新型コロナにどう向き合うか、患者安全の第一人者に、患者目線で聞いてみた

新型コロナにどう向き合うか、患者安全の第一人者に、患者目線で聞いてみた

一斉休校に営業自粛、移動制限にテレワーク。この春以降、私たちの生活は新型コロナウイルスで大きく変わった。終わりは見えず健康への不安が募る中で、信憑性が定かでない情報があふれる。検査や治療にあたる医療従事者は薄氷を踏むような思いでこうした状況を一生懸命コントロールしている。

名古屋大学医学部附属病院副病院長、第2代医療の質・安全学会理事長の長尾能雅(よしまさ)教授は「逃げない 隠さない ごまかさない」を理念とする同院の患者安全推進部を率いながら、わが国の医療安全という分野を切り開いてきたトップリーダーである。NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に取り上げられたことからご存知の方も多いだろう。

長尾教授はこの事態をどのようにみているのか。患者目線の質問に対し「あくまで患者安全の専門家」という前提でお答えいただいた。

現代ならではの衝撃、新型コロナウイルス

――およそ100年前に世界中で猛威をふるった「スペイン風邪」では、日本での感染者数は2,300万人を超え、約38万人もの人が亡くなったと言われています。世界規模という点では同じですが、今回の新型コロナウイルスとは何が違うのでしょうか。

長尾:私は感染の専門家ではありませんので、あくまでも、患者安全を専門とする医師、病院のリスクマネジメント担当責任者として回答させていただきます。

当時と現在の違いは、まずは社会環境だと思います。グローバル化が進み、100年前よりも人の往来や物流が圧倒的に活発になりました。ダイヤモンド・プリンセス号のような多国籍の人々を大勢乗せた豪華客船が、何隻も同時に世界の海を往来していて、ある日クラスターとなって日本の港にやって来るなど、あまり予想していなかったことであり、現代ならではの衝撃と感じました。

また、メディアやインターネットにより、世界中の情報が、正しいものから怪しいものまで、大量に短時間で手に入る。良くも悪くも、そうしたソーシャルネットワークが発達した中で発生したのが、今回の新型コロナウイルスと言えるでしょう。まさに、ウイルスの広がりが勝るか、正しい情報の広がりが勝るか、世界中の人がその競争の当事者であり観客でもある、独特の緊張を強いられる戦いが展開されていると感じます。

さらに、日本に限っていえば、100年前と異なる大きな違いがありました。それは「世界中の国の中で唯一、同じ年にオリンピック・パラリンピックを控えていた」ということです。この国家の一大プロジェクトから逆算して整合性の取れる対応をせざるを得ず、これは国としての意思決定に大きなハンディとなったはずです。

私たちは、何を信じればいいのか

――さまざまな情報が毎日多くのメディアから発信されています。ワイドショーなどでは権威とされる人たちが登場して解説しているものの、それぞれ微妙に考え方が違います。このような状況下で何を信じたらよいのでしょう。

長尾:今、日本も世界も、これまであまり直面したことのない状況に接しています。多くの人が手探りで最新情報を手繰り寄せ、自らの見解を述べているのだと思います。耳を傾けるべきだと私が思う第一の条件は、そのコメントが感染の実務家から発せられたものであるかどうかです。

――先生が師事された京都大学の一山智先生(現・滋賀県立総合病院総長)は感染制御の第一人者でしたね。

長尾:歴史的に見ると、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)や院内感染が取りざたされ始めた1990年代に「感染制御学」という分野が花開きました。これは、それまでの「感染症学」や「微生物学」とはやや異なる学問です。医学の発展により感染症は克服される、と信じられた時代がありました。しかし、皮肉にも、医療の発達や社会のグローバル化により、厄介な耐性菌や人畜共通感染ウイルスが生まれました。

特に、免疫の弱った患者の集まる病院内で、医療従事者を介して耐性菌がはびこる問題は社会問題となりました。それらをコントロールする学問が求められるようになり、感染制御学の専門家が生まれたのです。私の専門とする「患者安全」が注目される、10年前のことですね。ですから、「感染」は「安全」の兄、と言われることがあります。

