赤穂浪士の切腹を提案した「おからの先生」って何者?落語で忠臣蔵をおさらいするゾ

赤穂浪士の切腹を提案した「おからの先生」って何者?落語で忠臣蔵をおさらいするゾ

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年末の風物詩といわれる忠臣蔵。この時期は落語でも多くの忠臣蔵にまつわる演目がかけられます。とはいえ、ここ最近は年末の忠臣蔵映画もなくなり、忠臣蔵や赤穂事件を知らない人も少なくないようです。

しかし今年は「決算!忠臣蔵」といった映画もあり、久しぶりに忠臣蔵が注目されそうな予感。そこで今回は、知るともっと落語が楽しい「忠臣蔵」のおさらいです。

「忠臣蔵」はフィクション?史実「赤穂事件」との違い

忠臣蔵の史実 3分でわかる赤穂事件

赤穂事件とは、元禄14年3月14日、播州赤穂(兵庫県赤穂市)の藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城松之大廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけたことに端を発する事件です。城内で刃傷事件を起こされた将軍・徳川綱吉は激怒。内匠頭は即日切腹に処され、お家は断絶へ。一方、上野介はお咎めなし。この「片落ち」裁決が後に歴史を動かすこととなります。

筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)と赤穂浪士たちは、主君の悔いを晴らすため、本所松坂町に隠居した吉良邸(墨田区両国3丁目付近)へ討ち入るチャンスを待ちます。翌年元禄15年12月14日、ついに赤穂四十七士は吉良邸に侵入。みごと本懐を遂げ、泉岳寺に眠る浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供えました。

赤穂事件を脚色したエンターテイメント「忠臣蔵」

「忠臣蔵」とは、赤穂事件を基にした人形浄瑠璃や歌舞伎の演目の総称。「仮名手本忠臣蔵」が有名です。

仮名手本忠臣蔵は全十一段から構成されています。大まかなところ以外は史実をかなり変えたストーリーとなっており、登場人物も本名ではなく、浅野内匠頭は「塩冶判官」、吉良上野介を「高師直」、大石内蔵助を「大星由良助」などとしています。エンターテイメント性をもたせるためか、史実には登場しない女性やエピソードも盛り込まれています。

史実と大きく違うことで大きな誤解を生んでしまったのが、内匠頭(塩冶判官)が上野介(高師直)に斬りかかった理由。忠臣蔵では「指南役の高師直から謂れのない侮辱を受けたため耐えかねた」と描かれたため、吉良上野介は陰湿で強欲な人物としてイメージが固定化されてしまいました。実際の吉良上野介は、大変に名君だったと伝えられています。

落語で描かれた忠臣蔵 町民たちのドタバタや役者の悲哀

古典落語には赤穂事件・忠臣蔵そのものを語ったのものはほとんどなく、多くは仮名手本忠臣蔵に興じる町人のドタバタ劇や人情噺、パロディです(新作ではたびたび作られる。パロディでは艶笑小噺がある)。代表的な演目をみてみましょう。

権助芝居

芝居好きの町人が集まって素人芝居をしようとしたが、一人が欠席してしまう。そこで、村で「お軽」の役をやったことがあるという飯炊きの権助が代役となるが、はちゃめちゃな舞台となってしまう。

解説:仮名手本忠臣蔵に興じる町人をめぐる代表的な一席。田舎言葉の飯炊きの権助が主導権を握り、生き生きと芝居を始める辺りにおかしみが。五代目三遊亭圓楽のひょうひょうとした語りとサクッとしたサゲに思わず膝を打ちます。

高田馬場

蝦蟇の油を売っているのは姉弟。見学していた老武士の因縁話と岩淵伝内という名を聞くや、「親の仇」といい敵討ちを申し出る。老武士は「明日の巳の刻高田馬場にて申し受ける」と答え去っていった。この噂が広がり、次の日の高田馬場は見物人が押しかけ掛茶屋まで出る始末。しかし、巳の刻になっても老武士は現れない。すると…。

解説:史実である「高田馬場の決闘」を題材にした、敵討ちを皮肉った噺。この決闘の助太刀をして名を挙げたのが、後に赤穂義士のひとりとなる堀部安兵衛武庸(ほりべやすひょうえたけつね)です。本噺には出てこないため、マクラで説明する落語家も多いようです。

中村仲蔵

座頭から振られた役は、仮名手本忠臣蔵・五段目の斧定九郎ただ一役。嫌がらせだと憤慨する仲蔵だが、蕎麦屋で会った浪人の佇まいにヒントを得る。そうして迎えた初日、見たこともない斧定九郎に観客は息を飲む。しかし仲蔵はそれを「しくじった」と勘違いしてしまい…。初代仲蔵が一夜にして大名跡となる、実話に基づいた一席。

