Culture
2020.05.25

早すぎた「トキワ荘」の天才・森安なおや。漫画家としての壮絶だが羨ましい人生に迫る

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藤子不二雄Ⓐの『まんが道』。
1970年に『週刊少年チャンピオン』に連載された「あすなろ編」にはじまり、2013年に続編『愛…しりそめし頃に…』が完結するまで43年にわたって描かれた半自伝的作品。

フィクションの要素が多いながらも、藤子不二雄(ふじこふじお)両名をモデルとした満賀道雄(まがみちお)と才野茂(さいのしげる)の歩む青春が、戦後草創期のマンガと共に描かれていく。マンガ家ならずとも、なにかの志を持って上京した人には欠かせない、生涯何度も読み返す作品だろう。

誰もが成功するわけじゃない『まんが道』

でも『まんが道』は単なる成功の物語ではない。今なお伝説として語られるトキワ荘に集う若きマンガ家たち。
彼らのすべてが成功したとは言い難い。

例え成功しなくても……創作に人生を賭ける者は絶えない

中でも読み進めるうち次第に気になってくるのが、同じくマンガ家を志していた森安なおやである。
藤子不二雄Ⓐならではのセンスで尖ったキャラクターが次々と登場する『まんが道』だが、中でも森安なおやほど印象深い人物はいない。

キャラが立ちすぎて目が離せない男・森安なおや

原稿料が入ったと仕立てた背広を自慢しにきた挙げ句にラーメンの代金を払わせるし、昼食用にと取っておいたパンを食べてしまう。
挙げ句には〆切に追われているところにやってきて「青春がナンタラ」と演説をぶって、遊びに連れだそうとする。
『まんが道』ではまだ描写を抑えているが、続編の『愛…しりそめし頃に…』では迷惑な人物であることがわかる描写が明らかに増えている。

作中で面々が作品を寄稿してた雑誌『漫画少年』が休刊したことを聞いた森安が、ふだんの呑気そうな様子から一転して「キャバキャバキャバキャバ」という絶望と諦念が入り交じったような笑い声を上げるシーンの強烈さも相まって、いったい何者なんだと気に掛かるのだ。

藤子不二雄のふたりを初め、石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう)、赤塚不二夫(あかつかふじお)、つのだじろうなどの巨匠を輩出したトキワ荘の中で、森安はまごうことなき影の部分。成功できなかった負け組だ。

かつては「孤独死」ともいわれていたが

「最後は浮かばれないままに孤独死した」ということだけが、まことしやかに伝えられていた森安の人生を明らかにしたのは、2010年に出版された伊吹隼人(いぶきはやと)による『「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝』(社会評論社)だ。

このノンフィクションを通して『まんが道』で描かれる程度しかわからなかった森安の人生はようやく明らかになった。
森安はいわば、時代に合わなかったマンガ家であった。作風やセンスが遅れたりズレたりしているのではない。創作へのスタンスが、である。

あまりにも芸術家肌過ぎる創作スタイル

その生活スタイルは、マンガ家であること以上にマンガ的だった。「お金があったら、とりあえず食い物、それから遊び」を信条に、描きたい気分になった時にしかかかない。出版社からは前借りし、友人知人からの借金を踏み倒しても意に返さない。

それでも描きたい気分になった時に描く作品には目を見張るものがある。だから、生活に困っていると聞いた編集者が仕事を依頼するのだが、これも気分が乗らなければまったく描かない。

まさに無頼な人生。当時、雑誌が次々と創刊されて才能のあるマンガ家が〆切にヒイヒイいいながらも財産を築き、地位を高めていくなかでも森安は、そんなものに価値を見いださなかった。

それでも我が人生には悔いなし

結果、マンガでは食えずに職を転々とすることにはなるのだが、その合間にもどこかに頼まれたわけでもない原稿を描く人生を、森安はよしとしていたのだろう。
その一端が見えるのが、1981年に放送されたNHK特集『現代マンガ家立志伝』だ。このドキュメンタリーは取り壊しが決まったトキワ荘に成功したかつての面々が集う姿を描きつつ、職を転々としながらマンガを描き続ける森安の姿に多くの時間を割いている。

伊吹の本によれば過剰な演出もあったことが指摘されているが、この中で森安は「僕が本当に番外だから、僕が居るとコントラストで彼らの出世ぶりが目立つ訳ですよ」と語っている。そこまで達観できるくらいまで、森安は自分の生き方をよしとしていたのだろう。

晩年の傑作『烏城物語』のすごさ

森安の人生を語る上で欠かせないのが、死去する2年前の1997年に出版された『烏城物語』だ。故郷の友人達の手で「森安なおやを岡山に呼ぶ会」名義で発行された自費出版本。タイトルは聞いたことがあっても、なかなか手にする機会の無かった、この本は2012年に開催された「岡山芸術回廊」の出品作として、再刊された。

森安の描いた後楽園と岡山城の風景

このことをニュースで知ったボクは、岡山まで出向いて本を手に入れた。
もとより叙情的な作風を得意とする森安の筆は、晩年になってさらに円熟味を増していた。

戦前の岡山を舞台に、トーンなど使わずペンだけを用いて肉筆で描かれていく少年の成長物語。
1ページどころか1コマごとに過剰なまでに命を注いでいることがわかる作品だ。

森安の事績を未来へ伝える記念碑の碑文

月刊や週刊ペースで〆切に追われながら作品を描くことが求められていた時代に、こうした作品を描いていたら、とうてい仕事としては成立しない。
それでも、自分が描きたいものにすべてを注ぐのだという決意が、ページからほとばしっているのだ。

時代には早すぎた才能だったのか

もしも森安が現代に活躍していれば、評価はもっと違ったものになったかも知れない。今は『HUNTER×HUNTER』を連載している冨樫義博(とがしよしひろ)のように休載を繰り返し、たまに連載が再開しても、ほとんどラフ画状態なのに読者を離さないマンガ家もいる。発表の場も、商業誌から同人誌まで無限に広がっている。

「描きたい時にしか描かない」という創作スタイルも読者はそれを作者の持ち味として受け入れる時代。そう考えると、森安は時代の先を行きすぎていたのだと思うのだ。

とりあえず座らないわけにはいかない森安直哉の記念碑

いま、森安の故郷・岡山市の旭川の川べりには友人達の手によって植えられた桜と記念碑が建っている。
時折、半ばがベンチになった記念碑に佇んでいく人々は、評価されぬともせめて自分には恥じなく生きたいと思いを馳せるのであろうか。

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。