小学校低学年の頃だったでしょうか。わたしは金魚を飼っていました。母が玄関の下駄箱の上の金魚鉢で飼っている赤いのとは別の金魚です。わたしの金魚は白っぽくてお菓子の箱の中、水もないところでゆらゆら…としませんでした。よく見たら金魚ではなくてほかのお魚でした。ああ勘違い!
もしかしたら、みなさんのなかにもおなじお魚を箱の中に集めていた方がいるかもしれません。何の話かって?お寿司やお弁当のおしょうゆ入れのあのお魚の形のケースです。最近あまり見かけなくなった気がしますが、どうしたんでしょう。
今回は、あのお魚の形の調味料入れの誕生から現在までについてお伝えします。
お魚型のたれ瓶はこうして生まれた
お弁当を買うと必ず入っていた魚の形をしたポリ容器。瓶の形のものもありますが、印象的だったのはやはりウロコまで精密に表現されているお魚の容器。これら使い捨ての調味料用のポリ容器は「ランチャーム」と呼ばれるものです。作っているのは大阪市の株式会社旭創業で、開発したのは創業者・渡辺輝夫氏でした。
渡辺氏は、どうしてランチャームをつくろうと思ったのでしょうか。
1954(昭和29年)のことだったといいます。渡辺氏は経済新聞を隅から隅まで読んでいたとき「これからは経済的なポリエチレンの時代になる」との考えが頭をよぎったそうです。当時使われていたお弁当用の調味料入れといえばガラスや陶器ときまっていました。それらは風情も高級感もありましたが、割れる危険性をはらんでいました。また、コストも高くつくという問題点がありました。しかし「ポリエチレンであれば安くて安全なものを作れるし絶対に売れる」…そんな思いが渡辺氏をランチャームづくりへと駆り立てたのです。
けれども、ポリ容器をつくろうといったところで、渡辺氏にはその技術がまだありませんでした。そこで、ポリ容器をつくるための機械づくりがまずは必要に。長い台の上に延板をはめ込み、そこへ直径2cm足らずのポリエチレンチューブを流し込み、おしょうゆを注入して切断する試みが毎日繰り返されました。現代であれば簡単な技術かもしれませんが、当時はまだ大変な苦労を要したのです。失敗はなんども重なりましたが、渡辺氏はくじけず挑戦と改良を続けたのです。
そうしてついに満足のゆくものができる日がやってきました。その日、工場へ顔を出した妻に渡辺氏が差し出したものは、いっぱいに詰まったおしょうゆが艶やかに光る容器。断裁面も堅く密封され、おしょうゆがもれる心配もなさそうです。いままでにない調味料の容器、そしてそれを量産するための機械が完成したのでした。
渡辺氏は「これは売れる!」との確信を持ち、さっそく特許庁へ出願することにしました。商品名も「ランチャーム」に決まりました。
当時渡辺氏が住んでいたのは広島県福山市で、そのことはひとつの懸案事項となっていました。福山市はそれなりに栄えていますが、決して大都会ではありません。福山で製造を続けることは販路を狭め、全国になかなか広まらないのではないかと心配だったのです。検討した結果、渡辺夫妻は大都会を目指して東京を目標に定めますが、娘さんが待ったをかけました。「新しいもの好きの人が多い大阪のほうが、ランチャームに目をとめてくれるんじゃないかしら」。夫妻はその意見には一理あると感じ、福山からは東京よりも大阪のほうが近くて進出しやすいこともあって、大阪へ出ることが決まりました。
渡辺氏の会社は1957(昭和32)年に大阪市西成区に旭食品工業として設立され、ランチャームの本格的製造を開始。ある百貨店からの引き合いをきっかけに日本各地から注文が殺到し、全国規模で展開することに成功します。こうしてあのお魚の形のたれ瓶は、日本人みんなが知るものとなったのです。
1971(昭和46)年に社名を株式会社旭創業と改め、現在はランチャームの製造販売をベースに食品包装資材全般を扱っています。提携している食品メーカーも「キッコーマン株式会社」「ヤマサ醤油株式会社」「ブルドックソース株式会社」「イカリソース株式会社 」など日本を代表する企業が顔をそろえており、海外とも連携してワールドワイドな企業となりました。
「ランチャーム」の名前の由来は?
