CATEGORY

最新号紹介

10,11月号2024.08.30発売

大人だけが知っている!「静寂の京都」

閉じる

Fashion&きもの

2024.09.06

10分で狐忠信、3.5秒で源九郎狐へ。歌舞伎俳優の中村橋之助が語る、あの時あの舞台の“こしらえ”<後編>

歌舞伎では、衣裳や鬘(かつら)、小道具を身に着けた役の扮装を「拵え(こしらえ)」と言います。役によりガラリと印象を変えて様々な表情をみせる歌舞伎俳優の皆さんに、思い出の拵え、気分がアガる衣裳、そのエピソードを伺います。 第10回は中村橋之助さん。【前編】では、紅翫(べにかん)という役の一風変わった小道具について。【後編】では『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』のあの役についてお話いただきました。

前編はこちら

四代目 中村橋之助 NAKAMURA Hashinosuke
屋号は成駒屋。2000年9月歌舞伎座「五世中村歌右衛門六十年祭」の『京鹿子娘道成寺』所化(しょけ。修学中の僧)、『菊晴勢若駒(きくびよりきおいのわかこま)』の春駒の童で初代中村国生を名乗り初舞台。2016年10月「芸術祭十月大歌舞伎」『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋』の堤軍次ほかにて四代目中村橋之助を襲名。舞台『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』、ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』ほか現代劇や、ラジオNACK5「中村橋之助 ぶっかえりNIGHT」など活躍の場を広げている。父は中村芝翫。弟は中村福之助、中村歌之助。

『義経千本桜』の名場面、狐が主人公の「四の切」

取材をした2024年7月、橋之助さんは『義経千本桜』の「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)の場」に出演されていました。

<あらすじ>
壇ノ浦の合戦で大活躍した源義経は、兄・源頼朝から謀反の疑いをかけられて追われる身となります。わずかな家来を連れて逃げ延びる中、川連法眼の館に匿われることに。そこを訪ねてきたのが家臣の佐藤忠信(ただのぶ)でした。しかし義経の愛妾・静御前とともに、もう1人忠信がやってきて……。

全五段で構成される『義経千本桜』のうちの四段目の最後(切)にあたることから、「四の切(しのきり)」の通称で親しまれている場面です。

橋之助さんが演じるのは「佐藤忠信」と「佐藤忠信実は源九郎狐(げんくろうぎつね)」の2役。役名からもお分かりいただけるように、2人の忠信のうちの1人は実は正体が狐です。橋之助さんはお芝居の中で、鮮やかに拵えを変えます。歌舞伎ならではの演出による狐の変化で楽しませ驚かせながら、家族の情愛を描き出します。

(『国立劇場 令和6年7月歌舞伎鑑賞教室』調布グリーンホール楽屋にて。取材協力:国立劇場 )

憧れの佐藤忠信で「生締」の難しさを知りました

はじめに登場するのは本物の佐藤忠信。橋之助さんが子どもの頃から憧れた役の一つです。

「やはり拵えから格好いいですよね。偽物の忠信が来たと聞き、下緒(さげお。刀の鞘についている紐)をさばいて袂に入れ、花道の方を向いてぐっと見込むキマリがあります。子どもの頃、あれが大好きでよく真似をしました。野球好きの子どもがプロ野球選手のバッティングを真似るのと同じ感覚でしょうね」

(楽屋での仕度を終えて、舞台袖で拵えを完成させます)

「25歳の時、京都南座で初めてこの役をやらせていただきました。もちろんうれしかったです。でも経験値が足りませんでした。生締(なまじめ)をかける難しさを知りました」

「生締」とは鬘の名前です。主に立派な大人の男性、分別のある捌(さば)き役に使われるもので、この鬘をかける役柄のことも「生締」と呼びます。

「『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実、『梶原平三誉石切』の梶原平三など、生締といえば歌舞伎の主役がかける鬘です。立役なら誰もが憧れる、役者の大きさが求められる役ばかり。前回の僕の忠信は“自分を大きく見せるんだ、下緒も格好よく投げるぞ”といった意識が強すぎました。必死さゆえに小さい忠信になってしまっていたんです」

