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格別なる十五夜「水上月」
水の面に照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のもなかなりける 源順
水や空空や水とも見え分かず通ひて澄める秋の夜の月 読人不知
雪月花という言葉がある。日本の四季の情緒を代表するそれは、折々の詩心をゆさぶる大きなちからをもっていた。秋は月を愛でる、そういう習慣がつい半世紀前までは庶民のくらしの中にも「お月見」という行事として残っていたのだ。自然をもてはやすことが好きな日本人は月見だけでなく、花見や雪見も風流ごととして大事にしてきたが、そこに歌が残されていることが素晴らしい。
「水の面(おも)に照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のもなかなりける」。これは平安中期の代表歌人の一人源順(みなもとのしたがふ)が詠んだ十五夜の歌だ。『順集』の詞書(ことばがき)によると、その日、順は蓮池のある知人の家に行ったところ、すでに何人かの男女がきていて、池のめぐりを楽しげにそぞろ歩いていた。折ふし上った月が池水に影を落しまことにいい風情である。
歌はその時の「おお!」という感銘を、あえてゆったりと、仲秋の名月への「月なみ(月日)を数ふれば」などと詠んでいる。どこか稚拙(ちせつ)感のある面白味をもった物言いが、下句の「今宵ぞ秋のもなか(最中)なりける」を引き立てているのに気づく。さらに言えば、初句がもし「池の面に」であったら、歌の場はぐっと小さくなり、名歌性までうすれてしまう。歌ことばとはふしぎなものだ。その後この歌は勅撰集(ちょくせんしゅう)にも入集し、十五夜のたびいろいろな場面で引用されるようになってゆく。
つぎに無名の素人のただ一首あるのみの月の歌を逸話とともに紹介したい。場面は橘俊綱(たちばなのとしつな)邸の歌会場。俊綱の父は摂政関白頼道(よりみち)。橘家を継いだが父の威光もあり大富豪。歌壇のパトロンとして、当時天下の三大豪邸の一つに数えられた伏見の邸宅にしばしば歌会を催していた。この日の歌会の題は「水上月(すいじょうのつき)」。第一級の歌人も集うなか、なぜかこの日は秀歌がなく、苦吟の時がつづいていた。
その時、地方から雑役(ざつえき)に召し上げられて邸の警備に当っていた男が、取次の侍に自分も歌を詠んだと申出たのである。歌人一同は興(きょう)がってその歌を取次の者に詠み上げさせた。
「水や空空や水とも見え分かず通ひて澄める秋の夜の月」。苦吟していた人々はこの歌を聞いて、はっと心の眼が開けたような思いになったのであろう。その日の歌会でこれを超える歌はついになく、人々はこの歌を褒めて、自作の至らなかったことを「はぢあへり」(『十訓抄(じっきんしょう)』)としている。この謙虚さも素晴らしい。
ところで、この作者の名も伝わらない歌、その後三百年の歳月を経て、勅撰『新後拾遺集(しんごしゅういしゅう)』の「秋上」の部に入集をはたした。ということは、この間三百年、人々はこの無名の素人が詠んだ歌を忘れずに愛誦(あいしょう)し、伝承したということである。このこともまた感動を誘うものではなかろうか。広々と広がる水と空、そのどちらにも行き交いつつ、月は今も清らかに澄んでいる。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)。
構成/氷川まりこ
※本記事は雑誌『和樂(2020年10・11月号)』の転載です。