恥ずかしながら、「ランチャーム」という名前だったことを今回初めて知りました。そこで、名前の由来を旭創業社長室の橋場千枝さんにお伺いしました。「食事や料理をおいしく楽しく召し上がっていただきたいという想いをこめ、『ランチ』を『チャーミング(魅力的に)』ということから『ランチャーム』という名前になりました(現在は商標登録をしています)」(橋場さん)。たしかに小さな容器はとてもチャーミング。すごく納得しました。
ランチャームはお魚型のものが有名ですが、お魚型のものが最初からつくられていたのでしょうか。橋場さんによれば「開発当時はストロー状のポリエチレンにしょうゆを通して両端を熱裁断していました。その後、持ち帰り寿司へ添付するため、魚(鯛)型を作りました」とのこと。最初からお魚の形は難しかったようです。そしてあれは鯛だったのですね。たしかによく見れば鯛です。すごい再現力に圧倒されます。
そのほかにもランチャームはなんらかの形を表しているものがあります。お魚はお寿司のおしょうゆ用に、ブタはとんかつ用のソースにと連想できます。では「ひょうたん」の形のものはどこで使われることが多いのでしょうか?
「ひょうたんは、仕出しなど少し高級な料理にお使いいただいております」と橋場さん。そうなんですね。今度お呼ばれする機会があれば、意識して見つけてみることにします。
駅弁とともに広く普及
そんなランチャームも製造開始から60年を超えました。容器の形状、容量、調味液の種類などが豊富になったと橋場さんは言います。「まず、製造方法が変化しました。開発当時はストロー状のポリエチレンにしょうゆを通して両端を熱裁断していました。その後、真空充填方式で大量生産ができるようになり、現在では充填からキャップ締めまでを一体化した自動充填機で製造しています。取扱量についても、鉄道が整備されて『駅弁』が普及したのとともに増え、現在では海外へも輸出しています」(橋場さん)。なるほど、たしかに駅弁の種類は豊富になっていますから、調味料の容器もたくさん必要になったはず。鉄道の広がりが調味料の容器の広がりとつながっているって、なんだかおもしろく感じられますし、旅をすることの豊かさも伝わってくるようです。
また、旭創業では製造機の開発・改良を繰り返しており、容器の形状、容量、調味液の種類などが豊富だと橋場さんは言います。味の豊富さ(全国各地のしょうゆを取り扱っている)、さまざまな形状(お魚やブタ・ボトルの形をした容器タイプ、フィルムタイプ[小袋タイプ])、容量(約2ml~11mlまで)の3つを柱として実に多様なので、メーカーの用途に応じた提案が可能だそうです。旭創業のホームページでは、選ぶのに困った人へのアドバイスも記載されています。例えば内容量については、「スーパーで販売するお刺身に添付するしょうゆ」「握り寿司1人前に添付するしょうゆ」「洋風弁当のコロッケに添付するソース」などと具体的で、とても参考になります。
「旭創業では、おもにしょうゆ・ソースを充填したものを販売しています。定番品のしょうゆは大手メーカー様のしょうゆを充填しています。例えば、九州地方などで好まれる甘めのしょうゆを充填した商品がありますし、ソースは、定番品にはウスターソースを充填しているほか、中濃ソースの取り扱いもあります。お客様のご要望に合わせて液体調味料の充填が可能です」(橋場さん)
イチオシは金と銀 点字入りのものも 未来に向かうランチャーム
さまざまなランチャームを見ていて気になったのが、点字入りのものでした。これは、1998年ごろに視覚障がい者のかたにも区別しやすく、おいしく召し上がっていただけるように製造を始めたものだそう。わりと早い時期からユニバーサルデザインに着目していたことがうかがえます。
ところで、プラスチック製品への風当たりが強まっているなか、今後、エコなランチャームが登場する可能性もあるのでしょうか?「素材の調査・研究はしていますので、エコなランチャームが登場する可能性はあります」(橋場さん)とのこと。フィルム型のものの割合も大きくなってきていますが、未来型のランチャームにも期待できそうです。
橋場さんイチオシのランチャームは「金のランチャーム」「銀のランチャーム」だそうです。金のランチャームはお祝いや高級な料理に、銀のランチャームは仏事の料理に使うそう。これは見かけたらこっそりバッグに入れて持ち帰って飾りたい豪華さです。いつか出会えますように。
「発売より半世紀以上に渡りご愛顧いただき、最近では、海外でもたくさんご利用いただいています。これからも長くお使いいただけるよう、努力してまいります」と橋場さん。ランチャームファンとして、とても元気づけられる言葉でした。
先日、お寿司に偶然お魚(鯛)のランチャームが入っていました。偶然の邂逅に感謝しつつ、洗って大事に保管しています。もう箱に入れて飼うことはありませんが、日本のお弁当文化を支えたひとつの要素でもあるランチャーム。根強いファンもいるため、オンラインストアではランチャームやバランといったお弁当資材や厨房用品のほか、なんとランチャームのストラップも販売されています!これはファン垂涎の一品ではないでしょうか。
「ドバっと出すぎない」「漏れない」という優秀さと、見た目のかわいさを兼ね備えた小さな容器。これからもずっと使われ、出会えるたびによろこばれ、愛される存在であり続けることを願ってやみません。