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2020.03.19

空手のルーツや歴史を紹介!現役空手指導者が語る、極真空手の魅力とは

この記事を書いた人

2020年の東京オリンピックの正式種目となったり、また俳優横浜流星さんが過去国際大会で優勝したことで注目を集めている「空手」。しかし前者は「寸止め空手」後者は「直接打撃制(フルコンタクト)空手」と、本質は同じですが似て非なるもの。
40代にして空手の世界に足を踏み入れたヨガ講師の私が、空手の歴史を振り返りながら、両者の違いを説明していきます。

当てない「寸止め」、当てる「直接打撃制」

「寸止め」と「直接打撃制」この2つの違いは、一言でいうと「当てる」か「当てないか」です。
空手の歴史は後で説明しますが、戦前の空手は「形」(演武)を重視し、試合もありませんでした。
戦後になり、実践的な試合(組手)をしたいとの声が上がるようになりました。安全面を重視し、いきついたのが相手に当てず直前で止める「寸止め」でした。先に誕生したこともあり、「伝統空手」とも呼ばれています。

その「寸止め」に異議を唱えたのが、大山倍達。最初は「寸止め」をやっていましたが、「自分の攻撃で相手が倒れる程のダメージを与えられたどうかは、実際に相手の体を叩いてみないと判らない」と、「直接打撃制(フルコンタクト)」を提唱しました。これが、極真空手として発展していきます。

どちらが良いとは一概には言えません。ただ「寸止め」では物足りず、実践的な「直接打撃制」へ転向する人もいます。また、組手を観戦したとき、知識がなくても存分に楽しめるのは「直接打撃制」かも。迫力ありますよー。

それでは次に、空手の歴史をお伝えします。

沖縄から始まる空手の歴史

空手のルーツは、琉球王国時代の「手(てぃー)」

空手の発祥の地は、15世紀(室町時代)に成立した琉球王国。現在の沖縄県です。この頃既に、剣や槍、弓、棒、釵(さい)などの武器を用いた武術が存在しました。
一方、中国(当時は明)からは、中国拳法が伝わりました。元々武術の盛んな土地柄。興味を持った人々が、それを受け入れ19世紀後半には「手(てぃー)」と呼ばれる琉球拳法が確立したと言われています。それがいつの間にか「唐手」と呼ばれるようになりました。「唐」は7~10世紀の中国の国名なので、中国由来ということ示す意味があったのかもしれません。

ちなみに。
17世紀以降の薩摩藩の統治下、「武器の所有が禁止されたため、人々が自衛策として徒手空拳の拳法を発展させた」というのが通説となっていますが、近年これを疑問視する声が上がっています。
薩摩藩は鉄砲の所持は禁止したものの、士族階級が武器を個人所有することは認めていました。また、琉球王国に対しては大幅に自治を認めた間接政治を行っていました。
つまり自衛策として、拳法の鍛錬に励む必要はなかったのです。

沖縄の守り神シーサー

明治時代以降「沖縄唐手」が本土に伝わる

明治時代に入り、1872(明治5)年に琉球王国は琉球藩として明治政府の支配下に置かれ、1879(明治12)年には琉球藩が廃止され沖縄県になりました(琉球処分)。
その後日本は近代化の道を進む中、日清・日露戦争を経て、青少年の心身を鍛えることの重要性が認識されました。それを受けて沖縄県では、1901(明治34)年頃から「唐手」が学校体育に取り入れられます。そこで普及活動を行ったのが、沖縄県師範学校教員の船越義珍(ぎちん)でした。

一方、本土でも興味関心を持ったのが講道館柔道の創始者であり、「柔道の父」「日本の体育の父」と呼ばれた嘉納治五郎です。
1922(大正11)年、船越が東京の講道館で「唐手」を披露することで二人は出会い、本土に「唐手」が普及していくのです。

形式化、体系化されていく「唐手」

首里手、那覇手、泊手の3種類に

「唐手」が本土に伝わってから、いろいろなことが形式化・系統化されていきました。
大正時代になって「唐手」は3種類に分かれました。嘉納らが沖縄県を訪問する際、演武会を開催することになりました。すると沖縄県庁側から「唐手という名称はあまり好ましくない。沖縄県らしい名称にしたらどうか」という提案が。それを受けて関係者が協議し、「首里手」「那覇手」「泊手」の名称を採用することに。これらは継承された地域名をつけたものです。
以下、3手の特徴を簡単に記します。これが後に流派が分かれていく際の基本となります。
ただし、「秘伝」であるため古文書が残っておらず、分からないことも多いのです。
首里手-最も古い手。敏捷性や柔軟性重視。
那覇手-呼吸や筋骨、鍛錬を重視。
泊手-首里手、那覇手の中間。 

