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2020.01.04

日本の技術と情熱がつまった「100年コート」。トレンチコートの魅力を三陽商会の歴史と共に解説

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いきなり「100年コート」って言われてもわからないと思うので、もったいぶらず、お見せしちゃいます。はい、こちら!

……ふーん。普通のトレンチコートに見えるけど。そう思われる人も多いはず。まあ、そうなんですよ。そうなんですが!実はこのコートには、日本人のものづくりに対する情熱がこれでもか!というほどに、ぎゅうぎゅうと詰まっているんです。

コートを製作しているのは三陽商会。数年前までは某海外ブランドのトレンチコートで有名でしたが、もともと会社の設立は1943年。戦後間もない1946年に防空暗幕でレインコート第一号をつくった会社で、アウターに関しては並々ならぬ歴史を携えているのです。その後、コート専業ブランドから総合アパレルへと進化していきますが、「100年コート」が生まれたのは2013年。会社創立70周年を記念したプロジェクトのひとつで、「いいものを長く、大切に使う日本人らしい文化」を、コートを通して表現しています。創業者・吉原信之は柳宗悦の民芸運動に大きな影響を受けており、「用の美」を追求したものづくりは今も受け継がれています。おしゃれや流行も大事ですが、その根底には「使われてナンボ」の精神が流れているのでした。


「100年コート」は単純に「100年着られるくらい丈夫」という意味ではありません。江戸時代における着物がそうであったように、修理やメンテナンスをしながら、長く大事に使うという日本古来の文化を、次世代へと継いでいくことを目ざしたコートです。それも、日本の技術をもってつくられたものを。「100年コート」は、生地の織りから縫製まで、すべてが国内加工。中でも縫製は、青森県七戸町にある三陽商会のコート専業自社工場「サンヨーソーイング」にて行われています。ここは国内唯一のコート専業工場で、三陽商会のコートのほか、他社製品も生産。年間約3万着がつくられています。現在、日本に流通する国産の衣料はわずか3%(!)と言われている中、これはとても貴重。国産の洋服を着ることは、日本の繊維産業を守ることにもつながるのです。

つい欲しくなる。「100年コート」のここがすごいんです!

それでは「100年コート」のこだわりについてご紹介。表地の原料はエジプトの最高級ギザコットン。コットン100%にこだわったのは、日本の気候と相性がいいからだそう。虫食いされず、毛玉にもならないので「長く着る」というコンセプトにも合っているのだとか。

見る角度によって色調が微妙に変わる、光沢感のあるシャンブレーが特徴の「100年コート」。これは糸を先染めにすることで生まれたもの。タテ糸はベージュ(写真右下)、ヨコ糸はゴールド(写真左下)に染め、高密度に織ることでタフなだけでなく、美しい発色が叶うのだとか(写真上は染色前のコットン糸)。ちなみにコートはネイビーも展開しているのですが、それも黒とネイビーの糸で織り上げて深みのある色調を実現しています。その後織られた生地は、はっ水加工が施されますが、通常「ドライクリーニングを3回かけた後でもある程度の効果が残る」というのがはっ水の基準となるところ、こちらはドライクリーニングを10回かけた後にも試験してクリアした「耐水はっ水」。レインコートがルーツの三陽商会らしく、耐久性も万全です。

生地が完成したところで、青森の「サンヨーソーイング」で縫製加工へ。作業は完全分業制。特にトレンチコートはパーツがたくさんあるため工程数も多く、通常より時間がかかります。


縫製はミシンでと手作業で行いますが、力の入れ加減や布地の重ね方に技術を要するそうで、それができるのは熟練した職人のみ。一枚の平たい布地がカットされ、それを縫製することで、初めて立体的になるわけですが、そこにはコートとしての美しさだけでなく、着る人の心地よさも配慮されています。たとえば…

写真ではわかりづらいのですが、トレンチは基本的に下襟を返して着るもの。そこでひと続きになっている前部分でも、折り返される部分とボタン止めされる部分では、表地と裏地の重ね方をわずかにずらしているのだそうです。つまり、表にくるほうの生地が少し外に出ていることで、正面から見たときに裏側が見えづらくなっているのだとか。その差わずか1ミリ以下!驚愕!