そして、医師はもちろん、看護師や薬剤師、検査技師など、多くの医療者が正しい知識の下に、院内の感染対策をしなければならないという流れになり、多職種チームで取り組む体制が急ピッチで整備されました。それをICT(Infection Control Team)と言います。一山先生は、このような活動のパイオニアですし、類似した手法で患者安全も主導されました。

ちなみに、医師にはICD(Infection Control Doctor)、ナースにはICN(Infection Control Nurse)という資格があるんです。学会もあり、学術的、かつ実務的な研鑽をしている人でなければ、その資格を維持できない仕組みになっています。このICTでリーダーシップを発揮し、日常業務で成果を上げている人の意見はとても重要です。

――確かにコメンテーターには感染の専門家が多いですね。

長尾:次に、疫学や数理統計の専門家の発言にも注目しています。医療者の中には数学やシミュレーション技術などを駆使し、病気の広がりや社会的損失などをはじき出して予測する専門家がいます。日本にもこのような専門家がいることは世間ではあまり知られていないかもしれませんが、とても貴重な仕事です。

もちろん全てを数字で解釈しようとすることには危険性も伴いますが、大きな動向を捉えて最悪の状況を回避する、という点で、大切な役割を果たしていると思います。

もう一つは、日本以外の国で、感染制御対策に従事したことのある方の意見も参考になります。たとえば、CDC(米国疾病予防センター)や、WHO(世界保健機関)などでの実務経験のある方です。

このような方々は、感染症の本当の恐ろしさをご存知であると同時に、対策の限界や、いざという時の人心のもろさ(パニックなど)、社会や政治の危うさもよくご存知です。特に、環境が整っていない地域で感染対策などに従事し、活躍してきた方々の意見は実践的ですから、非常に貴重だと思います。

――つまり、現場目線のあるICTのリーダー、疫学や数理統計の専門家、国境を跨いで感染制御に奔走してきた人たちの意見は耳を傾けるに値するということですね。

長尾:はい、実践と理論のバランスが大事と感じます。さらに、重症肺炎や呼吸不全の患者を日常的に診療していて、臨床業務に精通している集中治療医や、呼吸器専門医のコメントは役に立ちます。

患者安全でもそうですが、結果を知った上で、後から「ああすべきだった、こうすべきだった」と批判することは誰にでもできるのです。そうではなく、現在進行しつつある危機に対し、様々な情報の中から、冷静に、被害を最小とするための方略を考え出し、批判を覚悟で提示する。しかもそれらは、日本の医療現場の実情や、群集心理などを踏まえた上での、現実的なアイディアでなくてはなりません。

そして、今回のような過去に経験のない局面においては、一回目のトライアルとその結果に真摯に学び、二回目以降に備えて、改善を加えていくという作業が不可欠ですし、その過程の透明性と、説明責任が求められます。とても勇気のいることだし、骨の折れることと思いますが、そういう姿勢や覚悟を持っているかどうかは、その方の発言を聞けば、わかります。日々、患者安全に取り組んでいる者としては、その辺りを意識して話を聞いています。

防護具の切れ目が医療の切れ目

――医療従事者にとって今、何がどう大変なのでしょう。

長尾:リスクマネジメント担当副病院長として懸念しているのは、マスクやフェイスシールド、袖付きエプロンやシューズカバーといった防護具の恒常的な確保に不安があるということです。特に、ウイルスを含んだ飛沫の侵入を防ぐことができるN95マスクが足りない。どうしてそんなものが足りないんだ、と思われるかもしれませんが、残念ながらそれが日本の現実です。

特に滅菌資材の多くは中国で生産されていますが、輸出が統制下にあるのか、世界中で不足が深刻です。日本では、滅菌された質の高い防護具を安価に製造する体制が脆弱です。これはコロナと共存する上で大きな課題です。

――節約しながら使っている医療機関が多いようですね。

長尾:本来防護具は、言葉を選ばずに言えば、湯水のように使うことができて初めて安心して患者に接することができる。しかし、いつかこれらが枯渇するかもしれない、との情報があれば、どうしても節約を意識するようになります。再滅菌してリユースしたり、期限切れのものを使ったり…。本当に防護具としての効果が継続しているのかわからない状態で使わざるを得なくなる。医療従事者にとってはかなりのストレスとなりますし、患者にとっても脅威となります。

ゴミ袋を被って治療に当たっている医療現場の映像も流れていますね。新型コロナウイルスとの闘いが長期戦になった場合には「防護具の切れ目が医療の切れ目」だと強く感じます。これらは大切な鎧(よろい)であり、甲(かぶと)なのです。

また「防護具着脱のストレス」にも直面しています。1月下旬から感染者への対応が始まり、これで3カ月以上経つわけですが、それがボディーブローのように効いてきています。

――防護具の脱ぎ着って、そんなに大変なんですか。

長尾:例えば、感染の疑いのあるAさんと、Bさんがいたとします。2人の患者対応をする場合、その都度、防護具を着替えなければなりません。Aさんの治療・看護をし終わったらすべての防護具を外して捨て、手を洗って着替え、Bさんの治療・看護を行う。しかしその間にまたアラームが鳴り、Aさんの状況を診に行かなければならなくなると、再びすべて脱ぎ着しなければなりません。

つまり、どちらかは感染していて、どちらかは感染していない可能性がある場合、医療者を介してウイルスが伝染してしまうかもしれないので、患者さんに触れる度に、着替えをするよりないのです。

――ものすごい緊張感をもって1日に何度も防護具の脱ぎ着をするってことですね。

長尾:その通りです。防護具の着脱を繰り返さなければならないという肉体的ストレスと、万が一感染したら、自分と接触した職員が最低でも14日間、一斉に休まなくてはならない、という心理的プレッシャーがあります。濃厚接触者の数は、10人、20人、場合によってはそれ以上、となり得ます。

――そのプレッシャーが1カ月、2カ月と日を追うごとに想像以上に深刻になっているということですね。

長尾:家に帰れば、心身ともにぐったりだと思います。もし自分が戦力から外れてしまったら…、院内感染の媒介になってしまったら…、と思うと、不安になるでしょうし、もちろん、病院以外で家族や友人に移しはしないか、という不安もあるでしょう。病院は、国は、どこまで真剣に防護具を調達してくれるのだろう、戦うための準備をしてくれるのだろう…、と。

――医療従事者のストレスを取り除くための対策はとられていますか。

長尾:やらなければならないことが山積みなのですが、多くの医療機関が取り組んでいるのはメンタルカウンセリングですね。また、危険手当を用意している医療機関もあります。当院では、いずれも実施していますし、幹部が手分けして、防護具の確保に当たっています。また、担当スタッフの増員や、適切な防護具着脱教育、2チーム制の模索なども大切です。

「医療崩壊」めぐる3つのベクトル

――「医療崩壊」という言葉が盛んに言われていますが。

長尾:今回使われている「医療崩壊」という言葉には、3つほどの意味合いがあると思うんです。

1つ目は、コロナやその疑いのある患者さんが多数押し寄せることによって、診療規模を縮小し、もともと行ってきた平時の医療(がん治療や、手術など)を制限せざるを得ない状況になることです。がんなどは時間とともに進行するわけですから、治療が遅れ、根治のチャンスを逃してしまう患者さんが現れる可能性があります。

――手術を8割減らすなどして医療規模を縮小せざるを得ない方向に進み、本来の医療ができなくなるということですね。

長尾:その通りです。そして2つ目は、医療従事者が感染してしまうことです。患者から直接感染する場合もあるし、町で拾うこともあります。すると、院内に濃厚接触者が生まれる。先ほど申し上げたように、濃厚接触者は最低2週間休まなければなりませんから、10人や20人といった規模でスタッフに穴があく。医療を提供したくても、その担い手が一時的に減るので、診療を制限せざるを得なくなる。

3つ目は、人工呼吸器を装着したような重症患者さんが集中治療室から溢れ、適切な医療を受けられないまま、バタバタとお亡くなりになっていくような状態です。医療者も、右往左往し、災害時や野戦病院のような様相を呈する。患者さんを廊下で寝かせているような海外の映像が流れましたね。また、患者さんや医療者、その家族らも次々に亡くなるようなイメージで、こうなれば悪夢です。

