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Culture
2020.04.12

下痢をお漏らし!嫌いなヤツには石投げる!平安貴族が結構お下品【落窪物語】

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平安文学って、ちょっと高尚なイメージがありませんか?いえいえ、実はそんなことないんです。今回ご紹介する『落窪物語(おちくぼものがたり)』という『源氏物語』より少し前に書かれた小説には、ちょっぴりお下品な言葉や表現も使われていて、細かい部分まで楽しめるのが特徴。

内容はいじめられた継子が幸せを勝ち取る「シンデレラストーリー仕立て」ですが、継母からのいじめとその復讐劇が壮絶!!シンデレラの継母なんかかわいく見えちゃうほどです。

そんな『落窪物語』の意地悪バトルと面白い表現をどうぞご堪能ください!

『落窪物語』あらすじと登場人物紹介

まずは簡単に、『落窪物語』のストーリーと登場人物を紹介しましょう。

主な登場人物


落窪の姫君
中納言と皇族出身の母との娘。母が亡くなっているため、中納言の北の方を継母として育ち、壮絶な虐待を受ける。名前の由来は、落ち窪んだ粗末な部屋に住まわされているから。

少将
落窪の姫君を助け出す男性。北の方(姫君の継母)に対して、かなり意地悪な仕返しをする。少将自身や妹も帝から寵愛されており、向かう所敵なしでどんどん出世していく。

※少将は出世に伴い呼び名が変わりますが、混乱を避けるため当記事では「少将」で統一しています。

北の方
落窪の姫君の継母。自分の子どもではない姫君が憎く虐待する。子だくさん。

中納言
落窪の姫君の父。実の父親なのに北の方と共謀して姫君をいじめる。

阿漕(あこぎ)
落窪の姫君の忠実な侍女。阿漕の活躍で姫君は幸せになった。

あらすじ

華やかな中納言邸に、落窪の姫君と呼ばれる女性がいた。大変美しく心も優しい姫君だが、落ち窪んだ部屋で継母からの虐待に耐えながらひっそりと暮らしている。

そこへ女好きで有名な少将という男性が通ってくるように。最初は遊びのつもりだった少将だが、徐々に落窪の姫君の素晴らしさに惹かれていく。

ある日、落窪の姫君は北の方(継母)の計らいで物置に閉じ込められ、北の方の知人・典薬助(てんやくのすけ)から強姦されそうになる。少将はなんとか落窪の姫君を救い出し、ただ一人の妻として大切にすることに。そして、少将の壮絶な復讐劇が幕を開けたのだった……。

継母の壮絶な姫いじめを紹介

主人公落窪の姫君は、継母である北の方からどのようないじめや虐待を受けていたのでしょうか。あらゆる意地悪の中でも、特に壮絶なものをピックアップしてご紹介しましょう。

1.ボロボロの服しか与えない&冬でも薄着をさせる

皇族出身の母を持つ落窪の姫君は、本来なら非常に高貴な身分で立派な身なりをしているはずです。しかし北の方は、ボロボロで汚れた衣服しか与えておらず、真冬でも薄着をさせていました。

そんなみすぼらしい姫君の様子を見た父中納言が「他の娘たちの古着を与えなさい」と北の方に言いますが(古着を着せるのも十分ひどい)、北の方は「あの子はワガママだから、何を与えてもすぐに捨ててしまうのですよ」と嘘をつくのです。

一応その後に北の方が自分の防寒着を与えますが、それは使い古したボロボロのもの。侍女よりもみすぼらしい格好をしている落窪の姫君は、どんなにみじめで恥ずかしかったことでしょう。

2.姫の持ち物を横取り

落窪の姫君は、実母から受け継いだ上等な調度品をいくつも持っていました。しかし、どれもこれも北の方が横取りしてしまうのです。貴族なら当たり前に持っている道具もほとんど取り上げられてしまったため、少将との結婚で調度品が必要になった時は、侍女・阿漕に用意してもらう有様でした。

「几帳」という平安貴族のマストアイテムも阿漕に用意してもらった

3.物置に閉じ込める

落窪の姫君は、もともと狭くてみすぼらしい部屋に住まわされていましたが、北の方に言いがかりをつけられて物置に閉じ込められてしまいます。しかしこの事件をきっかけに、少将と結ばれることにもなったのです。