またボタンを付ける際も、留めやすく外しやすい、そして取れにくい付け方に。上の写真をご覧ください。ボタンが立ってる!これは「根巻き」と呼ばれる手法で、実はこちらも、ボタンの大きさや位置によって微妙に高さが違うんです。糸がきつくても緩くてもダメで、布の重なり方によって調整をかけているのだそう。ほう、ほう、ほう。

そして着こなしの印象を左右する、大事な襟まわり。曲線を駆使しているため非常にデリケートな作業を必要とします。注目は中央のステッチ。なんと、ここだけ手縫いなのです!上部の縫い合わせと比べて外径と内径に差があるため、人間の手で調整することできれいなカーブが完成するのだとか。ここまでこだわりが強いなんて、もう怖くなってきました…(ウソ)。

時代や世代を超えて愛される全3型

「100年コート」の恐ろしいまでのこだわりがわかったところで、ラインナップについてご紹介。デビューした2013年には男女1型ずつでしたが今では丈違いも含めて26型(メンズ14型、ウィメンズ12型)までに発展。中でも今回は軸となる3型をお見せします。

◆『スタンダードモデル』(左がメンズ、右がウィメンズ)

こちらは『スタンダードモデル』と呼ばれる最初に登場した型で、現在でもいちばん人気です。特にレディースはジャケットを着ない人も多いので、全体的に細身ですっきりしたシルエットに。これは、イタリアの映画女優ジャクリーヌ・ササールが『三月生れ』(1958年)という作品で着用したコートを、当時の三陽商会が「ササールコート」とネーミングして企画。日本で発売したところ大ヒットしたという背景があり、その「ササールコート」からインスパイアされた、女性らしいデザインです。

◆『クラシックモデル』(左がメンズ、右がウィメンズ)

『クラシックモデル』が登場したのは2016年。『スタンダードモデル』がコンパクトなセットイン・スリーブなのに比べ、こちらはラグランスリーブの大きめなシルエットが特徴に。サイズ感もやや大きめに設定されています。水牛ボタンも生地と同系色、ベルトのバックルもベージュで、全体的にやわらかい雰囲気を大事にしています。また「貫通ポケット」という、中に着ている服のポケットに手が届くスリットのようなものがあしらわれているのも、「昔ながらのトレンチ」が楽しめる工夫に。

◆『エイジドモデル』(左がメンズ、右がウィメンズ)

ビンテージな雰囲気漂う『エイジドモデル』は、特殊な製品洗いを施したモデル。加工は岡山のデニム工場で行われていますが、ボタン付けの前に洗いをかけ、再度青森の工場で縫製を完成させるという手間がかかっています。デザインは『スタンダードモデル』と『クラシックモデル』がベースに(写真では、メンズが『スタンダードモデル』ベース、レディースが『クラシックモデル』ベースになっています)。2017年に発表されたモデルですが、N.Y.の展示会で「100年コート」を発表する際、コンセプトをビジュアル化するために非売品としてつくったものが好評で、商品化に至ったとか。長年着込んだようなソフトな風合いが特徴なので、素材にハリがない分、着心地は軽いそう。ステッチ糸を太くしてリメイク感を出したり、水牛ボタンの表面を手で削ったり、バックルはアンティーク加工の金属にしたりなど、どこまでも芸が細かい…。


▲N.Y.の展示会で使われたパンフレット。このビジュアルが『エイジドモデル』誕生のきっかけに。

そして、和樂web的に注目したいのは「三陽格子」という名前の柄。背裏、ライナー、襟裏に使われているのですが(『エイジドモデル』を除く)、歌舞伎の衣装に使用されている「翁格子」を元に開発されました。『勧進帳』の弁慶の衣装などで有名な「翁格子」ですが、太い格子を老人、細い格子を孫に見立てており、子孫繁栄の意味をもっています。おめでたく、世代を超えて長く愛されるという意味で「100年コート」のコンセプトにぴったり。また歌舞伎という、伝統を守りつつ進化も遂げている文化という点も、共鳴する部分があったそうです。銀座に大型店舗「GINZA TIMELESS 8」(「100年コート」もここで見られます)をもつ三陽商会だからこその発想、とも言えそうです。


▲「三陽格子」に使われている色もすべてオリジナルで開発。

近年では「サステナブル」というワードが世界中に広まっていますが、「100年コート」が考えるサステナブルは、「長く大切に着る」こと。現代において洋服は、5年も着たら着たほうというのが常識。それを覆すために「100年コート」は生まれました。最近では親子でシェアするためや、成人・就職祝いとしてこのコートを選ぶ人も多いとか。ご夫婦で旅行のために新調されたという幸せなエピソードも。ファッションとしてだけでなく、人生の記憶として存在するコートなんて、素敵ですよね。

◆「100年コート」問い合わせ先/SANYO SHOKAI0120-340-460
SANYOCOAT

書いた人

編集プロダクションからファッション誌のエディターに。ファッション以外に挑戦したくなった矢先に「和樂」に捕縛される。商品開発を主に担当しているが、早くもアパレルに着手し始め、人生の矛盾を感じている。