とはいえ、「唐手」の名称はしばらく使われます。

段級制度の導入

「唐手」には元々階級や段位はありませんでした。理由として船越は「柔道や剣道と違って試合ができないから」と説明していました。しかし、柔道も剣道も既に段級が作られたことにより、稽古の目標が明確になり、入門の動機付けにもなることで道場の運営面にもプラスに働きました。
その様子を見た船越は将来の発展を想像し、1924(大正13)年に段級制度を導入しました。技術のレベルを分かりやすくするために、有段者は黒帯に。
私は柔道も空手も、有段者はなぜ黒帯なのか? と不思議に思っていましたが、柔道の影響を大きく受けていたからなのです。
ちなみに、試合が導入されるのはさらに後になります。

「唐手」から「空手」へ

段級制度が導入された後、「唐手」部が設立された大学も出てきました。慶應義塾大学を皮切りに東京帝国大学、拓殖大学、東京商科大学(現、一橋大学)、早稲田大学など……。
当時の大学進学率は現在と比べてかなり低く、大学生は超エリート。そんな人々がさらに文武両道を目指すのです。
1930(昭和5)年、船越が指導をしていた慶應義塾大学の「唐手研究会」が、「空手研究会」と改称しました。
『般若心経』の「色即是空 空即是色」と一切の雑念を払った空の心境から、「空手」と改名されたのです。また、中国との関係が悪化していく中、「唐」の文字は避けて、日本の武道であることを強調したいという意図もあったのでしょう。

「空手」が日本の武道「空手道」に

嘉納治五郎の尽力により、大日本武徳会(戦前、武道の振興、教育、顕彰を目的とした財団法人)の柔道の一部門として位置づけられ、空手は日本の武道となりました。
この頃の空手は、突き蹴り以外に投げ技や関節技と、何でもあり。柔道との差別化を図るため投げ技と関節技は外しました。
一方船越は、「空手」は人格陶冶(とうや)、人間形成を重視する「道」であるという理想を掲げ、「空手の正しい理解と正しい用い方」という意味を込めて、「空手道」の名称を使うことに決め、1935(昭和10)年『空手道教範』を書きました。

こうして、沖縄の「唐手」が本土に伝わり、「空手」から日本の武道「空手道」と大きく発展していきました。しかし、その過程の中で沖縄の伝統武術からかけ離れていくことに。
船越は、沖縄でも東京でも一部の人から非難されましたが、それにもめげず、日本に空手を広めていきました。まさに、「近代空手道の父」なのです。

※以下の文章では、基本「空手」と記します。

「空手道」の流派の誕生

前述した「首里手」「那覇手」「泊手」の3手を元に、空手の流派が誕生しました。「松濤(しょうとう)館流」「糸東(しとう)流」「和道流」「剛柔流」。この4つが、日本の空手四大流派と呼ばれています。以下に、簡単に特徴を記します。
「松濤館流」-「首里手」の流れをくむ。船越義珍主体。圧倒的な勢力を誇る。
「糸東流」-「首里手」「那覇手」の流れをくむ。沖縄唐手の伝統的な形を受け継ぐ。
「和道流」-「首里手」の流れをくむ。柔術の影響を受ける。
「剛柔流」-「那覇手」の流れをくむ。極真空手の基礎。
 ここからさらに、枝分かれします。

このように多数の流派に分かれ、個々の理念や技、形を持つのが空手の特徴です。他の武道に比べ、まとまりに欠けている面もありますが、それぞれが熱心に取り組んだ結果、国内外に広く普及していきました。

船越義珍の「空手に先手なし」のモニュメント 沖縄県那覇市奥武山(おうのやま)公園に建立 船越は稽古で心掛けるべき大事な教えを、「松濤二十訓」と「松濤五条訓」にしてまとめました。「松濤二十訓」第二条が「空手に先手なし」です。 

