水うちわに、岐阜大仏。大小の名物を竹と和紙が支えている
旅の前半で元気ハツラツな鵜に心躍らせた後は、レトロな街をのんびりお散歩
長良橋の右岸と左岸付近は、16世紀、斎藤家から織田家の時代の川湊に始まり、江戸時代の尾張藩のころには商業の町として重要な役割を担いました。左岸の当時の呼び名は「中川原」、今は通称「川原町」。川が生んだ州の土地に、上流から材木や和紙、竹などが船で運ばれ、桑名を経て江戸や大坂へ。現在は江戸期から昭和初期の紙問屋や材木問屋の建物が残り、端正な木格子の佇まいが流通した材のよさを語ります。
町家の軒先で川原町提灯が揺れる。細い竹骨と薄い典具帖紙でつくる岐阜提灯の技が見事。
通りで涼を感じる店が。岐阜うちわを製造販売する「住井冨次郎商店」です。塗りを施すのが特徴で、美しいツヤや透かし模様が魅力。極薄の雁皮紙に天然由来のニスを塗る水うちわは、「水につけてあおいだという俗説もありますが、視覚的に涼むのが本懐」と、4代目の住井一成さん。
「住井冨次郎商店」の塗りうちわ。
お隣は「玉井屋本舗」。鮎形の和菓子は、急流をいく鮎の一瞬をとらえたいい形をしています。3代目の玉井博祜さんは、「このあたりの家は、金華山がよく見えるように窓がつくられています。通りの川原町屋さんの2階の眺めは特に素敵ですよ」
街歩きの助言もいただくうちに、時刻はお昼。老舗旅館、十八楼が営む「時季の蔵」へ。曳家という伝統工法で移築した蔵の中はしっとりと涼しく、照度の低さに落ち着きます。鮎ぞうすいや飛驒牛など名物尽くしのランチに、時がゆっくりと過ぎるよう。
「十八楼 土蔵レストラン 時季の蔵」の小鮎の前菜。昼席のコースは¥3、000~。
昼下がり、和小物と喫茶の店「川原町屋」の2階が空いていると聞き早速部屋へ。細長い店内の中ほどから狭い階段を上がります。床の間を背に座った目線に、なるほどと納得。南の窓から中庭の楓越しに、金華山の稜線が美しく横切っています。山の頂には岐阜城。南北の窓には隣の家の甍が光り、風が抜けていく。和紙問屋だった当時の主の、暮らしへの思いが感じられます。
元和紙問屋をリノベーションした「川原町屋」。
さてつぎは、川の増水に備えた石垣や水路を経て、金華山のふもとの「岐阜公園」へ。信長の居館跡が現在発掘中。
「岐阜公園」の信長居館跡に当時の礎石が。
金箔瓦も出土したここは、どんな屋敷だったのでしょう。湧水と木立の向こうに佇む「名和昆虫博物館」もお見逃しなく。美しい蝶の標本群に、つかのまの夢を見るようです。
「名和昆虫博物館」で自然の神秘に感動!
街並みは続きます。参拝の人が行き交うのは「正法寺」。薄暗い大仏殿に、高さ13・7mの岐阜大仏が。1833年の建立以来、修復なしのお姿とか。竹職人が編んだ竹材に、美濃の粘土、美濃和紙の経文、さらに漆と金箔を重ねた日本最大の乾漆仏。当時の岐阜の文化力の結晶です。優しいお顔を目に焼き付けて出ると、外はもう日暮れ。
「正法寺」の岐阜大仏は古の輝きを今に。
料亭「後楽荘」で、庭を眺めながら鮎尽くしの夕餉といきましょう。繊細な料理と器使い。蠟燭・油商だった4代目の風雅な心が反映された設えなど、興味は尽きません。そして夜空には金華山のシルエットが。
「後楽荘」で長良川の天然の鮎を。
「このあたり めにみゆるものは 皆涼し」
松尾芭蕉が長良川で詠んだ涼やかさが、今も町のそこかしこで守られています。
-2013年和樂8・9月号より-