Culture
2019.10.01

秋の俳句と短歌、三大俳諧師のひとり与謝野蕪村も詠んだ日本の秋の風景

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「もうすっかり秋ですね」の言葉には、どこかさみしさが漂っている。とくに夕暮れ時や月の美しい晩にはいっそう寂しく感じる。それもそのはず。郷愁や哀愁の「愁」は、秋の心と書くのだ。
一年のなかでも過ごしやすい秋は行楽の季節でもある。金木犀の甘い香り。どこからともなく聞こえる虫の鳴き声。日々赤みを増してゆく紅葉。団栗(どんぐり)をついばむ小鳥。薄くまばらに広がるいわし雲。月がひときわ輝く十五夜。当時の人々が感じていた「秋」を俳句や短歌、百人一首から想像してみよう。

いくつ知ってる?秋の俳句と月の短歌

日本人は昔から自然のなかに喜びや悲しみ、美しさ、驚きなどを見いだしてきた。そうした心情を歌に詠み表現してきたのだ。古くから読まれてきた歌や俳句には、今の人々の心に触れる有名な作品がたくさんある。なかでも有名な俳句は「名句」と呼ばれ長いあいだ親しまれてきた。

「去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年さかる」

この歌は飛鳥時代の歌人・柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が妻の死を哀しんで詠んだ挽歌。去年見た秋の月は今年もおなじように照らすけれど、一緒に月を見た妻の存在は年月が経ちいよいよ遠ざかってしまった、と秋の月を見て、亡くなった妻への哀しみを訴える思慕の歌だ。
ひとつの句や歌にたいしての詠み手の解釈はさまざまだ。説明を聞いて、そういうことかと思うのも楽しみ方のひとつ。もちろん、作者の意図とは違う解釈をしても良い。そうすることで作品に奥行きが生まれることもあるし、なにより自由な鑑賞は心を豊かにしてくれる。

秋の俳句

日本だけでなく世界的にも有名な俳人、松尾芭蕉

「色付や豆腐に落ちて薄紅葉」
(訳)紅葉狩りの席で出された紅葉豆腐(唐辛子で色を付けた豆腐)を見た芭蕉が「これは豆腐の上に落ちた紅葉が色を付けているのでは?」といったことから。

「白露もこぼさ、ぬ萩のうねりかな」
(訳)秋の花を詠んだ句。露をいっぱいためた萩の花。風に吹かれてうねってもその露をおとさない。

江戸三大俳諧師のひとり、与謝野蕪村

「山暮れて紅葉の朱を奪うけり」
(訳)秋の山の情景を思い浮かべた句。真っ赤な紅葉が日が落ちるとともに色を失っていく情景。

「子狐の隠れ顔なる野菊かな」
(訳)可憐な野菊が群がり咲く陰で、かわいい子狐が隠れん坊している様子を表現。

明治時代を代表する文学者の顔も持つ、正岡子規

「古寺に灯のともりたる紅葉哉」
(訳)お寺の灯篭に灯がともって浮かび上がっている、紅葉の美しさを表現した句。当時はライトアップの技術がなく、紅葉は昼間に見るものだった。時代を感じさせてくれる句。

江戸時代を代表する女流俳人、加賀千代女

「朝顔につるべ取られてもらい水」
(訳)朝早く井戸へと水を汲みに出てみると、井戸の釣瓶に朝顔が蔦を巻きつき咲いてる。それを解くのは忍びないので、近所の家へ水を貰いに行くことにした。

大正から昭和にかけての俳壇の重鎮、水原秋桜子

「コスモスに 雨ありけらし 朝日影」
(訳)コスモスに雨が降ったらしい。朝の太陽の光が当たっている。

百人一首より月の和歌

※数字は和歌番号
7. 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」(安倍仲麿:遣唐使) 「古今集」
(訳)大空を振り仰いで眺めると美しい月が出ているが、あの月はきっと故郷である春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。

