これまでの歌はこちら。
平安時代その2:藤原道綱母、赤染衛門、右近、紫式部、和泉式部
『蜻蛉(かげろう)日記』や『枕草子』、『源氏物語』など数多くの女性による文学が登場し、八代集(はちだいしゅう)と呼ばれる勅撰和歌集がつぎつぎに編まれた平安時代中期から後期。このころが、王朝文化が最も華やかなりし時代です。王朝人にとって和歌の才の重要度が増し、人々は研鑽を積みます。宮廷では和歌を競い合う「歌合」が盛んに催され、題詠で恋の歌を詠む機会は増大。そうなると、技巧的な歌づくりはますます顕著になり、演技的傾向も強くなっていきました。さらに、物語を踏まえた歌も盛んに詠まれています。平安時代中期を代表する恋の歌い手は、和泉式部。彼女は数多くの恋を経験したことで、現実的な苦悩を読んだ先駆け。 そこから生まれた揉み揉みとした韻律は、この時代の賜物です。
絶えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水は水草ゐにけり
藤原道綱母
『蜻蛉日記』(975年)
読み:たえぬるかかげだにあらばとふ(う)べきをかたみのみずはみくさゐ(い)にけり
意味:夫婦の絆もこれで切れてしまうのかしら、水面に影でも映れば問いかけもするけれど、あなたの形見として残されたこの水には水草のように塵(ちり)が浮かんで、なんの影もとどめていないのです。
【解説】
藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)は藤原兼家の室となり、右大将道綱を生む。ある日、愛人であった藤原兼家(かねいえ)が訪れたのに、口論となり、兼家は別れを口にして帰る。数日後、兼家が使った洗面盥(たらい)に塵がたくさん浮いていたのを見てこの歌を詠んだ。兼家に対する不満が歌の端々に感じられる。
わが宿は松にしるしもなかりけり杉むらならばたづね来なまし
赤染衛門
『赤染衛門集』(平安中期)
読み:わがやどはまつにしるしもなかりけりすぎむらならばたづ(ず)ねきなまし
意味:私の家の松(待つ)には一向にそのしるしがないと思ってましたら、やっぱりそうでしたか。松ではなく、お社によくある杉の木でしたら、きっと来てくださったんでしょうね。
【解説】
赤染衛門(あかぞめえもん)は 藤原道長の妻倫子(りんし)、中宮彰子(しょうし)に仕え、のちに文章博士・大江匡衡(おおえまさひら)に嫁す。良妻賢母と伝えられている赤染衛門だが、ある日、大江匡衡が通っていた女が伏見神社の禰宜(ねぎ)の娘であることを突き止め、相手に直接届けさせたのがこの歌。交際範囲が広く、清少納言や紫式部、和泉式部などと信頻関係を保っていた。
忘らるる身をば思はずちかひてし人のいのちの惜しくもあるかな
右近
『拾遺(しゅうい)和歌集』(1005年)
読み:わすらるるみをばおもは(わ)ずちかひ(い)てしひとのいのちのおしくもあるかな
意味:あなたに忘れられてしまう私のことは、今となってはなんとも思いませんが、永遠の愛を神に哲ったあなたの命が、神罰によって失われはしまいか、それが惜しくてなりません。
【解説】
右近(うこん)は醍醐天皇の皇后穏子(おんし)に仕え、宮廷で多くの男性と浮き名を流していたといわれる。歌合(うたあわせ)で活躍し、『百人一首』にも歌が採られている歌人で、『大和物語』によれば、この歌を送った相手は藤原敦忠ということになっている。皮肉たっぷりの内容に、敦忠からの返歌はなかったという。
女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
紫式部
『紫式部日記』(1010年)
読み:を(お)みなへ(え)しさかりのいろをみるからにつゆのわきけるみこそしられる
意味:女郎花が露にぬれて今を盛りと花咲かせています 。そのつややかな美しさを見ていると 、露の恵みを受けることができない我が身が悲しく思われます。
【解説】
紫式部(むらさきしきぶ)は藤原為時(ためとき)の娘。藤原直孝に嫁すが、まもなく死別。のちに中宮彰子に仕え『源氏物語』を書き上げる。これは、藤原道長(みちなが)が手折ったばかりの女郎花を式部のもとに持ってきて、歌を詠めといわれてつくった一首。道長の返歌は「白露は分け隔てなどしない。女郎花が美しく咲いたのは自分の心の問題なのだよ」。ふたりのしゃれた愛情の交流がしのばれる。
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな
和泉式部
『後拾遺和歌集』(1086年)
読み:あらざらむ(ん)このよのほかのおもひ(い)でにいまひとたびのあふ(う)こともがな
意味:私はこのまま死んでいくのでしょうが、この世から離れてしまうまえの思い出に、せめてもう一度だけあなたに逢いたいと願っております。
【解説】
和泉式部(いずみしきぶ)は橘道貞(たちばなのみちさだ)に嫁し、小式部内侍を生む。為尊(ためたか)親王や敦道親王の寵を受け、中宮彰子に仕えた後、藤原保昌(やすまさ)と再婚した和泉式部は恋多き女といわれた。死を間近にしながらも、燃える想いをまさに命がけでつづったこの歌から、優れた恋の歌い手の歌心が、最後まで衰えなかったことがうかがえる。だれにあてて詠んだのかは、はっきりしていない。
Profile 小島ゆかり
歌人。1956年名古屋市生まれ。早稲田大学在学中にコスモス短歌会に入会し、宮柊二に師事。1997年の河野愛子賞を受賞以来、若山牧水賞、迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞、詩歌文学館賞、紫綬褒章など受賞歴多数。青山学院女子短期大学講師。産経新聞、中日新聞などの歌壇選者。全国高校生短歌大会特別審査員。令和5年1月、歌会始の儀で召人。2015年『和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか』(角川学芸出版)など、わかりやすい短歌の本でも人気。
※本記事は雑誌『和樂(2005年9月号)』の転載です。構成/山本 毅
参考文献/『男うた女うた 女性歌人篇』(中公新書)、『女歌の系譜』(朝日選書) ともに著・馬場あき子