふじわらのとしゆき)、藤原清正(ふじわらのきよただ)、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)、坂上是則(さかのうえのこれのり)、小大君(こおおきみ)、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、平兼盛(たいらのかねもり)、紀貫之(きのつらゆき)、伊勢(いせ)、山部赤人(やまべのあかひと)、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、紀友則(きのとものり)、小野小町(おののこまち)、藤原朝忠(ふじわらのあさただ)、藤原高光(ふじわらのたかみつ)、壬生忠岑(みぶのただみね)、大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)、源重之(みなもとのしげゆき)、源信明(みなもとのさねあきら)、源順(みなもとのしたがう)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、藤原元真(ふじわらのもとざね)、藤原仲文(ふじわらのなかふん)、壬生忠見(みぶのただみ) 、中務(なかつかさ)。36人のうち25人が百人一首に選ばれており、のちの藤原定家(ふじわらのていか)が公任の三十六歌仙を参考にして選歌したことがうかがえます。
「では、公任はどういう基準で歌仙(歌)を選んだのかというと、歌論である『新撰髄脳(しんせいんずいのう)』には〝心深く、姿きよげに、心にをかしきところあるを、優れたりといふべし ひとすじに、すくよかになむ読むべき〟という文章が残されています。最初の〝心深く〟は魂が深くという意。姿というのは、読み上げたときの言葉の調べがスッキリとしていること。〝心おかしき〟は文学的心、つまり趣向性。〝ひとすじに〟は一途にという意味ですね。〝すくよかに〟は強く、ということでしょう。後世に残るのは、そういう精神性、思想性、歌としての趣向があって面白いもの。これは現代にも通じる秀歌の基本です。それが、公任の歌選びに表れていると考えてよいと思います」
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馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。現在、映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)を上演中。
※本記事は雑誌『和樂(2019年10・11月号)』の転載です。構成/植田伊津子