23. 「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」(大江千里:博学の儒者) 「古今集」
(訳)月を見上げるといろいろな思いがあふれて悲しくなる。私ひとりのための秋ではないのに。

36.「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ」(清原深養父=「日本書記」編者の舎人親王の子孫) 「古今集」
(訳)夏の夜はまだ宵のうちだと思っているのに明けてしまった、 いったい月は雲のどの辺りに宿をとっているのだろう。

59.「やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな」(赤染衛門: 女流歌人)「後拾遺集」
(訳)あなたが来ないと知っていたら寝てしまえばよかったのに、とうとう明け方の月が西に傾くまで眺めてしまった。

81.「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる」(後徳大寺左大臣=藤原実定)「千載集」
(訳)ほととぎすの鳴き声が聞こえたので、そちらへ目をやってみたが、鳥の姿はなく 空には有明の月が残っているばかり。

86.「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」(西行法師:各地を旅行)「千載集」
(訳)嘆き悲しめと月はわたしに思わせているのだろうか。 本当は恋の悩みのせいなのに、まるで月の仕業であるかのように流れるわたしの涙。

俳句・和歌・短歌・川柳との違いは?

「和歌」とは、漢詩に対して日本で発展した詩歌全般のこと。そのなかに「短歌」「長唄」「旋頭歌(せどうか)」などがある。現在は短歌以外の歌はほとんどなくなってしまったので、和歌=短歌という認識が一般的だ。和歌は、5・7・5・7・7で構成されている。5・7・5が「上の句」で、7・7が「下の句」。31文字で構成された日本独自の定型歌だ。数えるときは一首、二首と数える。恋愛や自然などテーマは様々。代表的なのは百人一首だろう。
「俳句」は5・7・5で構成されていて、自然を表す「季語」が必ず入っていなければならない。数える時は一句、二句。テーマは季節や自然の情景が中心だ。「川柳」は5・7・5の構成で、季語がないもののこと。口語(話ことば)で表現できること、日常的で身近なテーマを扱うので、よりカジュアルな俳句といった印象。笑いを誘う「サラリーマン川柳」でおなじみだ。

海外の俳句事情

じつは今、俳句は海外でも人気。欧米、アジア、ヨーロッパなど異文化の国々でも俳句は詠まれている。私がはじめて「HAIKU(俳句)」と出会ったのも海外に住んでいた頃だった。海外の俳句はもちろん外国語で詠む。外国語で俳句は作れるのか?と思う人もいるかもしれない。実は、英語の俳句では季語(season word)をを入れなくても良いことになっている。だから、三行の短い詩を作れば英語俳句は完成だ。というのも、外国では日本ほど四季がはっきりしていないし、自然の条件も異なる。また、彼らが自由な短い詩としての俳句を好むことも季語を使わない理由だろう。5・7・5の定型も季語もないのは俳句ではない!との声が聞こえてきそうなので、英語の俳句をひとつ紹介しよう。

Two light beams shining
where there were once Twin Towers-
my son, my daughter
(訳) 二本のビーム光線の輝き
 ここはツイン・タワーのあった処―
 わが息子よ、わが娘よ
(著作:ジャック ガルミッツ(アメリカ)第15回「草枕」国際俳句大会 草枕『大賞』作品)

これは2001年9月11日に起きた同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地で、犠牲者への哀悼を謳った句。日本語を使わず、季語もない、文化も違うこの俳句を、あなたはどう詠む?

さいごに

俳句を作ることはそんなに難しくないし、思いつくのも、覚えるのも簡単だ。こうした特徴も俳句が海外で人気の理由かもしれない。外国語でも日本語でも、作品の魅力は言葉の奥の物語にある。季語が入っていてもいなくても、自分の繊細な気持ちを俳句や歌の形で伝えることができたら、それはもう立派な名句ではないだろうか。読書の秋・食欲の秋・スポーツの秋など「~の秋」はたくさんあるが、今年はいつもとちがう「俳句の秋」を始めてみては?

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。