「医療崩壊」というと、病院が音を立てて崩れていくようなショッキングな響きがあり、3つ目のような状況をイメージされるかもしれません。しかし、これはあくまで最悪のことであって、今用いられているのは、主に1つ目や、2つ目を意識してのことだと思います。つまり、「平時の医療が維持できなくなる」といった意味合いが大きいと思います。

いずれにしても、これらによって不利益を被るのは、患者さんであり、高齢者などの弱者、市民ということになります。だからこそ多くの自治体は、住民に活動の自粛を求め、患者の大量発生を抑えて、平時の医療を維持しながら、新型コロナウイルスとの長期戦に臨むという選択をしているのだと思います。

よく「医療崩壊を防ぐために、家にいて」といった表現を見かけますが、単純に「医療者の健康を守るために我慢して」、「最前線で危険に身を晒している医療者を応援して」ということではないので、そこは正しく理解して使われるといいな、と思っています。

私たちにできること

――命を守ってくれる医療を十分に機能させ、医療従事者の皆さんを守るために私たちができることはなんでしょう。

長尾:これから少しずつ、自粛が解除されていくと思います。しかし、医療現場は、ここからが正念場だと思っています。第二波に備える必要があるからです。

それは2週間後かもしれませんし、半年後かもしれません。どうであれ、医療現場が社会の期待に添えるよう、最大の努力することはもちろんですが、ぜひ、国民一人ひとりがよく考え、命知らずの行動をしないように努めていただければと願います。

また、繰り返しになりますが、「防護具の切れ目は医療の切れ目」です。可能であれば小さなことでも結構ですので、ぜひご支援をいただけましたら幸いです。

今、国民と医療の信頼関係が問われている大事な局面だと感じます。しかし、私の立場では、果たして医療は信頼されているのだろうか、ということを考えないわけにはいきません。日々の診療や患者さんへの説明、医療の質を上げる活動や医療事故が起きた時の対応などを通じて、医療現場はどの程度、国民から信頼されてきたのだろうか、ということです。

このような非常時に、急に「医療者の声に耳を傾けて欲しい」、「耐えて欲しい」と言われても、普段から医療に信頼がなければ半信半疑になるでしょうし、逆に強い信頼があれば、一気に団結できるでしょう。このような信頼関係は一朝一夕にできるものではありません。患者さんに対する真摯さ、誠実さ、実直な医療事故防止の取り組みなど、日頃の医療人の姿勢や態度が問われているのだと、今、改めて感じています。

私たちの文化を武器に

――今までに味わったことのない不安やモヤモヤを感じている方が多いと思うのですが。

長尾:患者安全では、心配事や不安、そして患者さんの安全に関わることを、チームメンバーにあえて口に出して伝えることがとても大切とされています。そして、その不安を聞いたメンバーは、必ず手を止め、その発言に耳を傾ける、という訓練します(チームスキルトレーニング)。

仮に発言が無視されたら、あえて2回目にチャレンジする(Two Challenge Rule)、という訓練もします。角が立たないよう、お互いを尊重しながら進めるのが肝要です。チームの中に感情的な亀裂が入ってしまっては、異常が伝えにくくなるからです。命に関わる現場ですので、チーム内で一つずつ、不安を解消しながら仕事を進め、患者さんを事故から守っていく、という発想が求められます。

ダイヤモンド・プリンセス号から始まり、自粛だ、解除だ、PCRだ、抗体だ、第二波だ、第三波だ……、と今後も様々な議論が行われると思います。対立や諍いも生まれるでしょう。しかし、誰もが経験したことのない状況です。どこかの国に、正解があるわけではありません。

落ち着いた口調で心配を口にし、各々のリーダーはそれに耳を傾ける。そして、まずはみんなで同じように行動し、その結果どうなるかを、社会というチーム全体で冷静に見極めながら進めることが大事だと思います。リスクマネジメントに携わる者として、日々、感じていることです。

人間は賢い生き物です。新型コロナウイルスの本質がわかってくれば、私たちが次にとるべき行動が必ず見えてきます。世界の動きを注視しながら、日本に暮らす私たちらしく、できることから一つずつ助け合って、私たちの文化を武器にこの難局と戦っていくよりありません。私たちにはそれができると思います。

名古屋大学医学部附属病院

公式サイト:https://www.med.nagoya-u.ac.jp/hospital/

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