「寸止め空手」の誕生

船越が本土に伝えた空手は、「形」を重視するものでした。その後、弟子の中から「形」だけの稽古に飽き足らず、実践的な試合(組手)をやりたいとの声も上がるように。また柔道や剣道も試合を行うようになったことで、船越は組手の試合を前向きに検討するようになりました。それには、安全性を考慮する必要があり、戦後生まれたのが相手に当てず直前で止める「寸止め」でした。これを受けて1975(昭和32)年、空手界として初の「形」と「組手」の試合が開催されました。

ちなみに。2020年東京オリンピックでの空手の「組手」部門で取り入れられるのは、この「寸止め」です。

「寸止め空手」に異議あり、「直接打撃制(フルコンタクト)空手」の誕生

1947(昭和22)年、全日本空手道選手権で一人の青年が優勝。彼こそ、船越の松濤館流を経て剛柔流を学んだ大山倍達。極真空手の創始者です。
その後大山は空手に生涯をかけることを決意。さまざまな格闘技を研究しつつ、世界各国を回り各種格闘技と戦い、「カラテ」の名声を世界に広げました。
当時の空手界は前述のように、「寸止め」が一般的。「空手こそ最強」の信念を持っていた彼はそのルールに異を唱えました。「自分の攻撃で相手が倒れる程のダメージを与えられたどうかは、実際に相手の体を叩いてみないと判らない」と、「直接打撃制(フルコンタクト)」を提唱。
1954(昭和29)年に、大山道場を設立。1964(昭和39)年、国際空手道連盟極真会館が設立されました。ちなみに最初の稽古場はバレエスタジオを借りたところで、このギャップが何だか微笑ましいです。
その後、1969(昭和44)年、直接打撃制を取り入れた、第1回全日本空手道選手権を開催。1975(昭和50)年、通称「カラテオリンピック」と呼ばれる第1回全世界空手道選手間を開催。全世界に極真空手の名前を轟かせます。
1994(平成6)年肺癌のため逝去。享年70歳。現在は、いくつもの流派に分かれながらも大山の精神は脈々と受け継がれています。

現役空手指導者が語る、極真空手の魅力

(一社)国際空手道連盟極真会館 東京都川端道場の川端直樹師範(4段)に、指導者の立場から極真空手について語っていただきました。ちなみに、私の師匠であります。

(一社)国際空手道連盟極真会館 東京都川端道場の川端直樹師範4段
分かりやすく丁寧な指導をされます。空手の師範とは思えないほど、穏やかな方です。ただ、大ファンの広島東洋カープの話になると、「熱く」なります。

極真空手との出会い

空手を始めたのは、高校2年生。その頃は、極真空手ではない流派でした。1年程習い、大山倍達の内弟子の山田政彦師範の道場が地元長崎県諫早市にあることを知り、そちらに移籍。実践的な極真空手に以前から憧れていたのです。稽古は厳しいものでしたが、自分のやりたかった空手に出会い充実した日々。高校卒業まで、バスで1時間かけて通いました。

卒業後は就職のため上京。東京でも極真空手は続けたいと思っていたところ、勤務先の近くに道場があり、仕事の傍ら稽古に励むことに。茶帯(黒帯の手前)を取ってからは、休日に指導をするまでになりました。
数年が経ち「東京の生活に疲れたな……。長崎帰って就職しようかな」と思うことも。東京での師範に相談すると、「道場を開いてみたら」と。その一言で覚悟を決めて退職。本格的に指導者の道を歩むことになりました。20代後半のことです。紆余曲折を経て、2020年で22年目になります。

道場を開いて良かったこと

「人間が成長をしていくのを、見られることです。以前学校でも問題児と呼ばれる子どもを、指導したことがありました。その子は高校に通うのも難しいと言われていましたが、空手を続けていくなかで段々と落ち着いていき、大学を卒業し、今は立派に社会人です。そのとき、今までやってきたことは間違いでなかったと、実感しました」懐かしむような目で言われました。

極真空手の魅力とは

「できなかったことや無理なことが、コツコツと稽古を積み重ねてできるようになると、『やればできる』と、自己肯定感が持てるところです。また極真空手は直接打撃制なので、痛みを感じます。だから痛みの分かる人間になって、他人に対しても優しくなれるのです。
道場には、幼児から80歳近い方、成人女性も来られています。それぞれの目的やレベルに合った指導をしているので、是非体験してください」

