Culture

2024.07.15

弓道を通して己を磨く「BOYS AND MEN」 本田剛文。自分を見失わない技と心の整え方とは?

現在、東海圏を中心に活躍するアイドルグループBOYS AND MEN(ボーイズ・アンド・メン、通称:ボイメン)のメンバーである本田剛文(たかふみ)さん。実家は江戸時代中期から続く、仕出し料理屋で、自身も日本文化や武道に関心が強い。そんな本田さんの姿勢の良さや立ち居振る舞いの美しさには、高校時代に始め、今も続けている弓道の影響もあるようだ。弓道の面白さや奥深さ、弓道を通して自分を磨くことの大切さを語ってもらった。

一生涯できる弓道は、老若男女が楽しめる武道

弓道を始めたのは、実は消去法なんです(笑)。中学まで野球をやっていたのですが、走ることが苦手で、走らないスポーツはないかなと思っていたんです。高校に入学して部活見学に行き、弓道に興味を持ちました。弓道は激しい運動量を必要としないので、一生できる生涯スポーツでもあるんです。最高齢では100歳を過ぎても弓を引いていたという先生がいるほどです。そういう奥深さに惹かれたというのもありました。

ただ、実際、弓道部に入ってわかったんですが、的の前で弓を引かせてもらうまでに何か月もの期間が必要なんです。基礎練習にランニングは必須でした(笑)。最初は道具を持たないで型を覚える、いわゆる「エア弓道」から始まり、次にゴムのついた模擬的な形のゴム弓を使って練習していきます。その後、巻藁(まきわら)といって藁を巻いた太鼓のような的に、至近距離から矢を中(あて)る練習をしていきます。ですから的の前に立って弓を引けた瞬間は、ようやくここまできたか、と感慨深いものがありました。でも考えてみれば、弓って殺傷能力のあるものなので、慎重に慎重を重ねて訓練していくのは当たり前なんです。そこまでの道のりが高校生の僕らには長く、しんどいものではありましたが。

的面から弓を射るまでの距離は28メートル。的の高さは射場と床面と同じ高さになっている

弓道は自分と向き合う時間でもある

弓道って、的に中ることを競う部分もありますが、的の前に立った瞬間は、自分と的しかないんです。中る、中らないだけではないというか。他の競技って、相手と戦ったり、接するプレイがありますよね。でも弓道には、それがない。正しく射(しゃ)を行うかどうかだけなんです。自分と向き合う、精神的な部分が多い。弓道には『正射必中(せいしゃひっちゅう)』という言葉があるんですが、正しい射を放てば、的に必ず中るという意味で、正しい姿勢、正しい型があって、的に中ることができるというもの。弓道は28m先の的に矢を射るだけですが、普段練習してきたことをしっかり再現できるか、精神的なものがすごく大きいと思います。

芸能界に入ったからこそ、弓道が身を助ける?

高校を卒業後、すぐに、BOYS AND MENのオーディションを受けて、この世界に入りました。その中で、自分の得意分野を披露したり、メンバーそれぞれの特技にクローズアップした写真を撮るという企画があって。それまでは弓道から離れていたんですが、「やばい、練習しなきゃ」となり(笑)、そこから、名古屋の老舗の弓道具店「翠山」に通うようになりました。2階には弓道場も併設されていて、ここで練習させていただいています。だから今も特技というより、細く長く続けているライフワークといったところです。

―ここで翠山の3代目社長で、弓道家でもある宇佐美雅士さんから「本田君は弓道のセンスがあるから、もう少し頑張って通ったら参段は取れるよ」との言葉がありました。

歴史を辿ると、弓の奥深さがわかる

弓って歴史が古いじゃないですか。それこそ、平安時代の弓の名手の逸話なども残っています。現代の僕らの感覚では、考えられないぐらいの強さのある弓を引いていたり。僕が使っている弓はそれほど強くないので、一人でつるを張れるんですが、保元の乱に出てくる源為朝(みなもとのためとも)※1の弓って、5人ぐらいで張らないと張れないほどの反発力のある弓だったと言われているんです。戦のあった時代の人たちの逸話を聞いていると、現代の僕らでは到底引くことのできなかった弓を扱っていたんだなと、そういう話も面白いなと思います。