解説:忠臣蔵五段目で演じられる斧定九郎を現行の姿にしたのが初代中村仲蔵。一代で名を大名跡にしたといいます。五代目三遊亭圓楽の高座では、仲蔵の女房が機転を利かせており、夫婦愛が泣かせる噺となっています。

淀五郎

座頭である市川團藏の一声で、下回り役者の澤村淀五郎が仮名手本忠臣蔵の塩冶判官役に抜擢された。淀五郎は初めての大役に張り切るが、団蔵が芝居をしてくれない。どこが悪いのかと団蔵に聞きに行くと「芝居がまずい役者は死んでしまえ」と言われてしまった。悩んだ挙句、「団蔵を殺して自分も死ぬ」と決意し、中村仲蔵の元へ暇乞いに行く。仲蔵は淀五郎の雰囲気を察して聞き出そうとする。

解説:淀五郎が相談したのは先出の中村仲蔵。澤村淀五郎は実在の人物で、この塩冶判官役で出世をしたと伝えられています。序盤でいきなり判官切腹シーンがでてくるという異例の演出。六代目三遊亭圓生の高座が絶品です。

さて、史実である赤穂事件に焦点を当てた数少ない演目に「徂徠豆腐」があります。この噺では、赤穂事件に対する当時の倫理観や町人たちの感情が、登場人物の動きや語りを通じて描かれています。

徂徠豆腐

豆腐屋の七兵衛が芝の増上寺門前の長屋を歩いていると、自分を呼ぶか細い声がする。金を持っていないという学者に、豆腐屋は出世払いだとおからを届け始める。いつしかその学者は長屋中から「おからの先生」と呼ばれるようになった。しかし、七兵衛が風邪を拗らせて寝込んでいる間に、おからの先生は長屋を出て行ってしまう。

そうして元禄15年12月14日、赤穂浪士による吉良邸討ち入り。赤穂浪士たちを讃える熱も冷めやらぬ中、豆腐屋の隣が火事を出し七兵衛夫婦も焼け出されてしまった。

知り合いの薪屋に避難しているところへ、大工の政五郎が火事見舞いに来て、さるお方から10両預かったと七兵衛に渡す。そうこうしているうちに年があけて2月4日、赤穂浪士たちの切腹。10日も経った頃、立派なお武家様がやってくる。「おからの先生」だと驚いた七兵衛に、自身の名を「荻生徂徠」だと明かす。

徂徠は豆腐の代金として、七兵衛に新しい店を用意していた。しかし七兵衛は、赤穂浪士たちを切腹させたことに抗議する。これに徂徠は「武士の本分」と「天下の法」を説明した。
七兵衛は「赤穂浪士たちも立派だが、先生も立派になった」「いいえ、私はただの豆腐好きの学者です」

「そんなことはない、先生はあっしらのために自腹を切ってくだすった」。

武士の尊厳は己を斬ることなり 赤穂浪士たちの最期とは

講談の演目でもある「徂徠豆腐」。講釈ネタらしい立身出世の物語ですが、サゲがなかなかしゃれています。立川志の輔の高座が有名です。

本懐を遂げた赤穂浪士たちは、町民たちにその忠義を讃えられます。しかし、そんな赤穂浪士たちを生かすべしという世論に反し、幕府は切腹を言い渡しました。この裁決の提案をしたのが、「おからの先生」こと荻生徂徠です。

幕府は、浪士たちを処分する理由を「“主人の仇を報じ候と申し立て”、“徒党”を組んで吉良邸に“押し込み”」としています。しかし徂徠は、「仇討ちという意思であれば、将軍綱吉が推進する忠孝の義にかなっているため打ち首にするべきではない。天下の規矩である法を維持する立場に立って武士の礼にかなう切腹とするべき」と立言しました。徂徠は、浪士たちに武士の最後の本分を守らせたのです。

2月4日、四十七士たちは「忠節の武士」として切腹。主君の元へ旅立ちました。その亡骸は、主君が眠る泉岳寺に葬られています。

12月14日は赤穂義士たちによる吉良邸討ち入りの日。
東京では「泉岳寺」で赤穂義士祭、兵庫県赤穂市で義士祭が行われます。吉良邸があった両国では、吉良祭・義士祭として赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士の両家の供養が行われています。

赤穂浪士の切腹を提案した「おからの先生」って何者?落語で忠臣蔵をおさらいするゾ
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