貴重なお話、ありがとうございました。

少年部の稽古風景 子ども達には優しくときには厳しく指導します。体力や精神力、礼儀作法の習得を目ざします。

40代空手女子が語る、極真空手の魅力

40代ヨガ講師の私が、何故空手について熱く語っているかというと、私自身極真空手を習っているからなのです。そのきっかけには、ヨガが絡んでいます。
2017年、ヨガを学んでいく中で「マインドフルネス」(今この瞬間に意識を向け、評価せずに、客観視すること)に出会い、深く理解するにはどうしたらいいかと考えました。そんなとき「和の習い事は、マインドフルネスを体感しやすい」との意見を耳にしました。
ある日、郵便受けにチラシが入っていました。近所に空手道場がオープンするとのこと。
「空手そういえば、やってみたかったんだよな。ヨガやダンスの動きにキレが出てきそうだし」
「マインドフルネス」はどこに行ったのやら、軽いノリで体験に行ったのでした。

「ボコボコ殴られるわ蹴られるわ、すごいところに来てしまった」最初の感想です。さらに、「突き」「蹴り」もいろいろな種類があり、説明されてもチンプンカンプン。ただ「技」はどれも攻撃と防御の面があり、「当てればいいわけではないんだ」と奥の深さを感じました。
また稽古は、黙想で始まり黙想で終わります。静と動の動きを取り入れているのは、ヨガと共通するところでした。
他に共通していると感じたのは、動いている間は、無心になって集中できること。雑念が湧いてくる暇もありません。
良かったのは、終わった後の爽快感。ヨガはジワジワ汗をかくけど、空手は滝のような汗。でも、これが気持ち良いのです。
「面白そうやってみよう」と思いつつ、「組手は痛いな。でも、サポーター着けるから大丈夫かな? 」と、少し不安に思いながらも入会。

この頃の私は「極真空手」について全く知りませんでした。空手は「寸止め」と「直接打撃制」に分かれることも。振り返れば、怖い物知らずです。

初めの頃は、力加減や相手の交わし方も分からず、間違った蹴り方をしたり、みぞおちに蹴りをもらったりと、地味に打撲していました(整骨院通いになること4回。スポーツ保険フル活用)。
しばらくして、私にとって驚愕の事実が。

空手には、当てない「寸止め」と実際に当てる「直接打撃制」があるということ。そして私は、後者である「極真空手」を選んでしまったこと。

「知らなかったー! 」と叫びたかったけど、後の祭り。すっかり楽しくなったから。
後から聞いた話によると、「寸止め」は試合で当てると反則になるけど、稽古中は当たることが多々あるそうです。だから、痛くないとは言い切れないのです。だとしたら、当てられる前提で身構える「直接打撃制」の方がいいかも。そんなわけで、「組手は嫌だな」と思いつつ、青アザ作りながら楽しく稽古に通っています。
マインドフルネス? 学んでいますよ。「今ここ」に集中していないと、大けがしますから。
目標ですか? もちろん、黒帯です!

おわりに

「近代空手道の父」船越義珍は、空手には「体育」「護身術」「精神修養」の三本柱があると唱えました。このことから「空手」イコール「格闘技」ではないと、理解いただけると思います。
1957(昭和32)年、船越は逝去。90歳の大往生でした。
2020年東京オリンピックの空手を、どんな気持ちで空の上から見るのでしょうか。

協力

一般社団法人国際空手道連盟極真会館 東京都川端道場

極真会館東京川端道場 基本情報

等々力道場
〒158-0082 東京都世田谷区等々力4丁目16-11 B1
中延道場
〒142-0053 東京都品川区中延4丁目3-1 

稽古時間などはお問い合わせください。

参考資料

草原克豪『武道文化としての空手道-武術・武士道の伝統とスポーツ文化を考える-』
(芙蓉書房出版、2019年)

一般社団法人国際空手道連盟極真会館

国際空手道連盟極真会館

書いた人

大学で日本史を専攻し、自治体史編纂の仕事に関わる。博物館や美術館巡りが好きな歴史オタク。最近の趣味は、フルコンタクトの意味も知らずに入会した極真空手。面白さにハマり、青あざを作りながら黒帯を目指す。もう一つの顔は、サウナが苦手でホットヨガができない「流行り」に乗れないヨガ講師。