4.食事をもらえず空腹の姫に「胃もたれ」と言い放つ

物置に閉じ込めた落窪の姫君に、北の方は食事を与えませんでした。仕事(縫物)をさせる際には一日一食与えていましたが、姫君は空腹の苦しみで泣き出します。そこへ北の方は一言「胃もたれじゃありません?」と言い放ちました。あまりの性格の悪さに、もう絶句です。

5.年寄りと無理矢理結婚させようとする

落窪の姫君を物置に閉じ込め食事を与えないばかりか、北の方は知り合いの典薬助という年寄りと結婚させようとします。これは結婚というより、強姦です。姫君と侍女の機転で何とか難を逃れますが、どんなに恐ろしい思いをしたことでしょう。

平安時代当時、高貴な人々は「死にたい」と考えたり言ったりすることはほとんどありませんでしたが、姫君は何度も自らの死を望んでいます。

姫の夫の復讐もスゴイ!

北の方から壮絶ないじめを受けていた落窪の姫君は、侍女・阿漕の手引きによって少将と結婚します。少将は物置の扉を壊し、閉じ込められていた姫君を助け出しました。そこから少将は北の方に復讐を始めるのですが、それが北の方に負けず劣らず壮絶なんです。

1.継母の実の娘を、変な男と結婚させる

落窪の姫君と少将が結婚したことを知らない北の方は、少将に実の娘(四の君)との縁談をもちかけます。「これはチャンス!」と思った少将は、面白の駒(おもしろのこま)と呼ばれる見た目も性格もイマイチな男を、コッソリ自分の代わりに結婚させます。

なぜこんな「替え玉」ができたかと言うと、平安時代は夫が妻の家に通う「妻問い婚」で、3日連続深夜に女性のもとを訪れることで結婚が成立したから。つまり、夫の顔がハッキリ見えるのは3日目の朝。3日目に披露宴が行われますが、その場に世間でバカにされている面白の駒が夫として登場したので、北の方ファミリーは絶望しました。

北の方への復讐とはいえ、何の罪もない娘まで犠牲にするとは……。心優しい落窪の姫君は、このことに心を痛めていました。

2.継母一家の婿を横取りする

北の方には他にも娘がいて、三の君という娘は立派な男性(蔵人の少将)と結婚していました。その男性を、少将は自分の妹の夫にしてしまうのです。平安時代は一夫多妻制だったので問題はありませんが、蔵人の少将は三の君に愛想を尽かし、事実上の離婚状態になってしまいました。

3.継母の乗った車を壊す

なんと少将は、北の方の乗った車を壊しています(正確には従者に壊させた)。加茂祭を見学しに来ていた北の方ご一行は、壊れた車から転がり落ちてしまいました。

当時の貴人が乗る車は「牛車」と言って、牛が引いていた

当時は女性が姿を見られるのは大変恥ずかしいことで、なおかつ車から転がり落ちた無様な姿をさらけ出してしまい、北の方や娘たちは大恥をかきます。貴人のみっともない姿を見ようと見物人も集まってしまいもう大変!北の方が大泣きするばかりか大声で騒ぐのでみっともなさが倍増し、娘たちにたしなめられるほどでした。

4.継母の予約していた部屋を占拠する

北の方たちがお寺を訪れていたところに、ちょうど少将も居合わせ、北の方たちが予約していた部屋を自分たちで占拠してしまいます。

長旅で疲れた北の方ご一行は、一刻も早く部屋でゆっくり休みたいのですが、少将ご一行に占拠されているため入れません。お寺にクレームをつけても「占拠している人たちは偉い人だから無理」と言われてしまいます。仕方なく北の方ご一行は車中泊することに。

この時の少将や従者たちのやりとりが面白いので、ご紹介しましょう。

【北の方VS少将バトル】

◆ノロノロ歩く北の方ご一行の車(牛車)に対して
少将:「牛弱くは、面白の駒にかけたまへ」
【訳】少将:「牛が弱いなら、面白の駒(北の方の娘の夫)に引かせろよ!」
⇒少将本人が言った言葉。そんな悪口を言う姿さえ魅力的だと本文では描写されている。