(生締の鬘。油で棒状に固められた髷(まげ)が特徴です)

実はその1年前にも、橋之助さんは忠信役を演じる予定がありました。しかしコロナ禍により公演は中止に。

「中止の知らせを受けた時は、誰とも口をきけなくなるほどに落ち込みました。でも坂東玉三郎のおじさまから“またチャンスが来る役者になりなさい。そういう役者になるために勉強をしなさい。それが今やるべきことです” とおっしゃっていただいてなんとか歌舞伎への気持ちを立て直して。そのような経験もふまえて、僕の役者人生のターニングポイントになったお役です」

3年ぶり2度目の忠信。「今回はとても楽しんでいます!」と明るい声の橋之助さん。

「あれから色々なお役を経験しました。自分は主役だ! と意気込まなくても、この拵えをさせていただき竹本義太夫の語りと三味線で花道へ出れば、お客様は主役だと分かってくださる。そういうマインドを持てるようになりました。今月は父(中村芝翫)もWキャストで忠信を演じていますが、父は下緒をさばく時にまるで力を入れません。適当に投げてさえ見えるのにそれが全然格好良い。忠信そのものになっていれば、どう投げようと格好良いし大きく見えるということですね。立役の芯の役者(主役を勤める俳優)に必要なことを日々勉強させていただいています」

国立劇場 令和6年7月歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜』「川連法眼館」佐藤忠信=中村橋之助(2024年7月調布グリーンホール)

早拵えで狐忠信、さらに3.5秒で源九郎狐へ

忠信の出番を終えた橋之助さんが、舞台袖へはけてきます。早拵え(はやごしらえ)のためのスペースが用意され、衣裳さんや床山さん、お弟子さんたちが待ち構えています。

次の出番までおよそ10分。

橋之助さんは休む間もなく衣裳を脱ぎ顔を落とし、二役目の狐忠信の拵えにかかります。

舞台からは義経や静御前の台詞が聞こえてきます。

「初役の時、僕は七代目(尾上菊五郎)のおじさまに『四の切』を教えていただきました。早拵え(はやごしらえ)は時間が足りなくなるものですか? とお聞きしたところ『余裕だよ。俺はタバコも吸えるぞ』とおっしゃったんです。それをお聞きして納得していたところ、(尾上)菊之助のおにいさんが『でも最初だから、少し急いだ方がいいと思うよ』とアドバイスをくださって」

「実際にやってみた感想ですか? ギリギリにもほどがある! という感じでした(笑)。この台詞までにこのくらいは準備ができていないといけない、と自分なりのきっかけがあるのですが、初めての時はそれさえ耳に入りません。お弟子さんに、きっかけがきたら教えてくれるように頼んでいたくらいです」

(火焔宝珠模様の着付の上に白の毛縫い。その上に藤色の着付を重ねます。これがクライマックスの仕掛けに繋がります)

「それだけに今回の舞台稽古(本番同様の通し稽古)では感動してしまいました。3年ぶりに狐忠信の早拵えをしてみたところ、余裕で間に合うようになっていたんです! 忠信の時に感じた気持ちの余裕が生まれたおかげもあるかもしれませんし、役者としての引き出しが増えたこともあるでしょう。朝から晩までついてくれているお弟子さんも一緒に経験値を上げてきてくれたおかげもあると思います。今ならタバコも吸えるんじゃないかな。もしいつか後輩の誰かが僕に『四の切』を聞きにきてくれることがあったら、タバコも吸えるぞと伝えます。それが七代目のおじさまの口伝ですから(笑)」

髷は、忠信の生締から狐忠信の前茶筅(まえちゃせん)へ。前茶筅はほんのり色気のあるキャラクターに使われるもの。役の個性が変わったことが鬘の変化からも伝わってきます。

支度が整った橋之助さんは舞台上、ではなく階段の脇から舞台の床下へ潜っていきます。その理由は……。

三大義太夫のひとつ『義経千本桜』は、上演される機会が比較的多い名作です。2025年10月には「四の切」を含む通し狂言としての上演が決まりました。義太夫の三味線と語りに彩られた物語とともに、前半の忠信と後半の狐忠信のキャラクターの違いをぜひお楽しみください!

