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Culture
2020.04.21

日本人女性初のアメリカ移民「おけい」。17歳の少女の希望と悲劇とは

この記事を書いた人

幕末から明治維新にかけて数々の悲劇を生んだ会津藩。
日本最強の武士団として戦った会津藩をめぐる物語はどこか同情を誘うところがあって、私のような「ど」がつくほどの歴史オンチ(海外生活が長いせいだと言い訳したい……)でもNHKの大河ドラマ「八重の桜」が人気を博すより前から、何度も耳にしてきたほど。歴史好きのなかでも特にファンが多いのも頷けます。

今回紹介する「おけい」もまた、若松にゆかりのある人物です。
山本八重より7つ年下の彼女は、日本女性初のアメリカ移民として1869(明治2)年に日本を後にし、故郷の土を踏むことなく19歳の若さでこの世を去りました。
同じ時代を生きながらも、全く別の生涯を送った二人の女性。
今回はおけいの知られざる一生を紹介します。

遥か異国でおけいは何を夢見たか?

事の起こりは1915(大正4)年の夏にカリフォニアに住む記者、竹田文治郎がゴールド・ヒルに日本人少女の墓を見つけたことに始まります。
小高い丘のうえ、一つだけポツンと建つ訪れる人もいない墓には〈OKEI〉の文字が刻まれていました。竹田記者が農場主に訊き、それが異国の地で亡くなった日本人移民団の少女、おけいだと分かったそうです。

アメリカへ旅立つ17歳の少女


1868(明治1)年、会津藩が薩摩藩・土佐藩を中心とする明治新政府軍に攻め入られ鶴ヶ城が陥落。翌年、会津の行く末に見切りをつけた藩の一団は新天地カリフォルニアに渡ることを決意します。

海外移民をすすめたのは、以前から会津藩に関係のあったドイツ人貿易商エドワルド・スネル。スネルは日本女性と結婚し、子どもをもうけ材木町の屋敷に住んでいました。その近くに住んでいたのが大工(桶屋とも)の長女「おけい」です。実は、おけいの出身地や家柄はあまりはっきりと分かっていません。
17歳のおけいはスネル家の子守として、スネル率いる移民団と共に米国船チャイナ号に乗りこみます。横浜港からアメリカまで、20日間の船旅です。

異国の地での苦難な日々


5月20日。一行はカルフォルニアに到着します。そこから蒸気船でサクラメントを経て、インディアンの襲撃にビクビクしながら、荷馬車で険しい山河を超える旅を3日続け、ようやくゴールド・ヒル(黄金の丘)と呼ばれる原野に落ち着きます。

ゴールド・ヒルは、会津藩に仕えていたヘンリー・シュネルという人物が購入した土地。
「若松茶と絹の農場(Wakamatsu Tea&Silk Farm Colony)」として、ここではお茶などの栽培が計画されました。通称「若松コロニー」とも呼ばれます。長いあいだほとんど知られることのなかったこの一団に、おけいもいたのです。

さて、人々はさっそく荒れた大地の開拓にかかります。
日本から持ってきたお茶や桑の木、竹の苗木を植えます。おけいも子守のかたわら男たちにまじって鍬を打ちおろしました。しかし人々の懸命な努力もむなしく、苗木は育たない。計画はいっこうに進まない。日本では育つ植物が、この土地ではいっこうに芽を出さなかったのです。

裏切りによりたった2年で崩壊

若松コロニーの計画が挫けた理由は、農作物の条件が崩れたことだけではありません。資金調達のためにドイツに出発していったスネルが目的を果たさず、ついにはゴールド・ヒルに戻ってこなかったこともコロニーにとって致命的になりました。しばらくはスネルの言葉を信じて帰りを待っていた藩士たちですが、一人、また一人とコロニーを去っていきます。

最終的には、おけいと元藩士の2人だけがスネルの帰りを待ち続けることに。しかしそれも長くは続きません。資金が枯渇し、若松コロニーは2年ほどで崩壊してしまいます。

行き場を失ったおけいのその後


仲間が去り、コロニーも消失。その様子を悲しげに眺めていることしかできなかったおけいは、異郷の地に一人きり。知り合いもいないし、行くあてもありません。そこに手を差し伸べたのが、大地主のビーア・カンプ。移民団が居住した一帯の地主です。不安でたまらなかったおけいにとって、彼は救いの神であったに違いありません。

利発で誠実なおけいはカンプ夫婦に気に入られ、家族のような扱いを受けたといいます。とくに夫人はおけいを我が子のように可愛がり、料理や手芸、裁縫など生活のさまざまを教えこみました。

幸せな未来が開かれる、かのように思えたが……


異国の地で心優しい夫婦に迎え入れてもらえたおけい。幸せな生活を送る一方で、故郷の会津を懐かしんだ日もあったかもしれません。実際、おけいは二度と故郷の土を踏むことはかないませんでした。
アメリカに来てから2年後、19歳をむかえたその年おけいは熱病にかかり、カンプ夫妻の看病もむなしく、この世を去ります。

名もなき少女おけいさん

The Mystery of Wakamatsu (English Edition) Kindle版 Evelene Meyer (著)

おけいの死から10数年後、移民の生き残りのたちによっておけいの墓碑が建てられました。そして、コロニー消失から40年あまりが過ぎた1915(大正4)年、丘の上にひっそりとたたずむおけいの墓は発見されます。

記録にある中では、おけいはアメリカ本土に移住した最初の日本人女性の一人でした。海外ではおけいに関する書籍も数多く出版されています。ドラマの主役にならなくても、辛苦を耐え、未来を切り開こうとした彼女は今なお世界中で「おけいさん」として親しまれているのです。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。