※1 源為朝は平安時代の武将で、『保元物語』に名前が出てくる弓の名手。非常に強い弓を引いていたことで知られており、彼の用いた弓は俗に「五人張り」と言われている。

源為朝についてはコチラ
まさに平安のモビルスーツ!1矢で2人を倒した怪力武将、源為朝

鉄砲が入ってきてからも、しばらく戦では弓は優位性がありましたよね。戦国時代に活躍した岐阜出身の大嶋雲八は、八坂の五重塔の窓に矢を通せるかと言われて、10本の矢を通したという伝説があるんです。93歳で関ヶ原の戦いに出たという話も残っているし、弓道って本当に生涯できるんだなと偉人たちを見ても思います。

大嶋雲八についてはコチラ
「麒麟がくる」サイドストーリー?93歳で「関ヶ原の戦い」に参戦した大嶋雲八の豪快エピソード

徳川家康のことも「海道一の弓取り」って言ったりもしますし、侍のイメージというと、刀というイメージが大きいですが、「弓取り」というところにフォーカスした言葉があることも面白いなと思います。江戸時代に入って戦がなくなり、精神面を鍛えるための武術になっていきますが、長い歴史の中で、人と弓との関わりは深いんだなと思うんです。

目的と手段がブレてしまうと正しい射を行うことができない

弓を射る時に、すぐ矢を放ってしまうことがあるんです。溜めなければいけない状態を、的中することに自身が飲みこまれてしまうんです。これってやはり気持ちが焦っているんですよね。正しい射を目指すという道にありながら、的に中てるという目先の結果ばかりに気持ちがいってしまう。これって人生にも当てはまるなと思うんです。

弓道の目的は精神修練であり、正しい射を行うことで、その手段として弓を射るということがある。目的と手段がごちゃごちゃになっちゃうと、結果を急いたり、人と比べたりして、ネガティブな気持ちになるし、自分ってダメだという気持ちにもなってしまう。もちろん、誰にでも波はあるし、良くなったり、悪くなったりすることはあっても、自分が目指すべきゴールをちゃんと持っていることが大事だなと思います。

右手にはめる手袋のようなもの「かけ」という。弓を引く際に弦から親指を保護するために使用するもの。

一朝一夕でできることはない。今は一歩一歩目標に向かう時

僕も30歳を過ぎて、焦りやもっとこの年齢でこういう仕事ができていたら良かったのに、と思うところはあるんです。ただ、最終的には自分が思っていたところに、ちゃんと辿り着けるかが大事。今隣にいる人がイケてるかどうかとか、ファンがたくさんいるとかに一喜一憂するんじゃなくて、焦って小手先に頼ることはしたくない。そんな想いもあって、今、西川流の家元から日本舞踊を習っているんです。一朝一夕でできることではないし、目標の一つに、時代劇に出たいというのがあるので、所作を覚えたいなというのもありました。姿勢が良いと言われるんですが、そこには弓道で鍛えたものが生きている。そういうことを一つひとつ大事にしていきたいなと、今は思っています。
撮影協力:翠山 webサイト
Photo by Naomi Kuroda

本田剛文プロフィール

愛知県出身、1992年11月3日 生まれ。弓道弐段 世界遺産検定2級 。新撰組や戦国時代が大好きで、猫愛好家でもある。実家は江戸時代から続く老舗仕出し屋で継げば11代目となる。 NHK Eテレ「キソ英語を学んでみたら世界とつながった。」 に4年連続レギュラー出演中 。地元東海圏のテレビ局に多数出演し、MCや情報番組のレポーターとしても活躍。トーク力に定評あり。西川流家元が主宰する舞台劇「名古屋をどりNEO傾奇者」女形で2年連続出演した。

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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