日本神話の神々がくりひろげた恋物語とは

日本神話の神々がくりひろげた恋物語とは

目次

人間の本質が描き出されている日本神話『古事記』

『古事記』の魅力は、和銅5年(712)にこの物語が編纂されるずっと以前から、日本各地でさまざまに語られていた神話や説話がこの一冊にすべて集約されている点にあるでしょう。

世界が誕生する様子や、国の成り立ちまでもが幅広いエピソードを交えながら、ひとつの体系的な神話物語として語られる例は、ほかのアジアの国、ましてやギリシャ神話をはじめとする西洋の神話を見ても類例がなく、この点においても、『古事記 』は特異な位置にあると言って過言ではないでしょう。

日本の神話において語られる神様は、たとえばスサノヲノミコトのように、素晴しい行いもするけれどもその反対に悪さもするというような、 極めて人間的な姿で描かれることが多い。つまり、確かに人間にはできないようなパワーを発揮したり、行いもするけれども、どこかに人間臭いところがあって、物語を身近に感じ、感情移入しながら読むことができるのです。そんなところも魅力だと思います。

恋の物語にテーマを絞ると、それがより顕著になってわかりやすいでしょう。ここでご紹介する恋の物語は、どれも人間にとっては不可能な恋のお話です。

たとえばイザナキとイザナミは兄妹ですが、そのふたりが結ばれて国土が生まれることになっています。つまり「兄妹婚」の物語なのですが、人間においては許されざる恋、犯してはならないタブーです。それがあっさりと実現するところに神話の神話たるゆえんがあります。しかし「兄弟婚」というタブーを犯すことは駄目だとは言わないのです。イザナミからこえをかけたことによってヒルコという望まれざる存在の子が生まれてしまいます。

つまり、タブーは犯せるけれども、その物語の行き着く先には、人間にとっての行動の規範となるような説話が必す語られているのです。人間が生きていくための「行為の起源」を語る機能が神話にはあるということです。

そんな、単なる小説とは違う、人間の存在と直結した物語を、手ごろな長さでドラマチックに楽しめるのも『古事記』の魅力ではないでしょうか。

日本神話の神々がくりひろげた恋物語とは!?「神代正語常盤草 上」より、イザナキとイザナミの国生みの図

日本神話の恋物語、一

伊耶那岐神と伊耶那美神 イザナキノカミとイザナミノカミ
タブーを犯してまでも焦がれる恋

【この神話のテーマ】見るなのタブー 
【この神話の形態】オルフェウス型

イザナキとイザナミの恋物語における最も重要なテーマは「見るなのタブー」です。
イザナミは文化の象徴である火の神を生むことによって不幸にも神避(かむさ)ってしまいます。黄泉(よみ)の国の住人となったイザナミを恋しく想い、耐えられなくなったイザナキは黄泉の国に出向き、なんとか愛する妻を連れ戻そうとします。

しかしすでにヨモツヘグイをしてしまったイザナミは帰れない。しかしせっかく愛しい夫が訪ねてきたのだからと、ヨモツカミに相談することにします。「その間は決して私の姿を見てはなりません」とイザナミは伝えますが、彼はこの禁を犯してしまいます。

つまり、この恋物語はイザナミから課されたタブーをイザナキが破ったことで破局を迎えるという、「見るなのタブー」神話の典型的なお話となっているのです。

さらには、その「見るなのタブー」を犯すことによって露呈されるのが、イザナミの本体が実は雷=すなわち蛇体であるということです。

つまりこの恋物語には、「兄弟婚」というタブーと「見るなのタブー」が重なり、「異種婚」という要素までもが最後に露呈される仕組みになっているのです。

イザナミに追われたイザナキは、黄泉比良坂(よもつひらさか)を逃げる途中に千引(ちびき)の岩を置いて追っ手を阻もうとしますが、そのことによってイザナミは「あなたの国の人民を千人殺しますよ」と言い、イザナキが「ならば千五百の産屋を建てる」と告げます。この言葉によって、ふたりの恋物語は、「生と死の起源説話」となる要素をも含むこととなるのです。

奥さんが死んでそれを亭主が追いかける神話は、ギリシャ神話のオルフェウスにみられるように、世界各地に点在していて、これを「オルフェウス型神話」と総称しています。

しかし、『古事記』ほど複雑でさまざまな要素が詰まった話は類例がなく、ここにも200年以上の熟成期間を経て完成した『古事記』の魅力の一端を垣間見ることができます。

日本神話の神々がくりひろげた恋物語とは!?
『古事記 : 国宝真福寺本. 上』より 国立国会図書館

伊耶那岐神と伊耶那美神の恋物語 あらすじ

神世七代の神として生まれたイザナキとイザナミは、アマツカミによって国生みを命じられる。

天の浮橋から海をかきまわしてできたオノゴロ島に降り立ったふたりは、天御柱(あめのみはしら)を互いに巡って成婚するが、はじめにイザナミから声をかたため国生みに失敗。アマツカミから女が先に声をかけてはならぬと諭され、今度はイザナキから声をかけ再び成婚。こうして大八島国(おおやしまぐに)および、石、海、山野などの神々を次々と生んでいく。

だが、火の神を生んだことがもとでイザナミは死にいたり黄泉の国へと神避ってしまう。それを嘆き悲しんだイザナキは、 黄泉の国を訪れ最愛の要を連れ戻そうとする。

イザナミは決して我が身を見てはならぬと告げるが、イザナキはそのタブーを犯す。するとイザナミの身体は蛆がたかり八雷国(やくさのいかづちのかみ)がうごめくという無残な姿をしており、恐ろしくなったイザナキは黄泉の国から逃げようとする。

怒ったイザナミはイザナキを捕らえようと黄泉比良坂へといたり、ふたりの恋の破局の模様が語られることとなる。

【用語解説】

伊耶那岐神と伊耶那美神

神代七世の最後に、男女対偶神として生成れた神様。普通、兄と妹と定義されている。天上界に対して、国の生成・始動にかかわるイザナキは、皇祖アマテラスの親に当たるので、皇統上の祖神でもあるが、イザナミとともに大神とは称さない。

見るなのタブー

神話のテーマとして数多く見られる「見るなのタブー」。イザナキ、イザナミの黄泉の国での話をはじめ、トヨタマビメの出産時の話など、枚挙に暇(いとま)がない。タブーを犯すことで、元の関係が崩れ、やがて新たな規範が生まれる。見るなのタブーに込められた神話の意味は重い。

オルフェウス型

ギリシャ神話のオルフェウスとその妻エウリディケの物語と、イザナキ、イザナミの話に類似点が認められるためこう呼ばれる。配偶者に先立たれた男が亡き妻をこの世に連れ戻そうと冥界を訪れる神話は各地に見られる。イザナキとイザナミの話がギリシャ神話と関連があるということではない。

ヨモツヘグイ

黄泉の国の食物を口にすること。あの世の世界の食物を食べたものは決してこの世に戻ってはこられないとする説話。同種の神話は世界的に見られ、ギリシャ神話ではペルセフォネの物語がそれに当たる。

解説/青木周平(「和樂」2006年5月号より)

参考文献/『古事記』(新潮日本古典集成)、『古事記がわかる事典』(日本実業出版社)、『日本神話事典』(大和書房)

もくじ

日本神話の恋物語、二
日本神話はこんなに面白い! なんと一晩で子だくさん! はこちらから

日本神話の恋物語、三
古事記の神話は「美女と野獣」の物語だった! はこちらから

日本神話の神々がくりひろげた恋物語とは
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする