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Culture
2019.12.19

縄文人はタトゥーをしていたか?イレズミで蘇る縄文の思想

この記事を書いた人

縄文人は、タトゥーをしていたかどうか? 土偶の文様は、タトゥーなのか、化粧なのか? これは、長いこと研究者の間で議論されてきて未だに決着のついていない問題です。この「古代ミステリー」とも言える永遠の謎に、実際に現代人の身体に縄文時代の文様を彫り込むことで挑戦しているアートプロジェクトがあります。その名も「縄文族 JOMON TRIBE」。進めてきたのは、日本を代表するトライバルタトゥーアーティスト、大島托(おおしま・たく)さん、そしてカウンターカルチャーを日本に紹介し続けるフォトグラファーのケロッピー前田さんです。お二人は、北海道の縄文遺跡を取材し、伝統的タトゥー文化を残す世界の民族を訪ね歩くことで、考古学と民俗学の観点を取り入れながら、このプロジェクトを進めてきたといいます。

縄文時代にタトゥーはあったのか? あったとしたら、どんな目的で何の意味があったのか? 写真家のケロッピー前田さんへの取材を軸に、縄文時代のタトゥー事情について考えてみたいと思います。


ケロッピー前田さん。TAVギャラリーで行われた「縄文族 JOMON TRIBE 2」展にて。

縄文人はタトゥーをしていたか

そもそも縄文人がタトゥーをしていたかどうか、という問いに確実な証拠を持って答えることはできません。縄文人の遺体がミイラ化してわんさか出土する、というようなことがあれば別ですが、残念ながら今のところそのような事例はありません。それでも、数多くの研究者がこの問題を議論してきたのにはいくつかの根拠があります。

根拠1: 倭人は全身タトゥーだらけだったらしい

日本のタトゥーについて書かれている最古の記録は、紀元3世紀の「魏志倭人伝」の中に見ることができます。曰く、「男子は大小無く、皆黥面文身す」。黥面(げいめん)というのが顔のタトゥー、文身(ぶんしん)が体のタトゥーを表します。この書物が編まれたのは紀元3世紀、つまり弥生〜古墳時代の話なのであって、縄文時代のことではありませんが、少なくとも縄文時代が終焉を迎えてわずか数百年後には、倭人の全身はタトゥーだらけだったのです。「魏志倭人伝」は、日本について書かれた最古の書物ですから、そこにタトゥーが登場するなら、それ以前にもあった可能性は充分に考えられます。

根拠2: 5300年前の人類最古のミイラはタトゥーをしていた

1991年、アルプス山脈で発見された人類最古となるミイラが、各界を騒然とさせました。アイスマンと名付けられたその男性は、およそ5300年前のヨーロッパを生きたと考えられ、古代の人々の習俗を知る上で非常に重要な資料とされました。さて、アイスマンはタトゥーをしていたか? していたのです、それも、全身で60ヶ所も。ケロッピーさんはアイスマンを実際に取材し、非常に興奮したといいます。

「これは、タトゥーそのものの歴史が従来考えられていたよりずっと古いことを示す重要な発見でした。人類最古の、それもたまたま見つかったミイラがタトゥーをしているということは、もしかしたら、人類の文明がはじまったと同時にタトゥーがあった可能性すらあるのです。」

5300年前というと、日本では縄文時代中期にあたります。もちろん、同時期のヨーロッパ人がタトゥーをしていたからといって、ただちに縄文人もしていたとは言えませんが、世界基準としては充分ありえる話です。


「縄文族 JOMON TRIBE 2」展示会場にて。古代の人々が行なっていたであろう原始的な手彫りの道具を再現。当時は、鹿の角や木の枝、棘のある植物などでタトゥーを施していたと考えられています。

根拠3:縄文土器の執拗な文様、ただの鍋とは考えられない

縄文人は、世界にも稀に見るハイレベルな文様文化の持ち主でした。縄文土器が同時代の世界のあらゆる土器に比べて「派手」であるというのは周知の通りですが、この「派手」さを決定づけているのは、大胆かつ雄大な文様の数々です。ケロッピーさんは、これら文様は、元々体にあったタトゥーを写し取ったものではないか、といいます。土器がただ煮炊きするための鍋ならば、ここまで執拗に文様を施す必要はないからです。

「僕らは、土器の文様より先にタトゥーがあったと考えているんです。たとえば、人類がアフリカから大移動をした時、あんまりたくさんのものって持っていけないですよね。そこで、自らの物語を忘れないように、後世に引き継いでいけるように、体に刻み込んだという可能性はあると思うんです。そして後に土器が発明されたとき、自らの文様を写し取ったのではないか。現代人も自分の持ち物に自分のマークを入れたりするでしょう。」


縄文土器に施された文様。(撮影:ケロッピー前田)

縄文人は土偶の顔や身体にもたくさんの文様を施しています。特に、土偶の顔面線刻のパターンは、弥生時代の人面線刻土器、古墳時代の埴輪に見られる顔面線刻との連続性が指摘されています。タトゥーの存在が史料から明らかになっている弥生・古墳時代と縄文土偶に連続性があるならば、土偶の顔面線刻のパターンもまたタトゥーであったと考えるのが自然です。


顔面線刻のある土偶。(縄文中期・東京都埋蔵文化財センター提供)

タトゥーを通して考える縄文人の世界観

では縄文時代にタトゥーがあったとして、それらはいったいどんな目的で、どのような意味があって施されていたのでしょうか。世界の伝統的民族タトゥーと、縄文時代の習俗を比較して考えてみたいと思います。

文様が持つ力

伝統的な民族タトゥーは、ほとんどの場合、抽象的な文様によってデザインが構成されています。文様は、装飾のための図形(模様)として用いられることもありますが、その本質は、文字などと同じように、人間の内的世界を伝達・記録するための表現にあります。縄文人は、文字を持っていなかったとされていますが、壮大な文様文化を持っていました。文様文化は、文字文化と入れ替わるように廃れてきたと考えられていますが、だからといって文様が文字に劣るというわけではありません。


「縄文族 JOMON TRIBE」(タトゥー:大島托、撮影:ケロッピー前田)より。世界的によく用いられる渦巻文が大きく配置されています。また中央に見られる菱形の文様は縄文土器にもアイヌ文様にも、また日本の家紋にも広く用いられているモチーフの一つです。

文字というのは、物事を細分化し、概念を純粋化する機能を持っています。たとえば「蛇」と文字で書いた時、それが指し示す現実は細長くて四肢の退化した爬虫類のみなのであって、当然「ゾウ」も「犬」も含みません。森羅万象を細かく分けていき、AとBが違うものであることを明確にするのが文字なのです。これは人類史上とても便利な発明ですが、本来全てがひとつながりである世界を表現する方法として、文字は決して完全ではありません。たとえば虹を7色と決めた瞬間に、「赤」と「橙」の中間色が無視されてしまうのと同じように、です。

渦巻文を有する縄文土器。(縄文中期・長野県茅野市尖石縄文考古館)

一方、文様のもつ機能は「統合」です。たとえば、渦巻紋は世界中に見られるポピュラーな文様の一つですが、渦巻紋が指し示すことのできる現実は、「蛇のとぐろ」「水のうねり」「風のうねり」「永遠性」「輪廻」など、物体から現象、概念にいたるまで無限なのです。そしてそれをたとえば「蛇」と解釈したときにイメージできる概念もまた、「再生」「多産」「絶命必至の威力」など無限の広がりを持っています。文様の抽象性は、世界のあらゆる事物に共通項を見出し、概念を統合していく機能を持っているのです。そしてそれを部族のマークとすることで、あらゆる意味や概念、または呪術性をも含むアイデンティティになり、モチーフを組み合わせることで神話や死生観も表現できます。縄文人が文様に託したものを私達が正確に知ることはできませんが、少なくとも「派手な」縄文の文様は、そうなるべくしてなった必然的表現なのであって、ただの装飾でなかったことは確実です。

蛇のモチーフを有す縄文土器。(縄文中期・長野県茅野市尖石縄文考古館)