佐藤忠信に化けた源九郎狐(狐忠信)。国立劇場 令和6年7月歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜』「川連法眼館」2024年7月調布グリーンホール

橋之助さんが芯となり、チームワークで繋いだ「四の切」。

そのクライマックスでは、狐忠信があっという間にその正体、白く長い毛の源九郎狐に変わります。次の写真には、その変化のタネ明かしが含まれます。タネが分かると、なお一層俳優さんの身体能力に驚かされます(芝居を未見の方はご自身のご判断でご覧ください)。

舞台監督さんに教えていただいたポイントでカメラを構えていると、転がるような勢いで橋之助さんが舞台裏へ。

大道具の向こうの客席でワッという反応が起こるのとほとんど同時に、藤色の着物の狐忠信から白い長い毛の狐の姿へ。一瞬もスピードを緩めることなく舞台裏を上手側へ駆け抜けて再びお客様の前へ。大きな拍手が鳴り響きました。およそ3.5秒の出来事でした。

正体を現した源九郎狐

毛縫い(けぬい)と呼ばれる衣裳です。白い羽二重に縒り糸(よりいと)が縫いつけられ、狐の化身を表現。劇中では、狐詞(きつねことば)と呼ばれる可愛らしく独特の台詞まわしに変わります。狐は衣裳をさらに変化させて義経たちのために一肌脱ぐのでした。

国立劇場 令和6年7月歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜』「川連法眼館」2024年7月調布グリーンホール

父がいて弟たちがいて、お弟子さんたちもいる

取材の日、交通機関のトラブルの影響により、開演前の楽屋ではイレギュラーな判断を迫られるシーンがありました。

「親方」と呼ばれ慕われる芝翫さんが全体の方向を示し、橋之助さんが実務的なディレクションを出します。芝翫さんの求心力、橋之助さんのリーダーシップ、福之助さんと歌之助さんの対応力、機転、そして一門の方々のチームワークを垣間見る一幕でした。

想定外を事もなげに乗り越えて、皆さんは何事もなかったかのように和やかなひと時の談笑を。橋之助さんは芝居の準備に戻りました。橋之助さんが楽屋で心がけていることとは?

「あえて皆と馴れ合い過ぎないようにしています。そういう人が一人いた方が全体の秩序が保たれるように思います。僕の根本的な性格はTHE長男。実際に長男ですし自分の中でその思いを大事にしてきた部分もあります。皆で一丸となり歌舞伎をやっていくためにも、そこは僕が引き受けるべき役割なのかなと考えています」

リーダーシップをとり程よい緊張感を作りつつも、自分ひとりが先頭に立ち皆を率いて、という意識ではないようです。

「うちは、あくまでも父が作ったチーム。僕ら兄弟は“父のお弟子さんたちに力を貸していただいている”という意識がとても強いんです。だから僕が少しピリッとしている分、福之助と歌之助がお弟子さんたちと和気あいあいとした関係を築いてバランスをとってくれています。たとえば僕ら三兄弟の自主公演の企画でも、僕がお客様ファーストで無茶な提案をしたら、2人は冷静に判断をしてちゃんと止めてくれたり。3人だからこそ成立するバランスがあります。本当は僕も、皆とふざけている時間が好きなんですけれどね(笑)」

三兄弟の自主公演とは、『神谷町小歌舞伎』のこと。今年9月には第二回が開催されます。

橋之助さん、福之助さん、歌之助さんは、自分たちで企画、制作、運営や広報などを分担。前回はお弟子さんの配役にオーディション形式を採用するなど運営面においても風通しの良さを感じさせます。

