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2020.01.28

愛したのは鶴でした。報われぬ恋の美しさに惹かれる昔ばなし3選

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劇作家・木下順二の戯曲「夕鶴」の題材になり、地方によっては「鶴の恩返し」の名でも知られる『鶴女房』は、日本人なら誰しも一度は耳にしたことがある有名な昔話だ。

鳥類であるはずの鶴と人間が一緒になるという、ちょっと不思議な展開をみせるこうした物語は「異種婚姻譚」と呼ばれる。

そして興味深いことに、西洋の昔話には、人間以外の生物が人間の姿になって登場するという話はほとんど見られない。

物語の主人公たちはどうして、わざわざ厄介な恋を予感させる「異種」に惚れたりするのだろう?
その理由を探るべく、まずは日本昔話の「異種婚姻譚」を紹介しよう。

報われない想いが悲しい。昔話の異種婚姻譚3選

美しい日本の恋『鶴女房』

昔むかし、あるところに貧しいけれど心の優しい青年がいた。
一羽の鶴が罠にかかり困っているところに通りかかった青年は鶴を助けてやった。

次の日、若くて美しい娘が嫁にしてほしいと青年の家を訪ねてきた。
青年に嫁いだ娘は部屋に籠って機を織り、仕上がった反物はよく売れた。しかし、鶴の嫁はたびたび青年に忠告するのだった。

「決して、わたしが機を織っている姿を見ないでください」

しかし青年はどうしてもその姿を見てみたくなり、ある日、約束を破って機織り部屋を覗いてしまった。
すると部屋の中では一羽の鶴が自分の羽根を抜いて反物を織っているところだった。

「姿をみられたうえは、私はもうここにいられません。私はあなたに助けられた鶴でした」

そう言い残し、正体を知られた嫁は鶴の姿に戻って飛び去っていった。部屋には、今まで見たこともないような美しい反物だけが残されていた。

いつの時代も女は秘密を持つ生きものらしい。

すっぴんを見られたのが理由ならいざ知らず、正体を見られてしまったとなってはもう、別離を選ぶしかない。
愛する人の秘密を知りたいとの気持ちはわかるが、むやみに暴くような真似をすると『鶴女房』のような結末を迎えることになるかもしれない。

見ないでさえいてくれたら、一生側で恩返しするつもりだったのに…そんな鶴の悲しみが伝わってくる。
この物語は鶴だけでなく、人間同士の恋愛にも当てはまるかもしれない。

蟹と蛇と人間の娘の三角関係『蟹の恩返し』

昔、ある村に心の優しい娘がいた。
ある時、村の子どもたちが蟹を捕まえて遊んでいるのを見た娘は、可哀そうにと思いその蟹を買い取ってあげた。

それから数日後。
娘の父親が田んぼに行くと、蛇が蛙(かえる)を飲み込もうとしているところに出くわした。
それを見た父親は「その蛙を助けてやったらお前の好きなものをやろう」と蛇に言った。

その夜、姿を変えた大蛇が家にやって来て、蛙を飲み込まなかった代わりに娘を嫁に貰いたいと言ってきた。びっくりした父親は蛇に三日間待ってくれるようにと頼みこんだ。
その間に、父親は厚い板で倉を作り娘を倉にかくまうことにしたのだ。

それに怒った大蛇。倉をぐるぐる取り巻いて、大きな音をたてて倉を潰そうと、しっぽで倉を叩き続けた。

翌日。
音がやんだのでおそるおそる戸を開けて外に出てみると、表では大蛇と、それからたくさんの蟹が死んでいた。
父娘は、大蛇を全力でやっつけてくれた蟹たちのために、塚を立てて手厚く葬ったという。

昔話ではよくあるパターンの、父親が蛇と勝手な約束をするというワンクッションがあるにはあるが、ここでは娘を欲する大蛇と、大蛇から娘を守ろうと奮起する勇ましい蟹の三角関係が描かれている。
助けられた蟹は娘への恩返しのために大蛇と戦うが、しかし、ついには死んでしまうのだ。

もうひとつ、人と人以外が織りなす恋物語を紹介しよう。

一途な鬼の叶わぬ恋『鬼の嫁さん』

昔むかし、ある山に鬼が暮らしていた。
いくら鬼とはいえ、一人きりでいるのが寂しかった鬼はあるとき、村の娘に恋をする。

鬼は、娘の父親に娘を嫁に欲しいと頼みに行った。
百姓をしている父親が「雨を降らせてくれたら娘を嫁にやるがなぁ」と言ったので、鬼はすぐに雨を降らせて娘を嫁にもらって山へ帰っていった。

鬼は嬉しくてたまらない。
娘に優しくし、毎日ごちそうを用意した。
しかし娘は家に帰りたくてたまらなかった。
というのも、鬼にとってはごちそうの死んだネズミや鳥は、娘にはとても食べられない代物だったからだ。