イニシエーションとしてのタトゥー

ではなぜ、文様は化粧ではなく、タトゥーである必要があるのでしょうか。ここでタトゥーと比較して考えたいのが、縄文時代の「抜歯(ばっし)」です。抜歯は、縄文時代前期以降、日本列島全域で行われていた習俗です。成人になるための儀式や婚姻儀礼として、下顎の前歯を数本抜くのです。現代の感覚からすると、大切な歯をなぜ抜いてしまうのか、なぜ虫歯でもないのに、わざわざ激痛を伴う抜歯などするのか、理解に苦しむかと思いますが、これはイニシエーションなのです。イニシエーションとは、日本語では「通過儀礼」と訳されますが、ある集団や社会において、新しい役割に「生まれ変わる」ために行われる儀式・儀礼を指します。世界の民族を見渡してみると、イニシエーションとして行われるのは抜歯・タトゥーの他、割礼や抜毛など、痛みを伴うものが多いのです。

物理的感覚として、痛みは他のどんな感覚よりも強烈です。この強烈な感覚体験を通して、新しい役割に「生まれ変わる」ことを個人に強く認識させるのです。特に、成人儀礼として、男子のそれは重要です。女性は生理がきたり乳房が膨らんだり、大人になるにあたって強烈な身体的変化を経験しますが、男性にはないからです。また、ケロッピーさんは、タトゥーは「通過儀礼として」あったというよりは、「通過儀礼を経験した証として」あったのではないか、といいます。

「世界の例を見ていくと、たとえば誰かが成人する時に、通過儀礼として、自分たちの持っている神話を再現する祭をやりますよね。神話には、僕らはどこからやってきて、誰のおかげでここにいることができて、というような内容が含まれる。ルーツに始まり、自分たちがここに存在するまでのプロセスを、祭の度に繰り返し再現するんです。そうして神話を経験した証として、タトゥーを彫るってことをしたんだと思うんです。」

こうした「神話を再現する」祭は、世界を見渡してみても、日本を見渡してみても、各地で広く行われてきたことです。縄文人が繰り返し繰り返し祭を行っていたことは、考古学的に明らかにされていますから、彼らのマツリの場も、もしかしたらそのような意味合いがあったのかもしれません。

呪術としてのタトゥー

弥生時代以降、タトゥーの習俗は日本列島から消えてしまったわけではありません。少なくとも古墳時代までは全国的に見られた習俗だったのであり、そしてそれ以降も、北海道(アイヌ)、南島(沖縄諸島)、また九州や能登半島、三浦半島、千葉県沿岸部などの海民拠点地域では一部残存していたと見られています。特に南島の海民は「海で事故で遭わないように」呪術としてタトゥーを施していた、と史料にも残っています。狩猟採集・漁労民は、歴史的に、農耕民に比べると非常に呪術的な世界に生きてきました。自然を人間のほうで管理する農耕と違って、狩猟採集・漁労は、自然の方に主導権があるからです。獲物がとれるか否か、今日死ぬのか生きるのか、という切実な問題に対して、人間のコントロールが及ばない要素が多分にあるのです。そんな時、おまじないとして、あるいは人間の持ち得ない能力を持つ動物の力を得ようとして、彼らは体に文様を彫り込んだのだと思われます。ケロッピーさんは、動物には文様があるけれど、人間にはないと気づいた時に、その力を得るためにある種マネをする行為としてタトゥーがあったのではないか、といいます。

「おもしろいのは、太古の洞窟壁画に描かれる人間というのは、大抵の場合動物と人間のハイブリッド(半人半獣)なんです。古代人には、動物の持っている人間にはない力を得たいという衝動があったんだと思います。自然界における人間はとても弱い存在ですからね。そうした時に、動物をモチーフ化して体に彫り込む、あるいは動物が持っているような文様を彫り込むことで、その力を体に取り込もうとしたのではないかと思います。」


「縄文族 JOMON TRIBE」(タトゥー:大島托、撮影:ケロッピー前田)より。ケロッピーさんのお話を聞いた後だと、上の方の文様なんかは、なんだかとても動物的な感じがしました。

現代人は「呪術」や「まじない」というと、非科学的かつ非合理的で、実際には役に立たないもの、と考えがちですが、それは現代の「まじない」が、身体感覚を伴わないからです。タトゥーという身体的苦痛を伴う縄文時代の呪術は、もっとずっと現実的で実感を伴うものだったのでしょう。現代でいったら、トレーニングで体を鍛えることで、精神的にも自信がつく、強くなる、というようなことと似ているかもしれません。

