新選組でイケメンというと、誰が思い浮かびますか? 土方歳三? 沖田総司? それとも加納惣三郎?
加納惣三郎は小説に描かれた架空の人物ですが、新選組には「隊中美男五人衆」と呼ばれる人たちがいました。
これが「隊中美男五人衆」メンバー!
子母澤寛(しもざわかん)による新選組3部作の3作目『新選組物語』に、この「隊中美男五人衆」のエピソードは書かれています。子母澤が、新選組の屯所(宿舎)になっていた八木源之丞(やぎげんのじょう)家の次男・為三郎(ためさぶろう)が存命だったので、取材した中から出てきたものです。
全員、新選組結成初期の文久3(1863)年の入隊と記録されています。
楠小十郎(くすのきこじゅうろう)
京都出身。新選組入隊時は17歳でした。
目のぱっちりした色白下ぶくれの顔で、女性のような優しい声だったと言われています。
長州の桂小五郎の密命を受け、スパイとして新選組に入隊したことが発覚したため、入隊と同年の文久3年(1863)9月、局長近藤勇の指図で副長助勤(ふくちょうじょきん)・原田左之助(はらださのすけ)によって暗殺されました。
馬越三郎(まごしさぶろう)※大太郎(だいたろう)とも
阿波(現在の徳島県)出身。美男五人衆中、最年少で、入隊時16歳でしたが、剣術の腕前は抜群だったといいます。
馬越は女性ではなく、男性に好かれたエピソードが残っています。
のちに幹部となる武田観柳斎(たけだかんりゅうさい)は男性との恋愛が多かったのですが、馬越も武田に言い寄られます。馬越は承知しなかったようですが、後にこの武田絡みでトラブルとなり、新選組を脱退しました。
新選組脱退後はガラス商になったと伝わり、明治20(1887)年頃まで生きました。
山野八十八(やまのやそはち)
加賀(現在の石川県)出身。新選組入隊時には21~22歳でした。
壬生の水茶屋「やまと屋」の娘と恋仲になったといいます。
沖田の一番隊に所属し、新選組最後の地・箱館まで行動を共にしましたが、降伏前に離隊、明治に入ってからは小学校の用務員を務めました。
明治43(1910)年まで生きた、ご長寿さんです。
馬詰柳太郎(まづめりゅうたろう)
中国地方(詳細不明)出身。新選組入隊時は20歳。
父・馬詰新太郎とともに入隊しましたが、気が弱く、仲間と出かけることもあまりなかったようです。
新選組の屯所になったこともある南部家で子守りをしていた女性と仲がよく、女性のお腹が大きくなってきたときには、他の隊士にはやし立てられたといいます。そのため馬詰親子は居づらくなり、ある夜脱走して新選組から離れます。
その後どうなったかは、よく分かっていません。
佐々木愛次郎(ささきあいじろう)
摂津(現在の大阪府)出身。新選組入隊時には19歳でした。
隊内随一の美男子と評され、背はそれほど高くないものの、顔も体も雪のように白く、肌の弾力も抜群だったといいます。
佐々木は近所で評判の美女、八百屋の娘・あぐりと恋仲になりました。しかし、当時、筆頭局長の芹沢鴨が横恋慕してあぐりを無理やり奪おうとします。困っていた佐々木のために、と脱走を持ちかけた芹沢の子分・佐伯又三郎のすすめに従った佐々木とあぐりでしたが、佐伯の計略にはまって殺されてしまいました。享年19。
しかし、新発見の資料に基づき、佐々木愛次郎は殺されてはいなかった、とも言われています。
悲劇が起きたとされるのが、入隊と同年の文久3年8月、でも、その年の12月に書かれた隊士名簿に「佐々木愛次郎」の名前があるのだそう。
真相は不明ですが、佐々木愛次郎が美男子でモテたことは確かなようです。
土方も沖田も入っていない……
あれ? 土方歳三も沖田総司も入っていません。
沖田総司については、実は「美男子」ではなかったよう。土方の親戚や、「隊中美男五人衆」のエピソードを伝えた八木為三郎が語った内容をまとめた本によると、「色の浅黒い」「ヒラメのような顔」だったといいます。沖田の写真は残っていないので詳細は不明ですが、美男子だった、という記録はありません。ただ、冗談ばかり言って真面目な顔をほとんど見ない、と八木家の子供に言われていて、170センチメートル弱くらいの、当時としては大柄な体で屈託なく子供と遊ぶ姿には人気が集まったようです。
土方歳三は、現代の感覚でいう美男子です。当時も相当モテたようで、女性関連のエピソードには事欠きません。
あぁ、性格までイケメン!もはや伝説、土方歳三のモテモテエピソード
それなのに、どうして?
あくまで推測ですが、もしかしたら組織のナンバー2を「五人衆」に入れるのをはばかったのかもしれません。それとも土方歳三は別格だった?
そのあたりは不明ですが、新選組にはずいぶんイケメンさんが多かったのですね。