Culture
2019.09.26

日本初!乗用車型ドクターカーを導入した医師・中津川市民病院間渕則文先生インタビュー

この記事を書いた人

「坂下市内、約10mほど転落し、頭部から出血のもよう」
連絡が入ると、わずか2分でドクターカーが出場した。赤色灯を付け、サイレンを鳴らしながら現場に急行するドクターカーの中で、間渕則文医師は救急隊員から入る無線連絡にできるかぎりの指示を出しながら現場に乗り込んだ――。

ドクターカーをご存知ですか。
ドクターカーとは、医師や看護師自らがハンドルを握って現場に出動することができる緊急車両のことです。救急外来と同じ処置・検査ができる資器材を乗せて現場に向かうため「動く救急外来」とも言われています。

ドクターカーは“救急医療の出前”

中津川市民病院、病院前救急診療科部長の間渕則文先生は、医師自らが運転する「乗用車型ドクターカー」を日本で初めて導入したことで知られています。

また、ドクターカーに特化した診療科である「病院前救急診療科」も日本で初めて開設し、中津川市の救命率を大都市と同じレベルにまで引き上げました。

これまで日本テレビの「世界一受けたい授業」やNHK「SWITCHインタビュー達人たち」といった多くのメディアに出演されているため、ご存知の方も多いかもしれません。

間渕先生は自らの活動を「僕たちが行うのは救急医療の出前で、ピザのデリバリーと一緒」とわかりやすく例えます。

ドイツで学んだドクターカー

1999年から国際協力事業団の医療協力部プロジェクトリーダーとしてヨーロッパを巡っていた間渕先生は、ドイツで乗用車を使ったドクターカーについて学ぶ機会を得ます。

当時のヨーロッパでは、乗用車型ドクターカーばかりでなくバイクも動員し、現場にいち早く医師を送り込んでいました。“医師は病院の中で待つだけでなく、現場に出て現場から診察を始めるものである”という考え方を「病院前救急診療」と言います。

ヨーロッパでは既に医療の一分野として確立されていましたが、当時の日本ではその考え方すら十分に普及していませんでした。

日本で初めて乗用車型ドクターカーを導入

帰国後、岐阜県立多治見病院救命救急センターに赴任すると、間渕先生は、東濃地方(岐阜県東部)の救急医療には機動性の高い乗用車型ドクターカーが不可欠だと強く感じるようになります。しかし、当時の日本では法律上、乗用車型のドクターカーは許可されていませんでした。

2008年、間渕先生の思いに追い風が吹きます。改正道路交通法で“医師を現場に運ぶための自動車”が緊急車両に加えられたのです。ドクターカーへの理解を求めるべく奔走した間渕先生はついに2008年9月、乗用車型ドクターカーの導入を実現します。それは日本初の試みでした。

医者として本当にやりたかったことをやりたい

あるとき、間渕先生は、救命センターに運ばれる救急車の数を調べました。すると、土岐市や瑞浪市、恵那市は増えているにもかかわらず、中津川市だけが増えていないことに気付きます。

「医療環境が特に厳しい中津川市の中山間地では、患者さんが救命センターに辿り着くことができず、亡くなっているのではないか」と間渕先生は感じました。

岐阜県の東南端にある中津川市は、東京23区とほぼ同じ広さに約8万人が生活するエリアです。地域医療の中核を担う中津川市民病院は重症も診療・看護する病院ですが、24時間体制で勤める救急専門医はおらず、ICUもありませんでした。

医療過疎地域の重症救急をカバーするツールとしてドクターヘリがあります。しかし、天候が悪ければ飛べないし夜は動きません。

一方、ドクターカーは時間帯や天候の影響を受けにくく、24時間運行できます。また、現場に直接到達できる点では、ヘリより優れているのです。

自分は今55歳。現役で活躍できる時間はあと10年。医者として本当にやりたかったことをやりたい。中津川市こそドクターカーが必要であり、救急医療をどうにかしなければならないと間渕先生は強く思いました。

24時間365日、患者のもとに駆け付ける

ただ、中津川市の場合、ドクターカーを導入するとなれば運用には年間約5000万円もの費用がかかります。間渕先生はすぐに中津川市消防本部や市議会をはじめとする関係各所に足を運び、医療過疎地の救急に対する思いとドクターカーの必要性を強く訴えました。

ドクターカーを導入するとなれば、市民1人に1日1円50銭を負担してもらわなければなりません。ただし、ドクターカーがあれば24時間体制で対応できるし、夜中でも患者の元に駆け付けられると丁寧なプレゼンを重ねました。そして、ようやく理解が得られたのです。

日本で唯一の「病院前救急診療科」

2013年9月、中津川市民病院に赴任した間渕先生はすぐに日本初の「病院前救急診療科」を立ち上げ、2014年3月にはドクターカーNEMAC(Nakatsugawa Emergency Medical Assistance Car:ニーマック)を始動させます。

そして「助かる命は助けたい」を合言葉に、ドクターカーがなければ救えなかったであろう多くの命と向き合いました。

30種類以上の資器材を載せて

ドクターカーにはさまざまな資器材が積み込まれています。

通信機器をはじめ気管切開器具を含む呼吸管理セット、チェストチューブ一式、輸液セット、携帯型エコー装置、簡易型血液検査装置、モニタ付除細動器、各種止血器具、薬剤一式など実に30種類以上。「動く救急外来」と呼ばれるゆえんのひとつです。

救命率を大都市と同等の19%に

間渕先生が赴任した当時、救命率の全国平均は12%で東京都は18%でした。ところが、中津川市はわずか3%。「患者さんに早く治療を行うことができれば、医療過疎地であっても救命率は大都会と一緒になるはずだ」と間渕先生は思っていました。

ドクターカーがフル稼働すると、それがなんと19%にまで改善、大都市と同レベルの医療を提供できるようになったのです。中津川市は「助かる命が助けられる町」になりました。

「医者が来たよ」という言葉で安心感を届ける

現場に着くと間渕先生は必ず「医者が来たよ」と声をかけます。医師が隣に来て声をかけ、手をにぎるだけで患者さんと家族は何となく安心するといいます。原始的ではあるけれど、それは間渕先生がいつも大切にしていることなのです。

間渕先生が向き合う現場はいつも、暗い、狭い、暑い、寒いといった厳しい空間です。しかも、患者さんは基本的にすべて初診。一期一会の一瞬の医療であり、患者さんと家族の理解、納得を得て治療しなければなりません。その中で、とっさの判断を迫られ、限られた装備で命と向き合うのです。

ドクターカーとともに日常生活を送る

間渕先生が率いる病院前救急診療科には、間渕先生を含め2人の医師と4人の看護師、救命救命士が1人います。医師は「9日間連続で勤務し、5日間連続で休暇をとる」という勤務体制をとりながら24時間365日対応しています。そして、常にドクターカーとともに食事や買い物といった日常生活を送っています。

「ドクターカーで大切にしていることは、24時間反応すること。自らが学んだヨーロッパのように、地域で起こるすべての重症疾患に出動したい。できることには限界があるが、助かる命は助けたい。」
間渕先生は今日も命と向き合います。

総合病院中津川市民病院

岐阜県中津川市駒場1522-1
公式Webサイト:http://nakatsugawa-hp.jp/