Culture
2019.09.23

世界遺産・仁徳天皇陵古墳とは?3分で解説!誰のお墓?大きさは?

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世界遺産の登録で注目を集めている「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」。古墳のある場所や古墳の大きさ、被葬者とされる仁徳天皇について詳しく解説します。

仁徳天皇陵とは?誰のお墓?

仁徳天皇陵は、大阪府堺市堺区大仙町にある古墳です。「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」や「大山古墳(だいせんこふん)」とも呼ばれています。円筒埴輪などの出土品の特徴から、5世紀前半〜中期に約20年をかけて築造されたものと考えられています。

宮内庁は、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)(=仁徳天皇)の陵墓に治定していますが、実はその被葬者は明らかでありません。日本書紀にある記載をもとに推測すると、仁徳天皇が亡くなった年は西暦399年。しかしながら、仁徳天皇陵の築造は5世紀中頃が有力のためどうしても50年以上のずれが生じてしまいます。現在は、他の天皇の墓である説やそもそも仁徳天皇が実在しなかったという説もあるのです。

仁徳天皇はどんな人物?

日本の第16代天皇である、仁徳天皇。在位期間は87年と言われ、名はオオササキノミコト。「古事記」では大雀「日本書紀」では大鷦鷯の字を当てています。
大阪・難波に都を定めて、人家から炊煙が立ち上っていないことに気がつき3年間租税を免除、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという逸話もあることから、仁徳天皇の治世は「仁政」として知られています。一方で、好色な天皇として皇后の嫉妬に妬まれる描写も残されており、人間らしい一面もある人物です。


周延 「東錦昼夜競 仁徳天皇」

仁徳天皇陵周辺の古墳群「百舌鳥古墳群」

仁徳天皇陵を含めた周辺の古墳群を「百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)」と呼びます。百舌鳥(もず)という名前は、仁徳天皇陵を造営する際に工事を担当した人たちの中に鹿が飛び込んで倒れ死ぬ事故があり、その鹿の耳を食い裂いた百舌鳥が飛び出したため、地名を「百舌鳥」に改称したという言い伝えがあります。
仁徳天皇陵の周辺には、かつては100基以上の古墳があったとされていますが、現在は44基が残っています。その内訳は、大仙公園を挟んで、仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)、東側にいたすけ古墳、御廟山古墳(ごびょうやまこふん)、ニサンザイ古墳、北側に反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)など。その多くが巨大な前方後円墳で、4世紀末、または5世紀初頭~6世紀後半頃に、大王墓として築造されたものといわれています。

古墳の大きさは、日本最大!

仁徳天皇陵は、墳丘の前長は525m(後円部286.33m、前方部幅347m)の前方後円墳です。墳丘長は、第2位の大阪府羽曳野市の応神天皇陵の425mを100mも上回り、日本最大の古墳とされています。


地図で見ても、圧倒的な大きさ。1周するには1時間かかります。

日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。ちなみに墳丘は3段になっていて、多くの谷があります。宮内庁所蔵の実測図でも、墳丘の等高線の乱れが著しく、この谷が生まれた経緯は自然崩壊のほかに墳丘が未完成だったという説も提起されています。

ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界三大墓

世界3大墳墓とされている仁徳天皇陵。クフ王のピラミッドが全長230m、始皇帝陵が全長350m。ふたつの王の墓と比較すると、その規模の大きさが分かります。


出典:堺市 公式サイト「世界三大墳墓の大きさ比較」より

世界遺産への登録は?

仁徳天皇陵は巨大古墳を含めて形や大きさも多様な墳墓が集中して残っている世界的にも稀有な事例であると、政府は世界へ強調してきました。2019年6月から7月に、世界遺産への登録が正式に決定する予定です。

仁徳天皇陵へ行くには? アクセス情報

観光基本情報

住所:〒590-0035 大阪府堺市堺区大仙町7-1
アクセス:JR阪和線「百舌鳥駅」下車 徒歩8分
料金:見学自由 ※内部は非公開

どこから観ると良い? 仁徳天皇陵の鑑賞スポット

鑑賞の穴場は、永山古墳南側の陸橋の上、JR百舌鳥駅南側の陸橋の上、堺市役所高層館21階展望ロビー。ぜひ訪れてみてください。

参考:堺市観光ガイド

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