取材は2024年9月中旬に行った。 尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる茶道ユニット「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』
『新古今和歌集』は、源平争乱で平安朝の美を失った後にできた“戦後歌集”
給湯流茶道(以下、給湯流):お二人、何かお飲み物は?
阿部顕嵐(以下、阿部):僕は炭酸水で。
馬場あき子(以下、馬場):炭酸水ねえ……。
給湯流:馬場先生、よろしければお酒でも。
馬場:でも、最初からビールなんか飲まないほうがいいわね……。
阿部:そんなことないですよ! では僕もビールをいただきます。
馬場:あら、いいの?
給湯流:先生、お顔がパッと明るくなられました(笑)。
馬場:私はね、太平洋戦争が終わったときに17歳だったの。戦争が終わってから和歌を夢中で学んでね。夜寝るのも惜しまず詠んだの。あなたは『新古今和歌集(※)』について知りたいそうだけど、なぜなの?
阿部:世阿弥や千利休が好きで。彼らが『新古今和歌集』を元ネタにしていると知って、興味がわきました。
馬場:そうなの。じゃあ、あなたに決定的なことを教えてあげるわね。
阿部:気になります。
馬場:『新古今和歌集』は、戦後歌集です。
給湯流:ここでいう戦後とは、どの戦争ですか?
馬場:源平争乱よ。
阿部:そうか!
馬場:鎌倉幕府に政権を取られ、京都は焼け野原になった。公家たちは、むなしいわけ。
阿部:はい。
馬場:なにか政治的に決めるときは、鎌倉幕府に言ってOKをもらわないと動けない。公家たちが権力を失い、平安朝の美が消えてしまったのよ。
阿部:なるほど。
馬場:平敦盛(たいらのあつもり)や平経正(たいらのつねまさ)、平清経(たいらのきよつね)のような、若武者が戦で死ぬことはどういうことだと思う?
阿部:才能や未来を失ってしまった。
馬場:そうね。あの人たちは笛や琵琶の名手だったでしょ。
阿部:そうですよね。
馬場:彼らは日本のトップの音楽家だったの。そんな人々が、戦争で死ぬことによって文化が滅亡してしまった。公家たちは自信を失って、どうやったら鎌倉幕府に勝てるかを考える。新しい何かを作らなくてはいけない。
阿部:はい。
馬場:同時に、過去の王朝の文化を取り込んだ伝統がないとダメだと公家たちは思ったのね。文学集団を抱えていた平安朝に憧れ、新時代の美意識の中から『新古今和歌集』が生まれたのよ。
阿部:それで戦後歌集とおっしゃったのですね。
能の世界でつかう「幽玄」という言葉。本当の意味は、ずばり“妖艶”だった
馬場:王朝の美は艶(えん)。当時、藤原俊成(ふじわらしゅんぜい/としなり)は、王朝の美の伝統をどう受け継ぎ、新時代の美意識を生んでいけるかを考えていたのよ。
阿部:おおお! そうなのですか。
馬場:俊成の子である藤原定家(ふじわらていか/さだいえ)は、俊成の心をついで「余情妖艶(よせいようえん)」そして「余情幽玄」といった。のちに世阿弥が描いた「幽玄」につながるのよ。
阿部:幽玄と妖艶という言葉は、ほぼ同じなのですか?
馬場:微妙に同じです。妖艶というと、華やかで艶っぽいわね。
阿部:はい。僕がなんとなくイメージする幽玄と違います。
馬場:幽玄ときくと、少し暗い感じがするでしょ。これが実に微妙なんです。実権を失った公家たちは妖艶をなつかしんでも、現実は焼け野原なわけ。草の原から妖艶、華麗なものを見なきゃいけないのが彼らだった。
『新古今和歌集』には、戦争で傷ついた女性の歌がある
馬場:『新古今和歌集』の女性歌人たちの多くは、戦争の傷を負っているんです。お父さんが死んだ。兄さんが、息子が、やられた。そんな女性たちが歌を詠むことに人生を賭けた。源平争乱より前、王朝が権力をもち国風文化を創出した時代につくられた『古今和歌集』とはだいぶ違うのよ。
阿部:はい……。
馬場:例えば『古今和歌集(※)』の春の歌はね、爛漫たる桜がテーマ。実にうっとりするほどの美しい世界なの。
阿部:平和なのですね。
馬場:でも『新古今和歌集』の春の歌は悲しい、寂しいの。たとえば式子内親王(しょくしないしんのう、後白河院の第3皇女)がうたうと涙ぐましい春になっちゃう。逝ってしまった春、もう亡くなってしまった春、ふるさとに春はもうないという……。
花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る
桜の花は散って、何を眺めるというのでもなく、しみじみとした思い出眺めると、何もない空に春雨が降っていることよ。(訳:『日本古典文学全集』小学館)
千利休にもつながる『新古今和歌集』のテクニック “見せ消ち”
馬場:じゃあ枯れ野原にどうやって美を生むか。これは利休とも関係があるのよ。
阿部:利休と!
