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Culture

2025.10.27

絶体絶命のピンチで、敵を諭した名将は?ヒントは非業の死を遂げた武将の娘婿

戦国時代というと、どんなイメージがありますか? 多くの武士たちが、血で血を洗う合戦を繰り広げた時代。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが天下統一を目指して、権力闘争をくりひろげた時代...。などでしょうか? そんな激しい時代を生きた武士たちは、敵対する人物と恩讐を越えた交流を持つこともあったようです。

死にゆく運命で敵にかけた言葉

ある武将に、一族滅亡の危機が迫っていました。夜の暗闇のなか、城は敵が取り囲んでいて、落城目前という状態。この時、一番乗りにと勇んで櫓(やぐら)に取り付く入江長兵衛という男がいました。櫓の狭間(はざま・防御用の窓)の板を細めに開けて見下ろした武将は、この男を見つけます。実は長兵衛とは古くからの知り合いだったのです。

敵味方となった今、攻撃するのが自然な行動ですが、武将はしませんでした。そして、長兵衛に声をかけました。「我は若いときより戦場に攻めれば一番乗り、退却の時は殿(しんがり・軍隊の最後尾)をつとめて、武名をあげることを一番に考えてきた。けれども、その結果はどうだ。この城も我の命も今日限り。最期の言葉と思って聞いて欲しい」

続けてこう語りかけました。

我が身を見るが良い。貴殿もまた我のごとくなるであろう。武士をやめ、安穏とした一生を送られよ。

この言葉を残したのは…。

明智光秀の娘婿、明智秀満(ひでみつ)です。

知将が残したエピソードとは

一番乗りをなしとげたとしても、武士とは空しいだけだと言う秀満の言葉は、長兵衛の心を捉えました。そして秀満からもらった黄金3百両をもとに商人となり、後に財をなしたそうです。秀満は城主として坂本城と運命を共にし、生涯を終えました。

秀満は、「左馬助の湖水渡り」でも知られる武将です。

山崎の合戦で光秀敗北の知らせを受けた秀満は、安土城から坂本城へと引き上げようとします。ところが、大津の打出(うちで)の浜で敵に阻まれてしまいます。窮地の秀満は、乗馬したまま湖へ飛び込み、馬で湖と浜辺の陸地を走り抜けたというのです。

「本能寺の変」の計画も、光秀からまず一番に知らされて、秀満は思いとどまるように進言したとも伝えられています。もしも、光秀が娘婿の意見を聞いていたら、歴史は大きく変わっていたのかもしれません。

参考書籍:『戦国武将名言録』PHP研究所、『武将感状記』、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科全集』平凡社

アイキャッチ:一英斎芳艶『瓢軍談五十四場 三十八 右馬之助馬をもつて湖水を渡す』国立国会図書館デジタルコレクション

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瓦谷登貴子

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。
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