彫師はシャーマン

「縄文時代にも、彫師を専業とする人がいたと思いますか」という質問に対して、ケロッピーさんは「わからない」としながらも、カナダの先住民「ハイダ族」の例をとって大変興味深いお話を聞かせてくださいました。ケロッピーさんによると、人口の少ない小さな村では特に、一人の人が村長と彫師、またシャーマン(巫師・祈祷師)をも兼ねる場合があるといいます。その理由としては、分業が進んでいないから、あるいは人口が少ないから、というのももちろんあるでしょう。しかし、彫師はシャーマンや首長と同じように「特別な」人だったのではないでしょうか? ここで私が思い出したのは、1996年公開、岩井俊二監督の「スワロウテイル」という映画です。劇中、伊藤歩演じる少女は彫師に会いに行き、胸に蝶のタトゥーを彫ってもらいます。彫師はタトゥーという行為について、彼女にこう言います。

イレズミは自分の体の中にもうひとつ別な生き物を飼うようなもんだ。それは時々そいつの人格を変えてしまうこともある。(中略)どんなつらい時でも、この胸の蝶がおまえを守ってくれる。

ほんとに? と聞く少女に向かって、彫師は「ああ、おじさんがそういう魔法をかけておいた」と答えるのです。彫師にこんなことを言われたら、そのタトゥーが効力を持たないはずはない、と思ったのをよく覚えています。医者に「必ず治る」と言われるだけで気が軽くなるのと同じように、昔も今も、彫師の仕事はシャーマンの仕事によく似ているのです。


原始的な手彫りを再現する大島さん。(撮影:ケロッピー前田)

タトゥーが民族のアイデンティティを取り戻す

タトゥーを彫ることが人間にもたらす効力は、縄文時代も今も変わりません。大島托さんとケロッピー前田さんの実践する「縄文族」プロジェクトは、現在世界的に大変さかんであるトライバルタトゥーの復興運動に呼応して展開しているものであるといいます。トライバル(部族の)タトゥーとは、古くからポリネシアの部族や北方の少数民族などに見られた伝統的なタトゥー、あるいはそれに触発されたタトゥーのことをいいます。ケロッピーさんによると、この復興運動の原点は、90年代のアメリカにあるといいます。

「タトゥーの元々の目的って、ほとんどの場合、通過儀礼にあるんですね。自分たちはどこからやってきて、どういう存在なのか、という根源的な問題に、儀式を通して答えていくということです。現代においてもそういったものが必要なんじゃないかということで、90年代にアメリカで流行したのが黒一色の文様を刻む、トライバルタトゥー復興の原点です。」

アメリカで始まった「トライバルタトゥー」の流行は、2000年代に入ると実際の伝統的タトゥーの担い手である、ポリネシアなどの若者に飛び火します。ここで「ポリネシア」というのは主にサモア、ハワイ、タヒチ、そしてニュージーランドなどの太平洋諸島を指します。これら島々は、西洋諸国による植民地化の際、それぞれ違う国家に支配されたため、言語も生活のあり方もバラバラになってしまいましたが、元々はポリネシアという大きな一つの文化圏だったのです。すでに話す言葉も文化もそれぞれ違う中、文様でデザインされたトライバルタトゥーは民族を一つにつなげる大きな拠り所となりました。ポリネシアの人々にとって、トライバルタトゥーの復興運動は、引き裂かれたアイデンティティをもう一度取り戻す実践的運動となったのです。

その後、2010年代には複雑な文様を彫るための最新技術が進むとともに、原始的手彫り技術の研究・リバイバルも興りました。世界の僻地にある絶滅寸前のタトゥーを調査研究して存続させていく活動も行われているそうです。まさに、今トライバルタトゥーはルネッサンス期を迎えているというわけです。


2017年、ドイツのフランクフルトで行われた「縄文族」の展示にて。タトゥー実演を含むアートパフォーマンス”THE FIRST JOMON MAN”を披露しました。(撮影:ケロッピー前田)

こうした世界的動きの中、なぜ二人は殊「縄文の」タトゥーを復活させることにこだわるのか、という質問に対して、ケロッピーさんは次のように答えてくれました。

「日本のカルチャーをトライバルタトゥーの歴史の中に位置づけようとしたとき、日本列島人みんなが共有する民族文化というと、縄文まで遡るしかないんですね。今、人工知能なり、バーチャルリアリティなり、僕ら人間の能力が及ばないようなテクノロジーがどんどん生み出されている中にあって、縄文時代の文様が持っていた根源的な力、プリミティブな感性を取り戻すことに意味があるのではないかと思っています。」

