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Culture
2020.01.28

終活の新しい形、遺影の生前撮影とは?東京巣鴨のシニア専門写真館が評判呼ぶ

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お葬式では祭壇の中央に大きく掲げられ、その後も家族の元に長く残り続ける遺影。だからこそ、不覚にも撮られてしまった変顔だったり、集合写真や証明写真から引き延ばしたボケボケの写真は使われたくない-。最近、「終活」の一環として自分の遺影を生前に撮影しておく人が増え、シニア層の撮影を請け負う写真館も急増している。その背景を探った。

シニア専門の写真館が盛況

〝おばあちゃんの原宿〟こと東京・巣鴨に、遺影の生前撮影をはじめとするシニア専門の写真館がある。その名は「えがお写真館」。2014年に開業した当初は鳴かず飛ばずだったが、翌年から急に客足が増え始めた。今では関東だけでなく、北海道から沖縄まで全国各地からシニアが訪れる。これまで5年間で5000人以上、毎月100~120人を撮影している。

創業のきっかけを「自分の父親が亡くなったときに、これはという写真がなかったことです」と語るのは、太田明良・代表取締役。「これがいいなと思っても、引き延ばして首下を切ると誰か分からない、ボヤッとしたものができあがっていて、これって逆に悲しさを増長させるものだなと思っていたんです」

撮影を申し込んでくるのは、シニア本人からが6割、家族を通じてが4割。本人は遺影のつもりだが、家族にとってははっきり言いづらい場合もある。ただ、申し込みの7割以上は「遺影プラン」。葬儀の際によく使われる四つ切りサイズの写真を遺影額に入れて渡すプランだ。

遺影額に収められた「えがお写真館」の生前撮影の遺影(サンプル)

被写体となるシニアのうち、95%が女性。この数字を見る限り、自分の納得できるイメージを死後に残したいという願望は、圧倒的に女性のほうが強いようだ。撮影される本人からは、修整でしわやほうれい線を消すなど、できるだけ若返らせて欲しいとの要望が多いという。だが、最初の頃はそんな希望に沿いすぎた結果、家族の側から、これでは遺影には使えないとクレームが付いたことも。「だから、本人も家族も喜んでくれる落としどころを見極めるのがとても大事で、難しいところでもあります」と太田さんは語る。

高齢者の場合、自分で予約して訪れたにもかかわらず、初めのうちは警戒心をあらわにする人も多いという。「最初から心を開いてくれる人はほとんどいないので、ヘアメークで40分から1時間ぐらいかけて心をほぐします。どんどんきれいになっていく自分を見ているとテンションも上がるし、コミュニケーションも取れるようになって、撮影の時にすごくいい顔をしてくれる。そこはとても重要ですね」(太田さん)。

東京・巣鴨の「えがお写真館」スタジオと太田明良代表取締役

彼女たちはどんな気持ちで撮影を申し込んだのだろうか。利用者から写真館に届いた手紙を見ると、「人生最後の花道を飾るのに相応しい写真を準備しておこうと」といった理由が書かれており、最初から遺影を撮るつもりで写真館を訪れたことが分かる。

また、「昔から劣等感が大ありで写真は大嫌いでした」「小学校の入学式の集合写真で自分を見たときから写真嫌いになった」「写真は苦手でいつも避けていました」など、これまで写真嫌いだった人も多いようだ。

撮影の感想については「楽しい時間を過ごせた」「非日常的な時間と場を楽しませて頂きました」「年を取ったら人格の豊かさ、中身で勝負と思っていましたが、まだ外形も捨てたものではないのかなと、おかげさまで少し自信をもらいました」といったものが多い。遺影の撮影であることを認識しているはずなのに、非日常的なハレの場として楽しんでいる様子が伝わってくる。

「えがお写真館」による生前撮影の遺影(サンプル)

震災もひとつのきっかけに

遺影の生前撮影サービスを掲げる写真館は、2010年ごろから増え始めた。ちょうど「終活」がブームになりだした頃だ。それに加え、2011年3月の東日本大震災で、多くの犠牲者が出て人々が死について意識したことや、津波で家族の思い出の写真が多数流されてしまい、それがニュースで取り上げられたことも、ひとつのきっかけになっているようだ。

婚礼や七五三などの写真を主に撮影しているホテル椿山荘東京写真室(東京都文京区)が、本格的にシニア向けの出張撮影サービスを始めたのは、2013年ごろから。運営会社・ビジュアライフの西田孝次・営業推進室長は「震災は大きなきっかけの一つでもありますね」と話す。

おおっぴらに遺影の生前撮影を掲げているわけではないが、利用者からは遺影用としてリクエストされることも。「昔よりオープンになりました。僕らも言いづらかった部分がありましたけど、今はこちらからも提案しやすい環境になりました」と西田さん。写真自体も昔ながらの正面向きで口を閉じて盛装してという姿だけではなくなってきた。「好きなカメラを持った写真とか、お酒のグラスを持ったりとか、趣味のつりやゴルフの道具や楽器を手にというのもあります」。最近は孫と一緒に撮る写真も提案しているという。

ホテル椿山荘東京写真室によるシニアの写真(サンプル)

葬祭業界の事情も?

