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Culture
2019.08.22

変化朝顔とは?ハマると家計が傾く道楽「園芸」に江戸っ子が熱狂!【江戸時代】

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江戸時代には、ハマると家計が傾くと言われた三大道楽がありました。それらはずばり、骨董品収集、釣り、そして園芸です。園芸で家計が傾く?? ささやかな家庭菜園やガーデニングでは想像もつかないことですが、江戸時代にブームになった園芸とは、多大な手間暇とお金をかけて技術を競う、とてもクリエイティブなものでした。中でもハマる人が多かったのがアサガオの園芸。江戸時代のアサガオの中には、これが本当にアサガオなの? と驚いてしまうような「変化咲き」のものがたくさんあります。

「江戸時代の趣味娯楽に対する情熱が生んだすごいもの」シリーズ、第2回は、遺伝子学も生化学もない時代に、時間もお金も忘れて人々が熱中した、変化咲き朝顔の世界をご紹介します。

アサガオブームの火付け役は火事?! (江戸の華とは言うけれど)

アサガオといえば、詩歌や歌舞伎、小説にも登場する、日本の代表的な花の一つです。しかし江戸時代までのアサガオはまだ単純な円形で、色も青と白しかない素朴な花でした。それが赤やピンク、紫、また絞り模様なども咲かせる華やかな花になったのは、なんといっても江戸時代のアサガオブームの成果です。
江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界嘉永7年(1854年)発行の「朝顔三十六花選」(国立国会図書館デジタルコレクション)より。これら、ぜーんぶアサガオです。
そんな、華やかなアサガオへと続く園芸ブームのきっかけを作ったのは、当時江戸を襲った大火であったといいます。1806年3月4日、世に言う「文化3年の大火」によって、現在の御徒町あたりは更地と化してしまいます。その跡地に、他の植物と一緒にアサガオを植えてみたところ、おもしろい形のアサガオがたくさん咲いたというのです。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
「牽牛品類圖考」(文化12年)(国立国会図書館デジタルコレクション)より。すでにアサガオには見えない花が描かれていますが、紛れもなく、アサガオです。

好奇心旺盛な江戸っ子と突然変異が出会ったら

アサガオには元々突然変異しやすいという性質があります。普通の青くて丸いアサガオが、突然変わった花を咲かせる、なんてこともあるのです。

珍しいものが大好きで、驚いたり驚かせたりするのも大好きな江戸人が、これに心を奪われぬはずがありません。はじめは素朴な花で満足していた人々も、だんだん変わった形を追い求めるようになっていきました。その結果わずか数年で、下谷御徒町は見物客が大勢集まるようなアサガオの名所へと変貌を遂げたといいます。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
「花壇朝顔通」(文化12年)(国立国会図書館デジタルコレクション)より。約180種ものアサガオが美しい多色刷りの絵で紹介されています。花名も鑑賞法も、とってもおしゃれ!となりのページには和歌、または俳句が添えられています。

武士は食わねどアサガオ栽培

火事で焼けた御徒町は、元々「御徒」つまり馬に乗れない歩兵が大勢住んでいたことから名付けられた町です。天下泰平の江戸時代、これといった仕事もなく、お金もなかった下級武士たちは、ほとんど全ての人がなんらかの副業を持っていたと言われますが、御徒町の武士たちも例外ではありません。彼らの多くは、植木屋から指導を受けて園芸に励んだのです。特にアサガオは裏長屋の狭いスペースでも育てることができて、毎朝花を咲かせますからマニアのみならず庶民にも人気でした。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
江戸勝景 虎之門外之図。(国立国会図書館デジタルコレクション)右の女性が白いアサガオを持っています。江戸時代の人々は植物が大好き。花合わせ番付表や図譜を見ては実際に行って、植物鑑賞を楽しみました。

早朝の朝顔売りは江戸の名物

「売れ残る 花より葉より 商人(あきんど)の 昼は萎れて もどる朝顔」

江戸時代の狂歌です。江戸にはあらゆる日用品が振り売り(行商)で売られていましたが、植物の苗を売る人もいました。早朝から声を枯らして町中を歩き、昼には萎れてしまうアサガオをなんとか朝の内に売り切ろうと必死な朝顔売りがたくさんいたのです。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
朝顔売り。「江戸府内絵本風俗往来」(明治38年)(国立国会図書館デジタルコレクション)より。

願いどおりの可能性は1%以下?! 変化朝顔の栽培

突然変異によって江戸人の心をがっちりとつかんだアサガオですが、変化咲き種を意図的に作るのは簡単ではありません。まず変化咲き朝顔は、その変化が進めば進むほど種をつけません。にもかかわらず、アサガオは種で殖やすしかないのです。

ではどうするかというと、変化咲きになったアサガオと親を同じくするアサガオの種を植えます。とはいえそれが変化咲きになる確率はとても低く、もしうまくして変化咲き朝顔を咲かせることができたとしても、思い通りの花であるとは限りません。また、たとえ思い通りの花が完成したとしても、それは種をつけないのですから、その形を再現したければまた兄弟株の種を植えて一からやり直すしかないのです。

江戸時代は、品種改良のやり方も「粋」?!

