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Culture
2020.05.04

全世界で5000万人が死亡。20世紀最悪のパンデミック「スペイン風邪」と日本はどう戦ったか?

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スーパーで買い物する人を見渡せば、みんなマスクをしてる。すっかり見慣れた光景だけど、半年前に誰が想像できただろう? 新型コロナウイルスの影響で、マスクの需要は爆発的に高まっている。そもそも日本のマスクは、粉塵除けとして明治初期に開発されたものだった。それがあるときを境に、予防品として注目を集めるようになる。人類史上初のインフルエンザの大流行、通称「スペイン風邪」だ。

日本の人口の約40%が感染

1918年に流行し、世界中で約5000万〜1億人が死亡したとされるスペイン風邪。第一次世界大戦(1914〜18年)の死者・負傷者・行方不明者の合計が、約4000万人であることから、治療法のわからないインフルエンザウイルスは、人間にとって戦争よりも恐ろしい敵だったことがわかる。スペイン風邪は、人口増加と交通手段の進歩により、瞬く間に世界中に広がった。わずか数カ月のうちに当時の世界人口の1/3にあたる約5億人が発病し、インドでは全人口の5%、タヒチ島では14%が命を落とした。日本では人口の約40%が感染し、全人口の0.8%にあたる約45万人が死亡したとされている。

防止策は現代とほぼ同じ

日本で最初にスペイン風邪が確認されたのは、1918年。台湾に巡業した力士団のうち、3人が肺炎等によって死亡した。1918年5月には、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生。横須賀市内から横浜市へと感染が広がっている。そこからさらに各地へと感染は広がり、とりわけ人口の多かった京都・大阪・神戸の近畿三都の死亡率は、東京のそれを超えた。全国が悲惨な状況に見舞われ、ついには医療現場からも感染者が発生し、医療崩壊寸前まで追い込まれる。日本は、このパンデミックにどう立ち向かったのか? 当時の内務省衛生局が一般向けに公表した文書では、次のように書かれている。

【スペイン風邪はどうして伝染するか?】
スペイン風邪は人から人へと伝染する病気である。引いた人が咳やくしゃみをすると眼にも見えないほど細かな泡沫が3,4尺(約1m)周囲に吹き飛ばされ、それを吸い込むとこの病にかかる。

【スペイン風邪にかからないためには?】
1.病人または病人らしい者、咳をする者に近寄らない
2.たくさん人の集まるところに立ち入らない
3.人の集まっている場所(電車など)では必ず呼吸保護器をつける。ない場合は、鼻や口を手ぬぐいなどで軽く覆いなさい

この3つの予防策は、新型コロナウイルスに対するそれとほぼ同様である。当時も現代と同じくマスクの需要が急激に高まり、その価格も高騰。生産が追いつかない事態となった。

2年にわたる流行

スペイン風邪の致死率は2%程度で、当時の他の疫病に比べると低かったために当初は軽視されていた。収束したかと思いきや、2度の波があったことも政府の予期せぬ事態だった。スペイン風邪の1度目の流行は、1918年の夏から秋。2度目の流行は1919年の秋から冬。いずれの時も大規模流行の期間はピークの前後4週程度で、この「前後4週間」いう流行期間は、通常のインフルエンザ流行の場合と同じある。どちらも同じ型のインフルエンザウイルスが原因だが、現在の研究では「後流行」の方が致死率が高く、この2度の流行の間にウイルスに変異が生じた可能性もあるといわれている。

どのようにして事態は収束したか?

猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると鎮静化した。それは徹底した予防策の実行だけが理由ではない。ウイルスが日本中に拡大し、多くの人がスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したため収束したのだ。スペイン風邪の病原体の正体が明らかとなるのは1997年。アメリカ・アラスカ州の凍土から発掘された遺体から検体が採取され、ウイルスゲノムが解析されたのだ。それによるとスペイン風邪は、鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、人間に感染する形に変化するようになったものと考えられている。つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症であり、スペイン風邪に対する免疫を持った人が存在しなかったことが、大流行の原因だったと考えられている。

スペイン風邪のその後と私たちのこれから

疫病による被害は、直接的なものだけではない。スペイン風邪の収束後、世界的に経済は冷え込んだ。日本も2度目の感染ピーク後から株価は暴落。第1次世界大戦後の不況は長引き、10年間のデフレ、そして昭和恐慌へと繋がっていく。一方で1920年代は大衆文化と生活に新たな潮流が生まれた。百貨店や映画館がエンターテインメントとして定着し、メディアや通信が発展したことでタイピストや電話交換手など新たな職種が人気を集める。新型コロナウイルスの影響で、社会も私たちの暮らしも大きく変化していくことは間違いない。コロナ後の変化した世界でどうやって生きていくか。近い未来を想像する一助として、過去の疫病との戦いに目を向けてみてはいかがだろう。

参考:
■ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房新社)
■日本におけるスペインかぜの精密分析(東京都健康安全研究センター)http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2005/

書いた人

我の名は、ミステリアス鳩仮面である。1988年4月生まれ、埼玉出身。叔父は鳩界で一世を風靡したピジョン・ザ・グレート。憧れの存在はイトーヨーカドーの鳩。