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今こそ知りたい!千利休の『茶』と『美』

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Culture

2025.09.18

建設段階から見学者殺到! 1893年シカゴ万博・岡倉天心プロデュース「日本館」秘話

大阪・関西万博で盛り上がる今。 じつは約130年前、シカゴ万博で日本館が大バズリしたことはご存じだろうか? 東京藝術大学を設立した岡倉天心(おかくらてんしん)がプロデュースしたシカゴ万博・日本館。後に帝国ホテルを作った建築家フランク・ロイド・ライトが、日本館に夢中になって通ったという。いったいどんな日本館だったのだろう?『近代万博と茶~世界が驚いた日本の「喫茶外交」史』の著者、吉野亜湖さんに聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室を、国宝級の茶室に見立て抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

金閣寺か平等院鳳凰堂か? 日本館建築をめぐるドリーム対決

給湯流茶道(以下、給湯流): 1893年シカゴ万博日本館は、平等院鳳凰堂をモデルにした建物だったそうですね。でも、当初は金閣寺という案もあったと先生の本で拝見しました。平等院鳳凰堂が選ばれた理由は何だったのでしょうか?

▲1893年シカゴ万博プロデューサー・岡倉天心自ら撮影した、日本館/The Hō-ō-den (Phoenix hall) : an illustrated description of the buildings erected by the Japanese government at the World’s Columbian exposition, Jackson Park, Chicago; by Okakura Kakudzo/State Library of Pennsylvania

吉野亜湖(以下、吉野): 当時、平安時代、室町時代、江戸時代の3つの時代を万博で表現しようと考えていました。平等院鳳凰堂は、両翼を広げたような横に長い形をしており、3つの時代の美術品や工芸品を見せるのに適していたのでしょう。

給湯流: 現代の万博だと、各国の展示は1つのテーマに絞るイメージがあります。しかし当時は3つの時代を全部紹介する企画だったのは、珍しいですね。

吉野:当時、日本は非文明国(野蛮な国)、日本人は「イエローモンキー(黄色い猿)」と見下されていた時代でもありました。どうやって日本の文化芸術を伝えようか、岡倉天心は腐心していたのだと思います。

給湯流:猿だと言われていた……今の感覚とは違うのですね。

吉野:また金閣寺より平等院のほうが年代が古いので、日本の長い歴史を伝えるためにも良かったのではないでしょうか。

明治時代、野蛮な国だと思われていた日本……岡倉天心、欧米人への切り返しがすごい

給湯流: 岡倉は、横浜生まれで英語を習い、小さいころから外国人と接してきた。英語で海外の人と交流する中で、「日本が欧米に見下されている。くやしい」という強烈な思いがあったのでしょうね。

▲シカゴ万博の跡地には日本語の解説もある/2019年/吉野亜湖氏・撮影

吉野: そうだと思います。岡倉は当時、ニューヨークで「あなたはどのニーズだ? チャイニーズ? ジャパニーズ?」と聞かれたといいます。

給湯流:むやみにルーツを聞くことは今のアメリカでは失礼にあたる、と聞きますものね。岡倉は出身国より「俺の話を聞け」と腹を立てていそうです。

吉野:だから岡倉は即時に「あなたはどのキーですか? ヤンキー(アメリカ人)? モンキー? それともドンキー(馬鹿)ですか?」と聞き返したそうです。

給湯流: 反骨精神がすごい! 

日本館にアメリカ人が殺到! 人波で塀が壊れそうになった

給湯流: 平等院鳳凰堂をモデルにした日本館は、シカゴ万博で一番の関心を集めたとか?

▲シカゴ万博の跡地、現在の庭園の様子。2019年/吉野亜湖氏・撮影

吉野: 大工や鳶、土木の技師を数十名シカゴに派遣しました。鳶が足場を自在に駆け上がる様子、釘を使わず建物をつくる工法も珍しく、大きな話題になったようです。

給湯流: 準備段階から注目されていたのですね。

▲1893年シカゴ万博の日本館は残念ながら焼失してしまった。日本館の跡地から見える博物館(万博当時は美術館として機能していたらしい)/吉野亜湖氏・撮影

吉野: 周囲の建物の多くは、ギリシャ神殿のように白く塗られていました。その中に、全く異なる外観の日本館が建てられたため、人々の関心を集めたのだと思います。フランク・ロイド・ライトも建設段階から足しげく通ったそうです。

給湯流: のちに巨匠になるライトが、鳶や大工を見て心をときめかせていたのかと思うと、ぐっときます。

吉野:ライトの建築デザインに、シカゴ万博の日本館が影響を及ぼしたと言われています。ちなみに建設時にあまりに人が押し寄せて、見学は禁止になったそうです(笑)。

英語が堪能だった岡倉天心、侘び寂びを“シンプル”と英訳。100年後のスティーブ・ジョブズにも届いた?

給湯流: 岡倉は、日本館の中でどんな展示をしたのでしょうか?