やがて山に春が来ると、娘は飛ぶようにして実家へ帰ってしまった。
じつは、山への道すがら娘は母からもらった菜の花の種を一粒一粒落としていた。春になって種から花が咲き、実家までの道がわかるようになると、娘は咲いた花を辿り鬼の家を飛び出したのだった。

飛び出した娘を必死に追いかけた鬼が実家に着くと、娘の母親は鬼に炒った豆を渡して言った。
「この豆から芽が出たら娘を迎えにきなさい」
しかし、炒った豆からはいっこうに芽がでてこない。

怒った鬼が実家へ行くと父親に「鬼は外―」と言われながら豆をぶつけられ、追いだされてしまった。
鬼はトボトボと山へ戻るしかなかった。
今でも、山の方からはときどき、娘に会いたいと泣く鬼の声が風に乗って聞こえるという。

鬼の純粋で一途な恋心が伝わってくる物語だ。
でも、鬼に惚れられた人間の娘の態度がすこし失礼なように感じるのは私だけだろうか?

『鬼の嫁さん』では鬼を追いだそうと父親が豆をまく。
お気づきのように、これは節分の時に豆をまくのと同じ理由。だから、節分の豆は「しっかり」炒られた豆を使うこと。
でないと、鬼が戸を叩きにやってきてしまうかもしれない。

日本の昔話に「異種婚姻譚」が多い理由

『鶴女房』『蟹の恩返し』『鬼の嫁さん』3つの話の共通点は、人間と人間以外の生きものが恋愛、あるいは結婚することだ。

日本の昔話には『鶴女房』のほかにも『きつねの花嫁』『恩田の初連』といったように、もともと人間以外の生きものが人の姿を借りて活躍する話がけっこうある。
こうしたお話は、興味深いことに西洋の昔話のなかにはあまり見られないものだ。どうしてだろう?

理由はどうやら、日本人の自然観にありそうだ。

昔話に見る西洋と日本の自然観のちがい

西洋では、人間と動物の世界は明確に分けられている。そこには、きっちりとした上下関係があるのだ。
一方で、日本は人間と人間以外の生きものの関係が近いところにある。

昔話の主人公は人間以外の生きものの世界へしょっちゅう出かけているし(『こぶとり爺さん』)、他の世界から物を持ち帰ることだってある(『浦島太郎』)。
時には、異世界と関係をもったことにより、主人公が幸せを得たり、豊かな暮らしを手に入れることがあるのを思いだしてほしい(『鼠の浄土』)。
そして、そのことは決して悪いことや忌み嫌われる出来事として描かれていない。

日本では、人間と人間以外の生きものが同じ世界に共に生きていることが自然に受け入れられる傾向があるのかもしれない。
昔話は伝説や神話とはちがうので、信仰や宗教的なものではないけれど、その国に何代にもわたって語り継がれてきたことを考えると、日本人の自然観が表れていても不思議はないだろう。

「見るな」のタブー

日本昔話の「異類婚姻譚」には、日本人ならではの自然観のほかにもう一つ重要な心情が表現されている。
それが、「見るな」のタブーだ。

民俗学者・柳田国男(1875~1962)は「桃太郎の誕生」で、『鶴女房』について次のように指摘している。

柳田が言うには、鶴が人間の女に変身して機を織るというモチーフは、かつて巫女が部屋に籠って供える衣を織っていたことに由来しているというのだ。
だから神聖な機屋を覗いて機を織る姿を見ることが不運を招くことになる。それは離別につながるほどの大きなタブーだったのだ。

そのうえ、鶴は古来から神聖な鳥として信仰されてきた。
この神聖なる生きものに女性が化身していることも、とりわけ重要な点と言えるだろう。

人が人以外に恋愛するのには訳があった

人間と鶴。人間と蟹。人間と鬼。
昔話に登場する恋愛の在り方は性別や種族を超えてさまざまだ。

『鶴女房』は鶴と人間の恋愛におきかえることで、男と女は違う生きものだということを教えようとしているのかもしれないし、『鬼の嫁さん』は種族を超えた恋愛話とも言えるだろう。
それでなくても、男と女では体も心のつくりも互いに異なっているから、別の世界を生きているようなものだ。

あるいは、こうも言えるだろう。
この世には誰一人としておなじ人間はいないのだから、幸せに暮らしていくためには、私たちは皆それぞれ異なる生きもの同士、その違いを共有し、分かち合い、理解する必要がある。
そのための約束が、鶴の嫁が繰り返し青年に約束させた「見るなのタブー」だったのかもしれない。

「異類婚姻譚」とはつまり、生きていくための原則を語る物語だったのだ。

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書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。