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Culture
2019.12.04

アルベール・カーンとはどんな人物?美術館の庭園と渋沢栄一の関係とは?

この記事を書いた人

アルベール・カーンという人物をご存知でしょうか。表舞台に出ることをあまり好まなかったこの人物は、フランス国内でもあまり名前は知られていません。30代という若さで銀行を設立した実業家で、渋沢栄一や大隈重信などの政治家や財界人と親交のあった人物です。

死後から約半世紀を過ぎて、1990年にかつての氏の邸宅がアルベール・カーン美術館としてオープンしました。そこには日本人もびっくりしてしまうような、広大な日本庭園があるのです。フランスのこの地にどのような経緯で日本庭園が作られたのでしょうか。かつてこの庭園の主であったアルベール・カーンという人物と共に、日本庭園をご案内します。

アルベール・カーン美術館の庭園

アルベール・カーン美術館が位置するのは、パリ16区に隣接する閑静な住宅街が立ち並んでいるブローニュ。四季の移り変わりが美しいブローニュの森が有名な場所です。美術館の庭園に足を踏み入れると、気持ちのいい緑と光に出迎えられます。都会の喧騒から解放された静けさが現れ、なんとも心地の良い空気感が漂います。ここは元々アルベール・カーンの邸宅で、敷地内にはフランス庭園、イギリス庭園、そして日本庭園が隣り合わせにあります。なぜ一つの邸宅の中に異なる文化の庭園があるのか、初めて訪れる者は不思議に思わざるを得ません。これらの庭園は富豪が財力にものをいわせて趣味で作ったものなのでしょうか。いいえ。主であるアルベール・カーンがある願い込めて作ったものなのです。その願いとは、「世界平和」。庭園に込められた壮大な想いを理解する為に、まずは、アルベールカーンという人物について見ていくことにしましょう。

アルベール・カーンとは

1860年、アルザス地方の農村でユダヤ系フランス人の家庭に生まれたアルベール・カーンは、16歳のとき単身パリへ渡ります。南アフリカでダイヤモンドや金鉱への投機で財産を築き、30代という若さでカーン銀行を設立しました。ブローニュに土地を購入し、世界中から植物や土を買い集め、庭園作りを始めたのもこの時期で、アルベール・カーンは、銀行家として才能を発揮し財を成す一方で、慈善事業を開始します。若者に異民族、異文化を知って欲しいという願いから、世界周遊奨学金制度を設けました。驚くべきことに、この奨学金は世界旅行をすることのみを課した制度です。

1909年には、『地球映像資料館』プロジェクトを開始します。『地球映像資料館』プロジェクトとは、近代化の波が世界中に訪れる前に、各民族の生活や文化を記録すること。視覚表現は異文化理解への最も有効な手段と考え、世界60ヶ国に最新の機材と共に写真家を派遣したのです。『地球映像資料館』プロジェクトが素晴らしいのは、ヨーロッパやアメリカの都市部だけではなく、アジア、アフリカ、ヨーロッパの少数民族の暮らしを客観的に撮影している点です。その背景にはアルベール・カーンが全ての文化に敬意を表していて、異文化の理解を深めることで、世界平和の実現を可能にするという理想があったことがあげられます。その思いを宿したオートクローム写真とフィルムは現在も保存され、消滅してしまった文化を伝える貴重な映像資料として評価されています。カーンの『地球映像資料館』のコレクションはオー=ド=セーヌ県がサイトで公開しています。

カーンはその後、世界恐慌で破産をしてしまいます。ブローニュの邸宅と庭をオー=ド=セーヌ県が買い取りましたが、ここで暮らし続けることは許可され、1940年に亡くなるまで、この邸宅で静かに晩年を過ごしたのだそうです。

