国宝 阿修羅とは?風神雷神図屏風とは?

国宝 阿修羅とは?風神雷神図屏風とは?

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

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各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は日本彫刻史上最高の美少年といわれる「阿修羅」と世界が驚いた琳派芸術の原点、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」です。

日本彫刻史上屈指の名作 「阿修羅」

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興福寺の八部衆立像は、今からおよそ1300年前に造立された天平時代の彫刻です。

天平5年(733)、聖武天皇の妃・光明皇后は、亡き母橘三千代の菩堤を弔うため、興福寺西金堂の造営を発願(ほつがん)しました。1年後、その西金堂の本尊釈迦三尊像の眷属(従者)として完成したのが、阿修羅をはじめとした仏法を守る8神「八部衆立像」と、釈迦の主要な弟子「十大弟子立像」(ともに国宝)です。

阿修羅は、古代インドの神話に登場する異教の神アスラに由来します。興福寺の阿修羅は、憂いを秘めた美少年のような面差しをしていますが、もとは古代インドの英雄神であるインドラ(帝釈天)に繰り返し戦いを挑んだ荒ぶる鬼神です。

しかし、あるとき釈迦の説法を聞いた阿修羅は、自らの争いをやめて仏に帰依(きえ)し、仏法の守護神となりました。

奈良時代に重んじられ、光明皇后も深く信仰した経典『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』には、懺悔の法を説く釈迦と、それに聞き入る諸尊の姿が表されています。阿修羅をはじめとした西金堂の群像は、このお経の一場面を再現したものです。

興福寺の阿修羅像には、もはや天界で暴れまわる鬼神のイメージはありません。3つの顔と6本の腕(三面六臂)をもつ異形であるにもかかわらず、微妙な心の揺らぎを見せるその表情に、古来、多くの人々が魅了されてきました。

その表現を可能にしたのは、7世紀末から8世紀に仏像を造る際に用いられた代表的な技法「脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)」でした。塑土で造った原型に数枚の麻布を漆で貼り重ね、仕上げを施すこの技法は、繊細な表情や理想のプロポーションを表現するのに最適でした。

西金堂の造営に携わった工人として、天平前半期における第一級の仏師・将軍万福や絵師・秦牛養(はたのうしかい)らの名が伝わり、彼らが阿修羅の造像にも携わったと推測されています。

深い悲しみに耐えつつ、決然と前を向く阿修羅の容貌は、発願者である光明皇后が亡き母を偲ぶ心情までをも映し出し、当代一流の仏師の技量の高さを今に伝えています。

国宝プロフィール

興福寺 八部衆立像「阿修羅」

天平6年(734) 脱活乾漆造漆箔 彩色 像高153.4㎝ 興福寺 奈良(阿修羅の写真はすべて飛鳥園)

興福寺西金堂に安置されていた、脱活乾漆造の技法による八部衆立像の1体。光明皇后の母の1周忌法会のために、奈良時代に造像された。

興福寺

日本美術定番モチーフの原点 「風神雷神図屏風」

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黄金に輝く天空を、風をはらんで疾走する風神と、隆々とした筋肉を見せつけて雷鳴を轟かせる雷神。躍動感あふれる『風神雷神図屏風』を描いたのは、桃山から江戸時代初期に京都で活躍した絵師・俵屋宗達です。

京都の富裕な商工業者である町衆出身とされる宗達は、生没年も不明の謎多き絵師ですが、扇絵や屏風絵、金銀泥下絵などの多彩な絵画製品を制作販売する「絵屋」を営んでいたことがわかっています。名に冠された「俵屋」は、その店の屋号です。宗達は、朝廷から僧侶の位階に準じた高位の「法橋(ほっきょう)」に叙せられましたが、これは町人としては異例の厚遇でした。

その宗達が制作した金屏風の作品中、最高傑作といわれるのが『風神雷神図屏風』です。風神雷神は、文字どおり、風と雷を神格化したもので、もともとは仏教美術に登場する一対の鬼神でした。絵画や彫刻においては、ほとんどが千手観音の眷属(従者)として表されてきました。

しかし、宗達は、墨や絵具を意図的に滲ませる「たらし込み」や、線描を塗り残して彩色する「彫塗り(ほりぬり)」を応用した巧みな技法を駆使して、脇役であった風神雷神を主役として大画面の屏風に描き出しました。その斬新な構図や技法は、伝統的な絵画世界に新風を吹き込み、江戸時代中期の京都の尾形光琳、さらに江戸後期に江戸で活躍した酒井抱一といった追随者を生むことになりました。後世に「琳派」と呼ばれるようになるこれらの絵師たちに、多大な創造的刺激を与えた作品なのです。

日本では古来、襖や屏風などに絵を描き、室内を装飾してきました。屏風は複数の面が連なった室内調度品で、二つの扇からなる二枚一組の屏風は「二曲一双」と呼ばれます。宗達が活躍した時代の標準的な屏風形式は「六曲一双」でしたが、宗達は向き合う風神雷神がより効果的に強調される二曲一双の形式を選びました。

二曲屏風は桃山時代ごろからさかんに制作されるようになりますが、『風神雷神図屏風』はその形を最大限に生かした構図、さらに主題・技法のどれをとっても、従来の伝統の枠を超えた革新的な作品なのです。

国宝プロフィール

俵屋宗達 風神雷神図屏風

17世紀 紙本金地着色 二曲一双 各154.5×169.8㎝ 建仁寺 京都

桃山から江戸時代に京都で活躍した絵師・俵屋宗達が描いた、二曲一双の屏風形式の絵画。総金地の屏風の右隻に風神、左隻に雷神が描かれる。作品は、京都国立博物館に寄託され、建仁寺では高細密複製画を展示している。

建仁寺

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