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
見渡すと、色美しい花も紅葉もないことだ。浦の苫屋のあたりの秋の夕暮れよ。(訳:『日本古典文学全集』小学館)
給湯流:『新古今和歌集』にある藤原定家の歌ですね。
馬場:これは、お茶人が掛け軸で必ず一枚は持っている歌でしょ。見渡せば、花も紅葉もない。じゃあ現実は何があるかというと、浦の浜辺にね、海士の家が一軒建っているだけ。
阿部:はい。
馬場:ただ浦の浜の秋のけしきには何にもないと詠んでも、歌にならないのよ。でも「花も紅葉もなかりけり」というとね、見せ消ちの技になる。つまりね、見せておいて消す。
阿部:へー!
給湯流:なるほど。この“見せて消す”歌が、無駄をそぎ落とした利休の侘び茶に通ずると。後に茶道の「侘び寂び」を表す“パンチライン”になったのですね。
かつて、好きな男と夜を過ごした老女の“妖艶”
馬場:世阿弥よりずっと後に活躍した連歌師の心敬(しんけい)という人がいるんだけど。歌の究極は「枯野の薄(すすき) 有明の月」という風情だと、彼が言ったのよ。
阿部:え……。
馬場:若いすすきは、つやつやの穂をなまめかしく揺らして、人待ち顔の思いを見せていた。人を待つ女の妖艶な存在があり、思いをかけて待つ時間があった。
阿部:はい……。
馬場:「有明の月」は、一夜を共にした男が朝帰っていく時間よね。能の世界では、こういったことを「井筒(いづつ)」や「野宮(ののみや)」といった演目、または老女物(というジャンル)として表現するの。今は老いた女性に、かつてどんな人生があったか。そういう妖艶さが思われるように演じなければならない。能はとても難しい芸能になっていったのね。
阿部:いやー、おもしろい! 一生聞いてられます。マンツーマンで貴重すぎる講義です。
馬場:(笑)。妖艶な女性が、荒れた廃墟にたたずむ。この組み合わせの中に微妙に深い幽玄さを感じるんです。
世阿弥『風姿花伝』は藤原定家を“パクって”書かれた?
馬場:世阿弥はね、少年時代に二条良基(にじょうよしもと)にかわいがられ、お邸にも招かれた。良基の家は図書館みたいにたくさんの書物があったから、世阿弥は歌論も読んだのだろうと思う。
阿部:だから世阿弥の能には、和歌が出てくるのですね。オマージュというか。
馬場:そうね。藤原定家の歌論に「いはゆる花と申すは心、実(じつ)と申すは詞(ことば)なり」という言葉があるのね。これを世阿弥が「花は心、種はわ態(わざ)なるべし」と、そっくりパクっているのよ。
阿部:パクってる! 世阿弥は芸事に「花」という言葉を使っています。僕が好きな世阿弥の言葉「秘すれば花」とか。
給湯流:ステージ上の“推し”を見た観客がドキドキする感情を、世阿弥が秘伝書「風姿花伝」のなかで「花が咲く」と例えるなんてセンスがいいと感心していました。でも定家を元ネタにしていたのですね!
馬場:世阿弥は歌論に重きを置いていたのよ。現代の人が歌論を読むと「世阿弥といっしょだ!」と逆に気づくわけ。
阿部:昔の人は、人生を花に重ねていたと……。本当におもしろいです。
この後も馬場先生、圧巻のマンツーマン講義が続きますが、今回はここで終わりにいたします。続きもお楽しみに! 次回は知る人ぞ知る、とある鎌倉将軍と和歌のお話です。
撮影/今井裕治
取材・文/給湯流茶道
阿部顕嵐 お知らせ
▷OA
MBS系列 ドラマフィル『スメルズライクグリーンスピリット』
毎週木曜日 深夜1:29〜放送
※放送・配信時間は予告なく変更になる場合があります
※各放送局での放送時間は公式サイトをご覧ください。
https://www.mbs.jp/slgs/
▷舞台
阿部顕嵐 プロデュース作品 東洋空想世界『blue egoist』
11月17日〜12月1日 at 東京・THEATER MILANO-Za
12月6日〜8日 at 大阪・オリックス劇場で上演
詳しくは公式サイトをご覧ください。
https://blueegoist.com
▷MORE INFORMATION
阿部顕嵐 OFFICIAL SITE >> https://alanabe.com
フレンチレストラン アシエット
今回取材で伺ったのは、成城学園前駅にひっそりと佇むフランス料理店「アシエット」。季節の野菜をふんだんに使い、丁寧に作り上げたクラシカルなフランス料理は、ワインと一緒にゆっくりと堪能したい。
住所:〒157-0066 東京都世田谷区成城 6-10-3
電話:03-3789-1190
公式サイト:https://seijo-assiette.com/