アルベール・カーン美術館の庭園が意味すること

アルベール・カーン美術館の庭園からは、カーンの死んでしまった今でも、かつて込められた願いを感じ取ることができます。敷地内には、タイプの違う庭園がありますが、不思議と違和感はなく、むしろ、静かなこのブローニュの敷地内で、一つの形として調和しているように思われるのです。一方で、それぞれの庭園に入ると、中では各文化の魅力が存分に発揮されています。それぞれの文化の多様性を具現化しながらも、全体として統一感のあるアルベールカーン美術館の庭園は平和を強く願ったカーンの理想郷のような空間となっています。

アルベール・カーンと日本の関係

アルベール・カーンは邸宅に、日本庭園をわざわざ作ったほど、日本との深い繋がりがありました。アルベール・カーンと日本の関係は1904年に駐仏公使本野一郎と知り合うことから始まります。その後、当時大変なリスクと言われていた日露戦争戦時外積を購入し、日本との経済的なパイプを深めていくこととなります。その後次第に日本文化、そして日本人の精神、哲学に魅了されていったとされるカーンはビジネスの垣根を超えて、日本に愛着を抱くようになります。1908年、1912年、1926年と、生涯3度に渡り日本を訪れ、渋沢栄一や大隈重信などの政治家や財界人との深い繋がりを持つようにもなりました。また、皇族の北白川宮家と家族ぐるみの交流を結び、当時としては大変珍しかった皇室の伝統行事や日常のプライベート映像を残しています。

『地球映像資料館』の日本

アルベール・カーンのライフワークだった『地球映像資料館』の中で、日本の映像は重要な作品が多いと言われています。カーンは、1908年の来日の際に、庶民の生活に強く関心を抱きます。とりわけ、日本の農村の生活を映像に残そうとし、当時外国人があまり行きたがらなかった地方にも足を運んでいます。その後、写真家ロジェ・デュマを日本に送り込み、農村を一年かけて丁寧に撮影しました。そのほかにも、近代化の進む都市部の様子や神社や神道行事なども撮影し、現在は失われてしまったかつての日本の姿を叙情豊かに伝えています。

アルベール・カーン美術館の日本庭園

1908年の来日で、日本の伝統的な文化に魅せられたアルベール・カーンは、邸宅に日本庭園の建設を開始します。私財を投じ、わざわざ日本から茶室と日本家屋を移築し、大工、庭師をフランスに呼び寄せます。現在のように連絡、交通手段が容易ではなかった時代に、日本庭園が遠い異国で作られたことに、驚きを隠せません。カーンはこの庭園に日本の財界人を多く招き入れ、もてなしました。

現在の日本庭園

1989年には現代造園家の高野文彰氏がアルベール・カーンの人生へのオマージュとして現代日本庭園を作庭しました。この庭園では、三つのテーマ、生、死、男女の軸を表現しています。

そして2015年から2016年にかけては、日本から専門家が渡仏し、移築以来初めて茶室と日本家屋の全面改築工事が行われました。

現在は、美術館そのもののリニューアル工事が行われていて、日本の建築家隈研吾氏設計の資料新館が建てられています。

アルベール・カーン美術館の庭園内を歩いてみると、美しい庭園の中で単に心が癒されているだけではなく、安らかな心持ちになっていくように感じられます。アルベール・カーンが願った平和への想いが、ここに息づき、訪れる者にそっと訴えかけているようです。

アルベール・カーン美術館

10 Rue du Port, 92100 Boulogne-Billancourt
アルベール・カーン美術館公式サイト

参考資料
講演:アルベール・カーンと日本
BBC 奇跡の映像 よみがえる100年前の世界 第1回大富豪カーンの夢、第10回カーンが見たニッポン

書いた人

大阪生まれ。学生時代は東京で過ごし、卒業後なんとなく思い立ちフランスへ移住。パリの大学院では文化コミュニケーションを学ぶ。気がつけばフランスでの生活も十余年。どっぷりと洋の生活に浸かる中で、和の魅力を再発見する日々。第二黄金期時代の日本映画とスクリューボールコメディ、銘仙着物、和食器が好き。