Culture
2020.05.07

激怒する妻に「何だよ突然」いや、気付こうよ!夫・髭黒大将の鈍感力【源氏物語】

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喫茶店でカップルが静かに別れ話をしている。そこで突然「サイテー!!地獄に落ちろ!!」 そう言って女がグラスの水を男に浴びせかける。呆然とする男を置いて、女は颯爽と喫茶店から立ち去る……。そんな定番の一幕を、ドラマや漫画でよく見かけるのではないだろうか。

男からしたら「何だよ突然!?」と思うかもしれない。しかし全くもって”突然”じゃないのだ。この「グラスの水かけ」によく似たシーンが『源氏物語』にも描かれている。そこには妻の我慢強さ、そして夫の鈍感さがよく表現されている(もちろん現実では逆もあるだろう)。

源氏物語の女君(おんなぎみ)の力を借りながら「突然怒りだしてどうしたんだよ」と戸惑っている人々へ熱いメッセージを贈りたい。

平安時代は一夫多妻制

平安時代は一夫多妻制だった。特に身分の高い男性が複数の女性と結婚することは当たり前で、むしろしない方がおかしかった。

しだからといって女性の心は今も昔も変わらない。平安時代の女性たちは、夫が別の女の元へ通うことに心を痛め苦しんでいた。

真面目で不器用な男代表「髭黒大将」

『源氏物語』には、髭黒大将(ひげくろのたいしょう)という男が登場する。華やかで色好み、経験の豊富さから女性の扱いにも手慣れた光源氏と違い、髭黒大将は無骨な男性として描かれている。そういう人に限って突拍子もない行動に出たりするもの。髭黒大将も、いい年になってから若い女(光源氏の養女・玉鬘/たまかずら)に恋をしてしまう。そして無理やり結婚してしまうのだ。

これにショックを受けたのは髭黒大将の北の方(正妻のこと)。長年連れ添ってきたのに、この年になって裏切られるとは……。彼女の失意は計り知れない。
※もちろん髭黒大将にも愛人はいたが、彼女たちは北の方と同等の身分ではなかったので、ほとんどノーカウント扱い。

「物の怪」に憑りつかれる北の方

平安時代では、心身のバランスを崩すことを「物の怪(もののけ)に憑(と)りつかれた」と表現する。これは、今で言うところの自律神経失調症やうつ病、パニック障害など、精神的ストレスに由来する病のことを指しているのだろう。

髭黒大将の北の方には長年「物の怪がついていた」のだが、夫が新しい若い妻を迎えたことでますます病みやつれてしまう。もともと美しくおしとやかな女性だったが、時々発作を起こすこともあった。北の方の発作とは、錯乱状態になったり奇声を上げたりすることだ。

さすがに髭黒大将も北の方を不憫に思うが、今は若くて美しい新妻をゲットしたことで気もそぞろ。しかも、新妻を自邸に迎えるために、北の方も住む家を騒々しく改装する始末。

想像してみてほしい。彼氏や夫が「新しい彼女できたから、隣の部屋オシャレにリノベーションするね!あの子どんな部屋が好みかなぁ?カーテンはピンク?赤?悩む~~!!」とか言い出して工事を始めたら……。

新妻の元へ向かう夫に灰を浴びせかける!

ますます心の病を悪化させていく北の方は、新妻のもとへ向かう夫を甲斐甲斐しく世話をしていた。

そして事件がおきた。北の方が、髭黒大将の衣服に香(こう/香水のように香りづけするもの)をたきしめていた時のこと。目いっぱいオシャレして出かける髭黒大将を目前に発作を起こし、近くにあった灰を浴びせかけたのだ。髭黒大将はこれに恐れおののき、ついに北の方に寄り付かなくなってしまった。

北の方が灰を浴びせかけるシーンを描いたもの
『真木柱 三十一』 著者:豊国 国立国会図書館デジタルコレクションより

この事件に関して髭黒大将の思いはこうだ。

灰を浴びたシーン
原文:にはかに起き上がりて大きなる籠の下なりつる火取りを取り寄せて、殿の後ろに寄りて、さと沃かけたまふほど、人のややみあふるほどもなうあさましきに、 あきれてものしたまふ。
訳:北の方は急に起き上がって、大きな籠の下にあった火取りの灰を取り、髭黒大将の背後から浴びせかけた。召使たちが止める暇もないほど一瞬の出来事で、突然のことに髭黒大将はただ呆然としている。

灰を浴びた後の心理描写
原文:疎ましうなりて、 あはれと思ひつる心も残らねど
訳:北の方が疎ましくなって、愛しいと思う気持ちもすっかりなくなった。

相手の神経を逆撫ですることばかりやっておいて、いざ自分が反撃されたら「何?突然?」と呆然とする。それまでどれだけ相手が我慢していたかも知らずに……。

世の中にはこんなことわざがある。

「仏の顔も三度まで」

これは、温厚な人でも無礼を繰り返していれば怒り出す、という意味だ。

離婚、そしてそれぞれ新たな道へ

怒ったのは北の方の両親だ。「いい年して新しい妻にうつつを抜かすばかりか、大事な娘に全く配慮をしないとは何事か!」 両親は子どもたちとともに北の方を実家に呼び戻した。これは髭黒大将に事実上の離婚を突き付けるための強硬手段だった。

その後髭黒大将は北の方の説得と子どもへの面会を求めて実家へ赴くが、息子2人は返してもらえたものの、娘には会わせてもらえなかった。

父に会えなくなると予感した娘が紙に歌をしたため、自邸の柱の割れ目に差し込むシーン
『源氏五十四帖 卅〔一〕 真木柱』著者:月耕 国立国会図書館デジタルコレクションより

そんな憂き目にあいつつも、新しい妻と一緒にいると「やっぱり幸せ」としみじみする髭黒大将。そして、なんだかんだその後はどんどん出世もして幸せになるのだ。何だか悔しい結末だが、鈍感な人の方がかえって幸せになれる、というのもまた事実である。(ただし髭黒は割と若いうちに亡くなった。)

先ほど仏の顔も三度まで、ということわざをご紹介したが、こんなことわざもある。

「知らぬが仏」

「知らない方が幸せだ」という意味もあれば「事情を知らず平然としている人をあざける様子」という意味も持つそう。仏様から学ぶことは多い。

▼源氏物語のあらすじはこちら!
源氏物語あらすじ全まとめ。現代語訳や原文を読む前におさらい
※今回のシーンが描かれるのは『真木柱』の巻です。

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。