遺影の生前撮影がここまで盛んになってきた背景には、最近の葬祭業界の事情もありそうだ。家族葬の増加などで葬儀が小規模化し、葬祭市場は縮小している。「以前は病院に待機して遺体を待つこともあったが、今はそれも難しくなった。そこで、会員制にして事前見込み客をつかむようになったんです」(関係者)。

シニア向けに遺影の生前撮影会が時折開催されているが、これには葬儀会社が主催しているものも多い。葬儀会社にとって撮影会は顧客囲い込み策の一環にもなっている。「撮影した写真を押さえておけば、家族はその葬儀会社に葬儀を発注する可能性が高くなりますからね」(同)。

遺影は戦争により広まった

そもそも日本での遺影はいつごろ生まれ、どんな歴史をたどってきたのだろうか。国立歴史民俗博物館の山田慎也教授に聞いた。

日本に写真が根付いたのは約150年前だが、それ以前から遺影に類するものはあったという。たとえば、江戸時代に描かれた徳川家康の束帯姿の肖像画。「ああいう為政者などの肖像画は多くの場合、当人が死んだ後で、崇拝、礼拝の対象として作られるものなんです」と教授は語る。

明治以降、日本に写真が広まってからも、すぐに故人の写真が今の遺影のような使われ方をするようになったわけではない。1901(明治34)年に福沢諭吉が死去した際、葬儀に「真影」を使ったとの記録はあるが、これが写真なのか絵なのか、どのように飾られたのかはよく分かっていないという。

遺影が一般に広まる大きなきっかけとなったのは、戦争だった。兵隊は戦死した場合に備えて必ず写真を撮っておく。多くの戦死者を出した日露戦争の頃から、戦死者の遺影を自宅に飾ったり寺に奉納したりする流れができた。

日露戦争で朝鮮半島を進軍中の日本軍歩兵(1904年撮影)

岩手県には幕末ごろから、不幸な死に方をする人がいたり、同じ家で続けて人が亡くなったりすると、寺に絵額を奉納する習慣があったという。「あの世でごちそうを食べたり、遊んでいたり、家族が寄り添ったりする姿を描いて寺に奉納していた。それが日露戦争の頃には写真、遺影に代わるようになりました」(山田教授)。

山田慎也・国立歴史民俗博物館教授。左の展示は岩手県遠野市の長泉寺に奉納された供養絵額や遺影

満州事変の頃からは、戦死者は市町村により公葬に付されるようになる。それまでは家族や関係者など身内だけの葬儀だったのが、小学生など多くの人が参列するようになった。これにより、遺影は死者を顕彰するという面からも重要な存在になってくる。

昔から生前撮影を行っていた地方も

戦後になると、遺影は一般人の葬儀にも広く使われるようになり、高度経済成長期には位牌(いはい)に代わって葬儀会場で祭壇の中心に置かれ、メインアイテムの座を占めるようになる。

そうなると、死者が出てもすぐに遺影を用意できない辺境の地方では、いざというときの葬儀に間に合わせるため、生前から遺影をあらかじめ各家庭で準備しておく必要が出てくる。教授がフィールドワークで訪れた新潟県・佐渡島の外海府地区では、1975(昭和50)年ごろ、おばあちゃんたちが自分の遺影を用意しておく慣習があったという。和歌山県でも同様の例を聞いたそうだ。

佐渡島の場合、もともと昔から、ある程度の年齢になった女性は、たしなみとして自分と夫の死装束を作っておくのがならわしだった。高齢者を抱える旧家では、家族が死んだときに備えて棺おけ用の板まで天井裏に準備していたという。戦後、遺影が葬儀の必須アイテムとなるに従い、生前撮影もそうした慣習の一つに加わったわけだ。

現代の生前撮影は「私らしさ」の追求

そうした一部地域で昔から慣習として行われていたものと比べると、ここ数年で盛んになってきた遺影の生前撮影は大きく性格が異なると、教授は指摘する。「今は遺影に対する自らのこだわりを持っていて、自分の死後のことをあくまでも自分の個性として設計していく。私らしくやりたいというものになっています」。特に女性には男性に比べて自分の死後のことを現実的に捉える傾向が強く、遺影の生前撮影をする人の大部分が女性なのもそのためだという。

その一方、少子化が進んで、昔のような「家」をベースとした葬儀やお墓の管理が難しくなり、自分自身で死後の処理を考えざるを得なくなったというネガティブな事情もある。

昔は盛装をして引き締まった表情だった遺影が、最近はにっこりほほ笑んだり趣味に興じたりとカジュアルなものに変わってきた。これは残された家族にとって遺影の持つ意味が変わってきたことの反映でもある。山田教授は「ご先祖様としての礼拝、崇拝の対象というよりも、身近なお父さんでありおばあちゃんでありという家族の一員、近しい大切な人という感覚に変わってきたんでしょうね」と指摘する。

昔おばあちゃんの家にあったご先祖の遺影はなんとなく怖かったものだが、最近はそんなこともなくなってきたようだ。遺影となる本人にとっても、子どもに怖がられるのは本意ではないはず。ただ遺影や葬儀のカジュアル化が進むにつれ、おごそかさやしめやかさも失われていく。

ところで、葬儀に遺影を掲げるのは日本特有の慣習なのだろうか。「いやいや、遺影の文化は写真の普及に伴い、世界に広まっていますよ」と教授。「中国や東南アジアなど、アジア圏では遺影は必ず作りますね。特に中国では遺影付きのお墓もあります」。欧米では葬儀の必須アイテムとまではなっていないものの、葬儀によっては遺影が使われることがあるそうだ。

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書いた人

北九州市生まれで小学生の頃は工場萌え。中学3年から東京・多摩地区で育ち、向上心を持たず日々をのんべんだらりとすごす気風に染まる。通信社の文化部記者を経て、主に文化・芸能関連を取材。神戸のビフカツと卵焼きを挟んだ関西風卵サンドが好物。