変化咲き朝顔の栽培は、効率を考えたらビジネスとしてはお話にもならない世界でした。しかしここは江戸の「粋」の世界。愛好家たちは「とにかく変わった形のアサガオを作りたい」という一心で、手間暇を惜しまず情熱を燃やしたのでした。

ちなみに、これはアサガオに限ったことではありませんが、江戸時代の園芸植物の育成にあたっては、人工交配が一切行われていません。対して欧米の品種改良では、古くから人工交配を行うのが普通でした。江戸時代のように全く人の手で交配をせずに、ここまで多種多様な品種を生み出した例は、極めて稀なのだそうです。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
「牽牛花水鏡」(文政元年)(国立国会図書館デジタルコレクション)より。花の標準的な形が47種、葉の形が46種紹介されています。画像はほんの一部。

自慢のアサガオはコンテストに出品!

変化咲き朝顔の専門書は、毎年相当数が出版され、その種類を確実に増やしていきました。とんでもない手間と技術、そしてお金をかけて作り上げた自慢の変化咲き朝顔は、江戸や大坂の各地で開催されていたコンテスト、「花合わせ」に出品されました。ランク付けには、相撲の番付を真似た「花合わせ番付」が作られ、これも相当な数が出版されたと見られています。ただしコンテストで一位になっても賞金は出ませんから、完全に趣味の世界です。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
入谷の植木屋、成田屋留次郎発行の「三都一朝」(嘉永7年)(国立国会図書館デジタルコレクション)より。「三都」とは、江戸、大坂、京都。それぞれの地域で作出された名花を編集しています。嘉禄・安政期のアサガオブームの仕掛け人は、変化咲き朝顔作りの天才だったこの人、成田屋留次郎。現在、毎夏開かれる「入谷朝顔市」は成田屋が広めた入谷のアサガオに端を発します。

世話になったアサガオは、感謝を込めて供養する

珍しい形の変化咲き朝顔を生み出すために使われたのは、人々の時間や労力だけではありません。当然、大変な数の「普通のアサガオ」が犠牲になっているわけです。日本には針供養や糸供養など、お世話になったモノを供養する習慣がありますが、アサガオもちゃんと供養していました。現JR池袋駅のほど近くにある法明寺には、「蕣塚(あさがおづか)」なる供養塔があります。塚には江戸琳派の開祖といわれる酒井抱一の筆によるアサガオの絵とともに、江戸の金工師であり俳人でもあった戸張富久による俳句が彫られています。建立は1826年、富久の死の翌年に、お弟子さんによって建てられたものなのだそうです。

江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
法明寺の蕣塚。(左は抱一によるアサガオ拡大)富久による俳句は、「蕣や くりから龍の やさすかた」

頼りになるのは、科学的知識より情熱(と、根気)

変化咲き朝顔の栽培は、勘と運に大きく左右される世界ですが、当時の人々はある程度特定の形を維持する方法を編み出していたといいます。今日、日本の誇りと讃えられるアサガオは、メンデルの法則はおろか、受粉の仕組みさえ知らなかった江戸時代の人々の高い経験値と技術によって作られたのです。

また、江戸時代に流行した園芸はアサガオのみならず、ツツジ、ツバキ、キク、オモトなど数多く、私達が今日目にする日本の園芸植物の基礎を作りました。中でもアサガオの種類の多さはケタ違いで、ここまで多彩な変化を遂げた植物はアサガオだけだと言われています。彼らの「おもしろいこと」にかける強い情熱と根気、それこそ現代の私達が学ぶべき「粋」の心なのかもしれません。

文/笛木あみ

「江戸時代の趣味娯楽が生んだすごいもの」連載記事一覧
・第1回 浮世絵を大発展させたのは江戸の「おもしろカレンダー作り」だった?! 大小暦が、世界に誇る日本美術「錦絵」になるまで
・第3回 人の魂生き写し?! 効率化とは無縁の江戸時代「からくり人形」の世界
・番外編 もはや美術工芸品! 和時計に秘められた江戸時代の知られざる超絶技巧

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。