「和歌で読み解く日本のこころ」シリーズ一覧はこちら。
鳥のそらね
夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
わすれずよまたわすれずよかはらやのしたたくけぶりしたむせびつつ 藤原実方
少女のころ百人一首を取る遊びがあった。
読み上げる上句のことばにはむずかしいものが多かったが、取り札の下句の方は「をとめの姿しばしとどめむ」とか「人しれずこそ思ひそめしか」というように、心を直接に表現しているものが多く、私は取り札の言葉に興味を持つようになった。
その中で上句も下句もお手あげの歌があった。
「夜(よ)をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ」。
あの清少納言の歌である。
やがて『枕草子』を読むようになり、その中にこの歌を発見した。
実に魅力的なエピソードがついている。
それは中宮定子(ちゅうぐうていし) の御在所(ございしょ)となっていた職(しき)の御曹司(みぞうし)に、清少納言と親しい当代一の若き書家藤原行成が来て、長話をしていたが、殿上(てんじょう)に詰める時間が迫っていたのに気づき、早々に引き上げていった。
行成は清少納言に失礼をしたと思い手紙を書いた。
その文面に「暁を告げる鶏の声に、夜明け近し、と驚きまして」とある。
そこに目を留めた清少納言が「鶏の声って、故事にある孟嘗君(もうしょうくん)の〝鳥のそらね(噓鳴き)〟のこと?」と申し送ると、
行成は「いやいや、それは、斉(せい)の孟嘗君が夜のうちに函谷関(かんこくかん)を通過しないと危ないという時に、鶏鳴きの名人によって関所の門番を騙(だま)し開門させたというものでしょ、私の関はね、あなたに逢いたい逢坂の関のことですよ」という。

行成の洒落(しゃれ)たことばは清少納言の詩心にぱっと灯をともしたのだ。
歌意は、「あなたが一晩中、暁を告げる鶏の声をまねたとしても私は騙されない。あなたとの逢坂の関の戸を開けたりはしませんよ」。
後宮(こうきゅう)の才ある女房たちと親愛な関係を作るには、こんなやりとりができる才能も必要だったのだ。
このあとは清少納言への行成のみごとな手跡(しゅせき)の取り合いになり、半分は中宮のお手元に、半分は弟君の隆円僧都(りゅうえんそうず)のものとなった。

才気煥発(さいきかんぱつ)の清少納言も時には心情のこもるこんな歌を詠んでいる。
われながら我がこころをば知らずしてまた逢ひ見じと誓ひけるかな
(われながら自分の心の動きは予測がつかず、嫌いでもないあの方に、もう決してお逢いしたりしないと誓ってしまった)
こんな悔恨の思いは現代にもやはりあるだろう。
意外に神妙な清少納言。いったい対象は誰だったのだろう。交際の範囲は多すぎて特定はできないが、ほかの人よりも人間的な親愛をもって交際していたかもしれない人に藤原実方がいる。
二人はふとしたことからしばらく交際が途絶えていたころがあった。
ある日実方が仕事をしていると、清少納言がふと寄ってきて、「私のこと、お忘れになったのね」とささやいた。
実方は場をはばかって無言で席を外したが、やがて歌がとどく。
わすれずよまたわすれずよかはらやのしたたくけぶりしたむせびつつ
(忘れるものですか、もう一度言います、忘れるはずないでしょう。瓦を焼く小屋の火の煙にむせるように、しのび泣きながら)
何というやさしい歌であろう。清少納言の挑発力もこれに勝つことばはない。

馬場あき子 歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)。