「自主公演をきっかけに、どうしたらより多くの方が足を運んでくれるだろう。スタッフの皆さんが耳を傾けてくれるだろう、と考えるようになりました。スポンサーのお願いやご挨拶まわりを自分たちで行う中で、“歌舞伎役者だから世の中のことは分かっていないでしょう? ”と思われるようではいけませんから、ビジネスやチームマネジメントについても自分なりに勉強しています」

(ハードボイルド! 歌舞伎に興味がなくても思わず目をひく宣伝ビジュアルですが、上演するのは古典歌舞伎の名作。台詞が分かりやすい作品が並びます!)

「そして気が付いたのは、結局僕が歌舞伎俳優としての実力をつけなければダメだということでした。どれだけ問題意識を持ち目標を掲げても、お前に言われる筋合いはないと思われたらそこで終わり。憧れの中村勘三郎のおじも多くのことを成し遂げましたが、何よりもまず素晴らしい歌舞伎役者でした。自主公演を始めるまでは、一所懸命歌舞伎に取り組んでいればすべてがついてくると考えていましたが、それだけではダメ。でもまず役者として良くないといけない。様々な経験をした上で、役者としての力をつけていこうという気持ちです。うちの一門は、父がいて僕ら兄弟がいてお弟子さんもこれだけいて、全員本当に歌舞伎が好きな人ばかり。歌舞伎の未来を明るくできるだけの可能性を持っている。この強さを生かすも殺すも自分たち次第だと思っています」

(ひざ掛けや化粧道具の中には、4歳の初舞台の時から使っているものも。「先輩がお使いの紋の入った素敵な化粧道具に憧れて、襲名の時に僕も作ろうかなとも思いました。でも、もっと立派な役者になってからにしようと思い直して、結局今まで使い続けています」と笑顔の橋之助さん。)

公演情報

第二回 神谷町小歌舞伎
2024年9月12日 (木)・13日 (金)
会場:浅草公会堂
公式X
公式Instagram
成駒屋公式Web 自主公演特設ページ

錦秋十月大歌舞伎
2024年10月2日(水)~26日(土)
昼の部 午前11時~/夜の部 午後4時30分~
会場:歌舞伎座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/880
※中村橋之助さんは「昼の部」の『音菊曽我彩』に出演されます。

歌舞伎座公演情報
松竹創業百三十周年記念 三大名作一挙上演
2025年3月 通し狂言『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
2025年9月 通し狂言『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』
2025年10月 通し狂言『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』
会場:歌舞伎座
公式サイト

取材協力:国立劇場
舞台写真提供:松竹株式会社
撮影(クレジットのないもの):塚田史香

前編はこちら

Share

塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
おすすめの記事

新作歌舞伎『刀剣乱舞』の衣裳も! 尾上松也が語る、あの時あの舞台の“こしらえ”

塚田史香

「上演を重ね古典になっていく」歌舞伎俳優の坂東彌十郎が語る、あの時あの舞台の“こしらえ”

塚田史香

源義経が脇役の歌舞伎『義経千本桜』あらすじと見どころを解説!

進藤つばら

こりゃ絶品!神田「まつや」蕎麦屋の玉子焼きレシピを教えてもらいました

和樂web編集部

人気記事ランキング

最新号紹介

10,11月号2024.08.30発売

大人だけが知っている!「静寂の京都」

※和樂本誌ならびに和樂webに関するお問い合わせはこちら
※小学館が雑誌『和樂』およびWEBサイト『和樂web』にて運営しているInstagramの公式アカウントは「@warakumagazine」のみになります。
和樂webのロゴや名称、公式アカウントの投稿を無断使用しプレゼント企画などを行っている類似アカウントがございますが、弊社とは一切関係ないのでご注意ください。
類似アカウントから不審なDM(プレゼント当選告知)などを受け取った際は、記載されたURLにはアクセスせずDM自体を削除していただくようお願いいたします。
また被害防止のため、同アカウントのブロックをお願いいたします。

関連メディア