200年前浮世絵を愛した米国人女性がいた!彼女の名はメアリー・エインズワース【アート】

200年前浮世絵を愛した米国人女性がいた!彼女の名はメアリー・エインズワース【アート】

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今から約170年前の嘉永7年(1854)、長らく鎖国を続けていた日本とアメリカ合衆国との間に歴史的な「日米和親条約」が結ばれました。これにより、西洋諸国の人々は200年以上も神秘のベールに覆われていた「JAPAN」の文化に直接触れることができるようになり、欧米諸国では「ジャポニズム」と呼ばれる美術的ムーブメントが巻き起こります。

日本は、外国との交流を絶ったことで科学技術こそ欧米諸国に大きな遅れを取りましたが、美術や工芸品に関しては独自の発展を遂げ、世界的に見ても高いレベルに達していました。貿易商人たちがそれに目をつけないわけがありません。優れた工芸品の数々は、鎖国中唯一開かれていた長崎出島を経由して王侯貴族や大富豪など一部の限られた人々の元に届き、おおいに珍重されていました。

しかし、開国によって流通する物量が増えたことで、より幅広い層の人々の目に日本の美が触れるようになります。とりわけ高い審美眼を持つ教養人には、西洋とはまったく異なるロジックを用いながらも極めて完成度が高い日本の美術品が驚異的に映りました。驚きはやがて憧れに変わり、憧れが高じてとうとう訪日を志す者まで出てきます。

米国女性メアリー・エインズワースもその一人でした。

メアリーは1867年、奇しくも大政奉還が行われたその年にイリノイ州のジェネシオという小さな街で生まれました。父のヘンリーは農機具の製造業を営む実業家で、後に銀行家、そして政治家と着実に社会的ステータスを上げていった有能な人物でした。そのため、エインズワース家は大変裕福だったそうです。さらに、代々教育熱心な家系であったことから、メアリーもリベラル・アーツ・カレッジであるオーバリン大学に進学し、当時の女性には決して一般的ではなかった高等教育を受けることができました。オーバリン大学はイリノイ州の隣、オハイオ州にある大学ですが、全米で最初に有色人種、そして女性の入学を認めたリベラルな校風の学校です。

そこで文学士の学位を取ったメアリーは、卒業後は実家に戻りながらも、地域の文化的活動の中心人物となっていきます。

そんな彼女がどうして日本文化に興味を持つようになったのかは詳らかではないのですが、来日経験がある知人に日本の版画を見せられたことがきっかけだったようです。

メアリーが暮らしていた頃のイリノイ州北部地域には日本美術を愛好する人々が多くいました。彼らは競い合うように浮世絵などの品々を蒐集し、お互いに見せあいながら知識を深め、鑑賞眼を養っていきました。その中には、東京の帝国ホテルを設計したあのフランク・ロイド・ライトもいたそうです。

このような環境が影響したのか、メアリーの日本熱はどんどん高まり、ついには訪日を決意するに至ります。

1906年6月、39歳のメアリーは勇躍日本へ旅立ちました。今でも海外旅行というとそれなりに準備が必要ですが、当時は何週間もかかる船旅です。メアリーはお金持ちとはいえ一般の女性。渡航にどれほどの熱意と勇気が必要だったのか、想像もつきません。しかし、勝ち気だった彼女は不安も何のその。出発前に友人に送った手紙には「この6年間自分が何をして、何を考えていたのかさえ思い出すことができないほど」と書かれているそうなので、相当な興奮状態だったのでしょうね。

そんな彼女を迎えることになった日本はというと、明治維新から40年近い歳月が経ち、東京や大阪などの都市部では江戸時代の面影が失われつつありました。それでも、メアリーが見たかった「日本」の景色は、まだそこかしこに残っていました。絵でしか知ることのなかった風景を目の当たりにしてどれほど感激し心打たれたか、もし彼女がイザベラ・バードのように詳細な旅行記をつけていたら、その様子もわかったのでしょうが、残念ながらメアリーは記録魔ではなかったようです。しかし、その後本格化するメアリーの浮世絵収集への熱意を見る限り、彼女が東洋の小さな国を心底気に入ったのは疑いのないところです。

こうして日本美術、とりわけ浮世絵に心奪われたメアリーは、自分自身のセンスと鑑定眼を信じて世界的にも類を見ない貴重なコレクションを形作っていきました。独立独歩で強い意志を持っていたという彼女の好みについて、突出する特徴をあげるとすると、「ザ・プリミティブス」と呼ばれる初期浮世絵の絵師たちの作品が多く含まれる点があります。
たとえば、こちら。

菱川師宣「低唱の後」 延宝(1673-81)

「低唱の後」と呼ばれるこの絵は、「見返り美人」で有名な菱川師宣が描いた作品です。師宣は浮世絵黎明期の代表的画家で、菱川派の祖でもありますが、当時の浮世絵はまだ多色摺りの技法が生まれる前。この作品も、墨の一色刷りに手作業で彩色が施されています。葛飾北斎や安藤広重の時代の作品に比べると確かにprimitive(原初の、の他に、素朴、粗野、簡略などの意味がある)と呼ばれるのもむべなるかな、ではあるものの、いかにも風俗画らしい伸びやかでおおらかな筆使いやほのかな色気が感じられる画風は、決して美術的価値に劣るものではないといえます。
見た目の鮮やかさにとらわれず、絵の価値そのものを見抜くだけの目を、メアリーは持っていたのです。

鳥居清長「洗濯と張り物」 天明(1781–89)後期

女性たちがお洗濯や身繕いをする光景を描いた「洗濯と張り物」は、江戸中期に美人画で大いに人気を博した鳥居清長による三枚続の作品です。働く女性の姿を美しく切り取った清長の手腕も素晴らしいですが、これを買い上げたメアリーの感性もまた一級だったのがよくわかる作品ではないでしょうか。

メアリーが豊かな財力と確かな目を武器に集めた浮世絵は実に1500点を超えています。
そのコレクターぶりは米国のみならず日本でも有名だったようで、昭和13年に作成された「古今浮世絵数寄者総番付」の外国人部門に、あのフェノロサやフランク・ロイド・ライトに並んで名前が刻まれているほど。女性コレクターで名前が記されているのは、彼女の他にもう一人バッキンガム兄妹だけ、しかも彼らは二人で一人扱いですから、メアリーの傑出ぶりが知れるというものです。

コレクションは主の死後、遺言によってすべて母校オーバリン大学に寄贈されました。そんな中から約200点の秀作を選りすぐり一挙紹介する展示が今、大阪市立美術館で開催されています。

メアリーがことのほか愛したという広重は50点近く展示されていますし、北斎も30点超、喜多川歌麿や鈴木春信といったビッグネームも目白押しです。
浮世絵愛好家が必見なのは言うまでもありませんが、浮世絵初心者にこそぜひ行ってもらいたい充実っぷりなのです。

初期から終期にかけ、人気作品以外にも現代では極めて貴重な作品まで幅広く収集されているため、「庶民の芸術」である浮世絵が約200年の歳月をかけてどのように発達し、進化を遂げていったのか、一度の見学でしっかりと理解できる貴重な展示です。その上、各作品の保存状態が極めてよいので「美術品」としての浮世絵を楽しむのにももってこい。

会期は9月29日(日)までです。どうぞお見逃しなきよう! 大判のカラー図版が惜しみなく入った図録もマストバイですよ!

【展覧会情報】
展覧会名:オーバリン大学 アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション --初期浮世絵から北斎・広重まで
会期:2019年8月10日(土)~9月29日(日)
場所:大阪市立美術館
公式サイト

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