これはエロ親父の道楽か!?ミイラの一物も展示する奈良観光の穴場「東洋民俗博物館」

これはエロ親父の道楽か!?ミイラの一物も展示する奈良観光の穴場「東洋民俗博物館」

奈良の観光といえば、東大寺や春日大社といった寺社を巡ったり、奈良公園で鹿にせんべいを食べさせたり、といったことを想像される方が多いのではないでしょうか。少し足を伸ばしても、かつての都だった平城京や藤原京を訪れたり、ならまちなどの古き良き街並みを散策したり、といったところがメインになるかと思います。

ただ、今回は主要観光地ではなく、奈良をもっと楽しむために隠れ名所である「東洋民俗博物館」を紹介させていただきます。こちらの博物館は、近鉄あやめ池遊園地(1926年開園〜2004年閉園)の施設の一部として1928年に開館しました。建物は、あの帝国ホテルも設計したフランク・ロイド・ライトのデザインを意識して(あくまで意識)左右対称のデザインとなっています。

では一体どんなものが展示されているのでしょうか。
主な展示品は、初代館長でもある九十九黄人(つくもおうじん)氏が世界中で集めた民芸品や黄人氏が日本各地で貰ってきた謎の品々です。所狭しと並べられた展示品のほとんどがパッと見ただけでは何か分かりませんが、二代目館長の九十九弓彦(つくもゆみひこ)氏(黄人氏の息子)が全て解説してくださいます。

東洋民俗博物館 館長 九十九弓彦氏

世界中を旅した気分に浸れる展示品

入館してまず最初に目につくのが、入口すぐに置いてある円形の大きな石です。こちらの石は、黄人氏がパラオに行ったときに現地のお金持ちからもらった貨幣とのことで、1枚で豚20頭分の価値があったそうです。ちなみにお金持ちの家には、こちらの貨幣をたくさん並べるのが流行っていたとか流行っていなかったとか。

写真下部 ドーナツ状の石が貨幣

貨幣の説明をしていたのもつかの間、すかさず弓彦氏が隣のコーナーの展示品を指して、
「これは何をしてるところやと思う?」
とおっしゃいました。

遠目で見ると何か分かりませんでしたが、近くで見ると説明も書いてあるので分かりますね。
「カーセックスならぬボートセックスや。パラオは波が穏やかやから」
弓彦氏は説明を続けます。正直なところ波が穏やかだから何なのだ、という気がしますね。

ただ、序盤からエロを交えながらではありますが、隠れキリシタンの遺物やチベットの宗教観が分かる数々の像、朝鮮の魔除けや花嫁道具、インドネシアの呪詛面など、世界各国の文化をきちんと感じられる展示品があり、それらをひとつひとつ紹介してくださいます。

中でも目を引いたのが、中国の纏足(てんそく)用の靴です。
纏足とは、北宋(10〜11世紀)の頃から徐々に広がり20世紀前半まで続いた、女性の足を縛り続けることで小さく変形させる風習です。当時の中国では足の小さい女性が美しいという考えがあったことや、歩きにくさからくる弱々しさを好んだり、家から出さないことで貞節を管理したり、といった今では考えられないようなことが根付いていたようです。

他にも壁一面にかけられた大量の絵馬などもひとつひとつの説明が面白いので、是非聞いてみることをオススメします。絵馬でさえもエロを交えて説明していただけます。

展示していて大丈夫か心配になる品も

次の展示室では、これまた風変わりなものがたくさん展示されていました。
まずは弓彦氏自慢の一品「ミイラのチンコ」です。


こちらは黄人氏がペルーの首都リマにある博物館を訪れた際に、先方からミイラを贈呈すると言われたものの、持ち帰れないので大事な部分だけ切り取って日本に持ち帰ってきたそうです。

そして隣の棚には、どこから持ってきたのか分からない皇室関係の品々も並んでいます。

こちらは、昭和天皇が使ったと言われる箸(真偽不明)と、菊の御紋(偽物)です。車の運転が苦手だった黄人氏は、自分の車に他の車を寄せ付けないよう菊の御紋をつけていたようです。
他にも「官許」と書かれた表札もありました。こちらは当時皇室関係の方々がホテルに滞在するときに掲げたと言うものらしいですが、こちらもどこから持ってきたのか、出所は不明のようです。

さらに奥の展示ゾーンに行くと写真撮影禁止エリアがありました。こちらには阿部定事件(仲居が男性器を切り取った事件)や大正時代の浮気事件(この時代に女性の浮気は姦通罪とされていた)の裁判の調書や、性行為の体位についての記載が多いインドの書籍「カーマスートラ」、文化的性風俗雑誌「あまとりあ」、反政府誌「滑稽新聞」といった書物がたくさん並んでいました。今となっては貴重な文献とも言えるのでこちらも必見です。

黄人氏は戦時中にも関わらず、このように皇室に対して不敬と思われる態度があったり、エロや反体制と捉えられるものを好んで収集したりしていたので逮捕されたこともありました。

初代館長の九十九黄人氏はどんな人物?

展示されている品々からも、初代館長の黄人氏が風変わりというのがよく分かりますが、いったいどんな人物だったのでしょうか。展示室の一角に黄人氏の写真も展示されており、弓彦氏が人柄についても教えてくださいます。
黄人氏は元々はシカゴ大学の人類学者であるフレデリック・スタール博士の助手兼通訳として民俗学の研究に携わっていました。その関係で世界中を旅することも多かったといいます。1928年の開館に合わせて館長に就任してからは、1998年に104歳で亡くなるまで館長を勤められていました。

また、黄人氏は本名を九十九豊勝(とよかつ)と言い、黄人というのは自称です。黄人を英語にすると「イエローマン」、サッと読むと「エロマン」となり、自ら「エロ男」と名乗っていたのです。非常にユーモアがあった人物らしく、戦時中の日本では共産主義者が「アカ(共産主義の象徴である赤旗からそのように呼ばれていた)」と呼ばれていたのに対して、逮捕されたときには新聞の取材に「アカやない、わしゃピンクや」と答えたというエピソードもありました。

そんなユーモアが溢れる黄人氏なので、判じ絵なども好んだようです。判じ絵とは絵や文字に隠された意味を当てる謎解きのことです。
最後に黄人氏が実際に出した判じ絵を読み解いてみてください。

一行目の読み方だけヒントを書いておきます。
ヒント1:尾、将棋の歩、田に濁点、葉を食べている人、半分の猪が書かれています。
ヒント2:スタール博士は民俗学の研究のため、日本各地で御札を熱心に集めていたため御札博士と呼ばれていました。

答えはぜひ現地で確認してみてください。

東洋民俗博物館 基本情報

名称: 東洋民俗博物館
住所: 〒631-0032 奈良県奈良市あやめ池北1-5-26(近鉄奈良線 菖蒲池駅から徒歩6分)
営業時間・休日: 不定(事前に電話確認が必要)
電話番号: 0742-51-3618
入館料: 500円

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