歯がしっかりと生えそろっているということは、それだけ食べ物を上手に咀嚼できることで、それは当然健康につながっていく。貝原益軒や良寛だって毎日歯をカチカチと鳴らして鍛えていたというではないか。
そして先日、次男にも可愛い2本の小さな歯が生えてくるタイミングでお食い初めをした。お食い初めは生後100-120日前後に、食べ物に困らないようにと、まだ実際には食べられない赤子に食べる真似をさせることと、健康に長生きしてもらいたいと固いものを用意して、歯の根を固める歯固めをするという2つの側面がある。今回も長男の時と同様に、自宅に両家の両親を招いて賑やかにお祝いをした。
平安の宮中儀式から受け継がれる「お食い初め」
お食い初めの起源は平安時代に遡り、生後50日ないし100日に、すり潰した餅を重湯などで伸ばしたものを口に含ませる儀式にある。合わせて五十日百日(いかもも)の祝儀とも呼ばれた。また、明確な時期は定められていなかったが貴族社会では子供に初めて動物性のタンパク質を与える魚味始(真魚初め、まなはじめ)も行った。魚は四方を海に囲まれている日本ならでは、飢饉の際にも頼れる食材だったのだろう。栄養状況も、また衛生状況も整っていない時代、平均寿命も今の半分以下だったと考えられる。何か問題が起こっても医療の手を借りて、赤子が育つ可能性の高くなった現代のようではなかったとすれば、このようなお祝いをすることは今以上に切実であったに違いない。
そして固いものを用意するという点に関しては、正月に中国で長寿を祈って食べられたという固い飴から影響を受けて、宮中で平安時代に始まった歯固めの儀に由来する。正月三日間、天皇陛下の健康を祈って、鏡型の餅に塩漬けにした鮎や大根、猪や鹿などの固いものが添えられた。実際に食べることはなく、箸で触れることで食べることに見立てた。ちなみにこれは正月の馴染みの菓子、花びら餅の原型だ。

これらの固いものを用意して長寿を願う儀式が、いつの間にか赤ちゃんの成長を祈る五十日百日の祝儀と合わさって、江戸時代には喰初め(くいぞめ)と呼ばれるようになった。
米、魚、吸物、酒、5個の餅をお膳にのせて赤子に食べさせる真似をしたという。この餅が、今ではお食い初めに欠かせないとされる石の原型だろうと思うが、具体的にいつから石に変わったのかということは今のところ明らかではない。
一汁三菜と縁起物で整える祝いの膳
さて、次男のためのお食い初めの献立はこんな感じだ。

本膳料理をもとに一汁三菜の形式で、お膳には、米、吸い物、煮物、酢の物、さらに石と蛸も加えて並べた。そして横には焼き魚を用意した。お膳は、昔母と共に京都の丹後半島を旅した時に求めたもの。当時は特に使い道もなかったが、あれから10年以上時が経ち、このように使える日が来るとは思ってもみなかった。またお箸のほかに、金工家の長谷川清吉さんに名前を入れていただいた銀の匙も準備した。


お食い初めに関する古い文献を見ていると魚では金頭(かながしら)が度々登場するが、長男の時同様に、今回も真鯛を使った。現代はお祝いというと、やはり真鯛だろう。それは一年を通して手に入りやすい上、めでたいという語呂や、皮が赤いところから魔除けの意味もあり何重にも好ましい。内臓を綺麗にとり、頭から尾まで繋がった状態で、焦げないようにヒレの部分をカバーしてオーブンで焼く。下に敷いた楓の葉は、主人が庭から取って来てくれた。
家族の協力で整った祝いの食卓

器は、武者小路千家13代夫人の千澄子先生のもの。
大根と人参の紅白なますは、白と赤でめでたさを表現し、吸い物は良い伴侶に恵まれるようにと貝がピッタリと合わさる蛤を。
歯固め石は、お宮参りをした上御霊神社さんからお預かりした。ちなみに長男のお食い初めの際は、主人の実家の路地から持ってきていただいた加茂石を。京都では黒くてツヤツヤした加茂石が風習だが、なかなか手に入らないこともあって蛸の足を使うこともあると聞き、両方準備した。蛸は「多幸」と語呂が良く、また八方に伸びるから縁起が良いのだそうだ。
そして今回は、餅米を手に入れることができずに義母にお願いして出町ふたばの赤飯を調達していただいた。というのもお食い初めの数日前に買いに行ったら、米不足の影響で手に入る算段がつかなかったのだ。たったの3年でこんなことが起こるなんて。本当に、どうかどうか子供達が食べ物に困りませんようにと思わず心の中で祈った。

子供のためのお膳で手一杯だったので、大人の食事は、懇意にしているお寿司屋さんにお願いした。また食後の楽しみとして祇園祭名物の行者餅は義母が、義父からは越後屋の水羊羹、そして両親は巴里小川軒のケーキを持ち寄ってくれ、たくさん方の協力によって食卓を整えることができた。日程を合わせて集まってもらえることだけでありがたいのに、各々があちこちを駆け回って食べ物を調達するという、まさにご馳走とはこのことなのだろう。
せっかくのお祝いの席ということで、当代樂吉左衛門さんが削られた生地に長男が2歳になった頃に白泥で手形をつけて焼いていただいた樂茶碗を初めて使う機会を得た。

たった3年前は、まだ赤ちゃんだった長男も今ではすっかりお兄さんになって、その成長を逞しく見せてくれた。わからないことばかりでいつも悩んでいた育児、子供を見守っているはずの大人が、実際は子供に育てられているようにも感じる。お食い初めが平安の昔から変わらず続けられているということ。つまり子供達がすくすく育ち元気に長く生きてくれることは昔から変わらない親たちの切なる願いなのだ。