◆北の方の乗った車に対して
この御供の雑色どもは、「中納言殿にも、おづる人ぞあらむ」とて、手礫を雨の降るやうに車に投げかけて
【訳】少将のお供の人々は、「こっちの主人(少将)は、中納言(北の方の夫)でもびっくりしちゃうようなスゴイ人だぞ!」と言って、小石を雨の降るように投げつける。
⇒石を雨のように投げつけるとは……。貴族の従者でさえ、平安時代ではこんな野蛮な嫌がらせをしていたことがわかる。

◆部屋を横取りされた北の方の従者に対して
少将の従者たち:「たしかに案内させてこそ、おりさせたまはましか」「いといとほしきわざかな。」
【訳】「ちゃんと案内させてから降りろよ!」「こんなことになって随分お気の毒ですね」
⇒自分たちが仕組んだことに「お気の毒」とは、皮肉がきいているにも程がある。

◆北の方の気が強いことがわかるシーン
少将:「凝りぬや」
北の方:「まだし」

【訳】少将:「(少将のした復讐に対して)どうだ懲りただろう?」
北の方:「まだまだ!」
⇒直接顔を合わせているわけではないが、このようなやり取りが二人の間で行われた。

お下品で笑える『落窪物語』の表現

『源氏物語』や『枕草子』などの有名な平安文学では、お下品な言葉はもちろん、生活感のある表現もほとんど見られません。そんな現実離れした優美な世界観が平安文学の魅力のひとつですが、『落窪物語』にはより親しみやすい表現が多用されています。

中でも平安文学が身近に感じられるような、面白い記述をピックアップしてご紹介します!

下痢を漏らして死ぬほど笑われる

典薬助が落窪の姫君の閉じ込められている物置を訪ねた時、寒さで体が冷えて下痢を漏らしてしまいます。そんなことが書かれること自体驚きですが、「ひちひち(下痢が漏れる音)と聞こゆる」「尻をかかへて惑ひ出づる心地」など、かなりリアルにお漏らしした様子が描かれます。そして、下痢を漏らした典薬助は汚れた着物を洗って疲れて寝てしまいました。

現代ならこんな感じでしょうか

さらに典薬助は、ことの顛末を北の方とその侍女たちにいっさいがっさい話してしまいます。すると彼女たちは「死にかへり笑ふ」「いとど人笑ひ死ぬべし」など、死にそうなほど笑ったことが書かれています。「死ぬほど笑った」という表現が平安時代からあったことも面白いですね。

ハゲの描写がリアル

いじられキャラの典薬助に再びご登場いただきましょう。典薬助は少将の従者とケンカになり、烏帽子(成人男性が頭に被る帽子)が取られてしまいます。当時人前で烏帽子を取って頭髪を露わにすることは、ものすごく恥ずかしく不名誉なことでした。

烏帽子が取られた典薬助の頭は「髻(もとどり)は塵ばかりにて、額ははげ入りて、つやつやと見ゆれば」と表現されています。訳は「塵ほどの髪の毛しかなく、額はハゲていてつやつやしている」といった感じ。それを見た人々は、体をゆすって笑いました。

さらに従者たちはそんな典薬助を「一足づつ蹴る」とあります。随分平安時代の人々は乱暴だったのですね。

平安文学は高尚なものばかりじゃない!

「春はあけぼの」と始まる雅やかな『枕草子』や、多くの文豪が現代語訳にチャレンジしてきた『源氏物語』など、平安文学はどうしてもとっつきにくいイメージがあります。

しかし『落窪物語』のように、ちょっと下世話な話が盛り込まれた物語もあるのです。さらに『落窪物語』には、同じ語尾の連続など稚拙な表現も見られ、紫式部や清少納言と比べるとちょっと文章レベルが劣っていることもわかります。ちなみに、『落窪物語』を誰が書いたかはわかっていません。

当たり前ですが、平安時代の人全員が素晴らしい文章を書けたわけではなかったのです。『落窪物語』のような、親しみやすい物語にもぜひ触れてみてください。きっと平安時代がより身近に感じられることでしょう。

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。