吉原に生まれ、自力で江戸の〝メディア王〟となった男・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の仕事からプライベートまでを、AからZで始まる26の項目で解説するシリーズ【大河ドラマ「べらぼう」を100倍楽しむAtoZ】。第7回は「L=LOVE吉原」をご紹介します! Zまで毎日更新中! 明日もお楽しみに。
シリーズ一覧はこちら。
蔦重AtoZ
L=LOVE吉原 これを抜きに蔦重の人生は語れない!

吉原とは遊郭が軒を並べる幕府公認の歓楽街でした。
2代将軍徳川秀忠(ひでただ)のころ、江戸町内に遊女屋が点在するのは公序良俗(こうじょりょうぞく)に反すると、現・東京都中央区日本橋人形町(にんぎょうちょう)に吉原遊郭を開業。
しかし江戸中心部は不適とされ、4代将軍家綱(いえつな)のころ現・台東区千束(たいとうくせんぞく)に移転。当初は新吉原と呼ばれました。
▼くわしくはこちら
遊郭とは?吉原は何をするところだったの?3分で分かる遊郭のすべて
毎日がお祭り! 娯楽の殿堂「吉原」

『東都新吉原一覧(とうとしんよしわらいちらん)』 歌川広重(二代) 大判錦絵3枚続き 万延元(1860)年 東京都立中央図書館
春をひさぐ遊郭には日陰のイメージがありますが、浮世絵に描かれた遊女たちの髪型やきものは流行の最先端で、女性たちの憧れの的。遊女でも高位の花魁(おいらん)は教養も高く、知識人が集う文化サロンという一面がありました。
また、メインストリートの仲之町(なかのちょう)には、桜など季節の花が飾られ、毎晩お祭りのような華やかさ。老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、武士も庶民も憧れた場所でもあったのです。

『古代江戸繪集』より「新吉原江戸町二丁目 佐野槌屋内黛突出シ之図(しんよしわらにちょうめ さのつちやないまゆずみつきだしのず)」 歌川芳幾 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542560 (参照 2025-03-20)
そんな吉原で育ったからこそ、蔦重は文化人のネットワークを築き、粋な雰囲気を早くから身につけたのでしょう。また、出版物でも常に吉原を取り上げ、繁栄を支えるなど、蔦重は終生〝吉原愛〟を失うことはありませんでした。
吉原の妓楼はこんなに華やか!

『古代江戸繪集(こだいえどえしゅう)』より「新よし原尾州樓かり宅(しんよしわらびしゅうろうかりたく」 歌川国貞 大判錦絵2枚続き 文久1(1861)年 国立国会図書館デジタルコレクション
広重が描いた人気の猫は吉原にいた!

吉原の妓楼に二階から、浅草・鷲神社の酉の市の賑わいを眺めている猫。「籠の鳥」のもの悲しさが漂う。『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣(めいしょえどひゃっけい あさくさたんぼとりのまちもうで)』 歌川広重 安政4(1857)年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1312337 (参照 2025-03-20)
Share
構成/山本 毅
※本記事は雑誌『和樂(2025年2・3月号)』の転載です。
参考文献/『歴史人 別冊』2023年12月号増刊(ABCアーク)、『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人 歌麿にも写楽にも仕掛人がいた!』車浮代著(PHP研究所)、『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』伊藤賀一著(Gakken)