稜線!?断崖絶壁!?はたまた冬の稲妻!?
鎌倉時代に中国からもたらされた水墨画は、室町時代になると日本でも盛んに描かれるようになります。そんな時代に、日本の水墨画に革新的な変化をもたらしたのが、雪舟等楊です。
雪舟は京都の相国寺で禅の修行と絵の修業を行った後、京都を離れて現在の山口県の大名・大内氏の庇護を受け、遣明船に記録係の絵師として参加する好機を得ます。明に渡った雪舟は、西湖、蘇州、金山寺といった中国水墨画の名所を見学し、本場の水墨画は型にはまらない自由な画風であることを知ります。それによって雪舟の画風には大きな変化が生じ、帰国後は日本の水墨画の第一人者として、みずから信じる水墨画の本質を極めていったのです。
型にはまらない雪舟の水墨画のエッセンスがつまっているのが、この「秋冬山水図」の冬景です。
雪舟等楊「秋冬山水図」紙本墨画 2幅のうち冬景 47.7×30.2㎝ 室町時代(15世紀末~16世紀初) 東京国立博物館蔵
見るからに寒々とした空気が伝わってくるような画面の中ほどに描かれた太い線に注目してみてください。
断崖を描いているはずの線なのですが、上のほうは天に消えていくように途切れてしまっています。また、下のほうに行くと山の稜線のように描かれていて、不思議な空間を創出しています。この線と周囲の描写との関係は、見れば見るほどわかりにくくなっていくばかりです。
実はこの線は、中国の山水画によく用いられるテクニックのひとつで、断崖の輪郭線をわざと強調するために描かれています。
何を描こうとしているのかではなく、線と形による構成で見る人の心をとらえるための効果を狙ったもので、抽象画的な要素を秘めているといってもいいでしょう。
このように、構築的な空間構成、強調された輪郭線、また細い線による簡略化された表現に雪舟はみずからの画境を見出し、それを極めるために86年の生涯を捧げたのです。