歌舞伎作者の精神が透けて見える「御所五郎蔵」の魅力に迫る

歌舞伎作者の精神が透けて見える「御所五郎蔵」の魅力に迫る

令和元年5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の夜の部をしめくくるのは、曽我兄弟ゆかりの狂言「曽我部綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」、通称「御所五郎蔵」! 演劇評論家の犬丸治さんに、さまざまな角度から解説していただきます。

今月、犬丸治が注目する「御所五郎蔵」、曽我兄弟ゆかりの狂言

文/犬丸治(演劇評論家)

時代の幕開けを告げる、今月の歌舞伎座は「團菊祭」です。夜「絵本牛若丸」は菊之助の長男和史改め七代目丑之助襲名のお披露目で、将来の「九代目菊五郎」の門出に目が奪われがちですが、面白いと思ったのは、昼が「寿曽我対面」で始まり、夜は「曽我綉侠御所染」(「御所五郎蔵」)、つまり曽我兄弟ゆかりの狂言で締めくくられているということです。

三十年前の平成元年正月国立劇場では、昭和天皇逝去に伴う三日間の歌舞音曲停止のあと、「曽我対面」をモチーフにした「外郎売」で幕を開けました。その時の工藤は二代目松緑、五郎を勤めたのは孫の左近・いまの松緑です。松緑はこの年、亡くなっています。そして今月、「曽我対面」の工藤は松緑で、松也初役の「御所五郎蔵」も、平成二年松也が初舞台の時、父の松助が襲名を披露した役でした。
加えて、この二つの芝居では、萬太郎・歌昇・尾上右近・米吉ら平成生まれの若手に主要な役が割り振られ、まさに世代交代。三十年という歳月の重さを感じます。

さて、御承知の通り、江戸時代は芝居街の三座が、毎年正月には必ず競って曽我十郎・五郎兄弟の仇討ちを扱った「曽我狂言」をかけるのがならわしでした。

苦節十七年、見事父の仇・工藤祐経を討った兄弟の美挙が目出度い、というのがひとつ。

しかし十郎は、仇を討ったその場で仁田四郎に討たれ、五郎も御所五郎丸に抱き留められて頼朝の面前に引き据えられ、刑死しています。つまり、兄弟とも無念を呑んで死んでいった「御霊」であり、「御霊」は「五郎」に通じるとされて「荒人神」として畏れられていたのです。

江戸時代の歌舞伎作者たち

江戸時代の歌舞伎作者たちが面白いのは、兄弟たちが本懐を遂げる富士の狩場を脚色せず、その前に工藤が兄弟たちと対面する場で、いつも締めくくったことです。いまでも、歌舞伎の時代物の大詰で、「国崩し」と呼ばれる謀叛人が滅亡するまでを見せず「まずそれまでは」「かたがたさらば」と別れるのと同じように、余白を持たせたのです。同時に、本来敵役であるはずの工藤が立派な侍になっていて、自分が兄弟に討たれる肚で、狩場の通行切手を渡し、「サ、斬って(切手)恨みを晴らせよ兄弟」と門出を祝します。正月の芝居らしく、陰惨な結末は見せず、兄弟を寿ぐ「予祝性」を大事にしたのです。

江戸三座の「対面」は、兄弟が工藤に差しつける島台の飾り物が、各座ごとに違うなど様々な約束事があったようですが、モチーフはいつも同じなので、作者は毎年の趣向に苦心しました。今年の正月、福助が演じた「雪の対面」などもそうですね。それらを、明治時代にいまのかたちにまとめたのが、河竹黙阿弥です。

力があるように見せる、荒事の芸の工夫

明治三十六年(1903年)二月、五代目菊五郎が亡くなると、盟友九代目團十郎は自ら工藤と口上を買って出て「曽我対面」で菊五郎の養子五代目栄三郎に六代目梅幸を、長男二代目丑之助に六代目菊五郎を、次男英造に六代目栄三郎をそれぞれ継がせました。

曽我五郎は代表的な荒事の役であるだけに、さまざまな秘伝口伝があります。六代目菊五郎は、その著書「芸」の中で、「何処までも若さと力とを忘れないように、七つ八つの子供の心持で勤める事」としたうえで、具体的に「長袴は履いていても、其袴の中で両の足の拇指を立てているのが秘伝」と書いています。親の仇である工藤に、飛びかからんばかりに気組むところでは、いつも左の手先が工藤の方へ向くようにして、同じく右の手先もやはり工藤の方に向け「耳のすぐ下へ持って行くのではなく、肩の下あたりへ居所を定めて、親指だけを体へ当てて、乳首の右の上あたりへ突張っているのが」長く姿勢が保てる、とも言っています。
 
歌舞伎の荒事は、荒々しい力感・量感が生命ですが、それらは決して身体に力を入れるのではなく、力があるように見せるのだということを、これらの芸談は示しています。六代目菊五郎は、こうした工夫を全て九代目團十郎から手づから伝授され「曽我対面」は近代歌舞伎の貴重な財産となったのでした。

御所五郎蔵は曽我狂言のパロディ

正月名物であった曽我狂言も、幕末にはすっかり飽きられて来て、代わりに流行したのが従来の約束事をパロディにした趣向です。夜の「御所五郎蔵」がまさにそれで、タイトルに「曽我綉」と銘打つように、主人公の侠客御所五郎蔵の名は、曽我五郎を抱き留めた御所五郎丸に由来していますし、五條坂での星影土右衛門との出逢いのセリフでも「抜き身のふったその晩は、しかも五月二十八日」と、富士の狩場での兄弟本懐の日を織り込んでいます。

曽我狂言では、兄弟の忠臣鬼王新左衛門が、仇討ちのための金策に苦心する場面が、必ず描かれることになっていました。御所五郎蔵が二百両の金策に困り、廓勤めをしている女房皐月に頼る、という筋は、巧みにその趣向を換骨奪胎しているとも言えるのです。

「寿曽我対面」から「曽我綉侠御所染」へ、二つの狂言を見比べると、約束事を守りながら、そこに如何にオリジナリティを加えようとして来たか、江戸の人々の逞しい戯作者精神が透けて見えてくるのです。

犬丸治(いぬまる おさむ)

演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。

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