▲1893年シカゴ万博・日本館の平安時代ゾーン/The Hō-ō-den (Phoenix hall) : an illustrated description of the buildings erected by the Japanese government at the World’s Columbian exposition, Jackson Park, Chicago; by Okakura Kakudzo/State Library of Pennsylvania

吉野:平等院鳳凰堂を模した横に広がる建物の中で、平安時代、室町時代、江戸時代の展示をしたと先ほども申し上げましたが、とくに室町時代の部屋では茶室を作って、茶の湯を展示したようです。

給湯流:シカゴ万博以前、パリ万博やフィラデルフィア万博でも日本は茶の展示をしたと先生の本で拝見しました。シカゴ万博のテーマは何が異なったのでしょうか?

▲1893年シカゴ万博・日本館の室町時代ゾーン、茶室の展示/The Hō-ō-den (Phoenix hall) : an illustrated description of the buildings erected by the Japanese government at the World’s Columbian exposition, Jackson Park, Chicago; by Okakura Kakudzo/State Library of Pennsylvania

吉野:「茶道が禅や中国・宋時代の哲学に影響を受けている」と岡倉が英語で書いた解説書に載っています。以前の万博の日本館・公式解説書にはなかった内容です。

給湯流:飲み物として抹茶を紹介するのではなく、岡倉は茶道という文化として紹介したのか! 熱い!

吉野:岡倉は、「茶室は茶の湯が行われる場で、すべてが“simplicily of taste(シンプルな趣)”を備える特別な心配りが施されている。」と解説しました。私はsimplicily of tasteを「侘び寂び」と訳しても良いと思ってます。

給湯流:ネイティブの人よりも英語が堪能だったといわれる岡倉天心。「侘び寂び」を「シンプル」と英訳したのか!

吉野:語源辞典を見ると、シンプルは「何かが欠けている」という意味があり、そこから「単純明快」といったほうで転化していった言葉だそうです。

給湯流:なるほど!

女礼式の内 茶の湯の図/楊斎延一/明治26年/国立国会図書館デジタルコレクション

吉野:抹茶をいれる器の一種に、「棗(なつめ)」があります。そのなかでも千利休がプロデュースした、黒い漆で塗った棗が、侘び寂びを表すといわれているのですよ。

給湯流:具体的にはどういった点で千利休は、侘びや寂びを表現しているのでしょうか?

黒漆中棗/黒漆塗の中棗(ちゅうなつめ)で、蓋裏に千利休の花押(サイン)がある。/東京国立博物館/出典:Colbase

吉野:本来は漆を何度も塗り重ね、研磨を繰り返して作るところ、利休があえて最後の仕上げの磨きをやめるように指示したという話は有名です。

給湯流:何度も磨いた美しさではなく、不完全なものに美を感じるのが「侘び寂び」。岡倉が侘び寂びをシンプルと訳したのは、ドンピシャだったのか!

吉野:のちにアメリカで禅を広めた宗教哲学者・鈴木大拙(すずきだいせつ)も「禅と茶道には共通点があり、物事をシンプルにすることだ。」と言っていたようです。

給湯流:これは個人的な妄想ですが、大拙は岡倉の文献を読んで「シンプル」という言葉を使っていたかもしれません。そう考えると、岡倉がシンプルという言葉を茶道につかい、大拙が禅にシンプルという言葉を使い、スティーブ・ジョブズが禅にはまり、「シンプル」を目指してスマートフォンを作ったという都市伝説を作るのも可能でしょうか。今も多くの日本人が使っているスマートフォンの元ネタはシカゴ万博の岡倉天心!?

吉野:(笑)。

給湯流:日本を茶道や禅、東洋哲学、侘び寂びといったキーワードでプレゼンをしていた岡倉天心。今の私たちにもつながるエッセンスがあり面白かったです。今日はありがとうございました。

吉野亜湖 プロフィール

茶道家・茶文化研究者(専門は江戸時代から近代)

『近代万博と茶 世界が驚いた日本の「喫茶外交」史』

禅寺(大徳寺瑞峰院)での茶道修業から、茶道宗家(堀之内長生庵)で住み込みの内弟子修行を経て独立し、茶道の文化を国内外で伝える活動を行っている。アメリカ留学中に日本文化(茶道)に興味を持ち、茶道史を研究するために静岡大学大学院に社会人入学した際、世界的な茶文化の名著『All about Tea』(1935年)の翻訳出版に関わり、そこから茶業史研究にも関心を持つ。卒業後は静岡大学など静岡県内の大学での日本茶の文化史の授業を担当しながら研究活動を続けている。

(現在)静岡大学非常勤講師, 静岡県立大学社会人フェロー, ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員・運営委員, (公財)世界緑茶協会評議員, 茶学術研会役員(監事), 茶の湯文化学会会員,日本茶道塾茶道教授.

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給湯流茶道

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!
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