現代にも「効力」を発揮するタトゥーの力

ケロッピー前田さんと大島托さんのお二人は、このアートプロジェクトを進めるにあたり、北海道の縄文遺跡を取材したといいます。そして考古館に並ぶ土器や土偶を実際に見て、その文様の「効力」が現代にも充分通用するものであることを感じ取ったのだそうです。ずらりと並ぶ縄文土器を見て、なんだか説明できないような興奮を覚えたり、とてつもない生命力が体に沸々と湧き上がる経験を、私もしているのでよくわかります。しかし前述したように、文様は文字と違って一定の意味や形で固定されてはいず、時代や文化に合わせて変遷していくのが普通です。現に、大島さんの描き出す文様デザインは「縄文的」要素を保ちながらも、現代人の感覚にフィットする形にアレンジされているのです。そういった意味では、お二人のプロジェクトは縄文時代のツールを使って現代版の神話を作り直す行為なのかもしれません。


「縄文族 JOMON TRIBE」(タトゥー:大島托、撮影:ケロッピー前田)から。

ケロッピー前田さんは、その著書「クレイジートリップ」のあとがきにて、次の言葉を残しています。

昔から人間はトリップをすることで、楽しむだけでなく何かに気づき、行動する衝動を湧き上がらせてきたと思う。そこでは、物理的な移動を伴うトリップだけでなく、痛みの伴う身体の改造行為であれ、(中略)現世に物理的な身体を得たことの悦び、人間として生まれて良かったと思えるような旅ができれば一番幸せなことだろう。

現代は、ハイテクノロジーの恩恵を受けることのできる非常に豊かな時代である一方、物理的な感覚体験「リアル」がともすれば遠く離れていってしまいがちな時代でもあると言われます。コンクリートジャングルでパソコンを叩く現代人がもっとも身近に感じることのできる「リアル」が自分の体である時代だからこそ、お二人のプロジェクトは深い意義を持って世界で受け入れられているのかもしれません。


「縄文族 JOMON TRIBE」展示会場にて。大島托さん(左)とケロッピー前田さん。(右)

「縄文族 JOMON TRIBE」
タトゥーアーティストの大島托とフォトグラファーのケロッピー前田によるアートプロジェクト。「縄文時代にタトゥーはあったのか?」いまだに答えの出ない太古の謎に、実際に現代人の身体にタトゥーを彫り込むことで実践的に返答しようと試みている。2015年に始動、16年(東京)、17年(ドイツ・フランクフルト)での展覧会を経て、2019年、東京での第2弾となる展覧会を開催した。

ケロッピー前田/前田亮一(まえだ・りょういち)
90年代半ばから若者向けカルチャー誌「BURST」(白夜書房/コアマガジン)などで世界のアンダーグラウンド・カルチャーをレポート、海外の身体改造の最前線を日本に紹介してきた。その活動はTBS系番組「クレイジージャーニー」で取り上げられ話題となる。05年以来、写真家、アーティスト、キュレーターとして国内外で作品展示を行う。著書に「CRAZY TRIP 今を生き抜くための”最果て”世界の旅」(三才ブックス)、「クレイジーカルチャー紀行」(KADOKAWA)、責任編集「バースト・ジェネレーション」(東京キララ社)など。NPOヒューマンビーイングクラブ理事。

大島托(おおしま・たく)
1993年に世界一周の夢を抱き、最初に訪れたインドでタトゥーと出会い、その後プロの彫師となる。黒一色の文様を刻むトライバル・タトゥーおよびブラックワークを専門とする。ボルネオ、ポリネシア、スマトラのメンタワイ族、インドのナガ族など、世界各地に赴いて民族タトゥーをリサーチし、現代的なタトゥーデザインに取り入れている。

取材協力:
TAV GALLERY
住所:東京都杉並区阿佐谷北1-31-2
公式webサイト: https://tavgallery.com
※今回の取材は、2019年「縄文族 JOMON TRIBE 2」の展覧会場にて行われました。

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。