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【前編】東博に超絶御室派のみほとけ大集合!尾上右近の日本文化入門_INTOJapaaaaN!

第1回2回ともに大好評の連載、尾上右近さん(ケンケン)と共に日本文化を学んでいく『尾上右近の日本文化入門_INTOJapaaaaN!』。第3回は、東京国立博物館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」展に行ってきました。面白すぎて、ついつい2時間もかけて鑑賞してしまいました。その中から、ケンケンが感動した至宝を厳選して紹介いたしましょう。

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今回は仏像オタクの高木編集長が「国宝の千手観音菩薩坐像(葛井寺蔵)が到来する後期に狙いをさだめよう!」と、指揮を執りました。実は編集長、この展覧会に来るのは3回目なのです。ところが、「まず仁和寺の秘宝でしょ、空海ゆかりの秘宝、そしてさらに錚々たる仏像がある。あまりにも名品が揃いすぎていて、もうどこを見ていいかわからなくなった…」と、迷走ぎみ。そこで狙いを定め、さらに仁和寺僧侶の金崎師と、東博の丸山特別展室長に解説していただくことになりました。「まず、最初の見どころは、弘法大師・空海ゆかりの国宝『三十帖冊子』でしょう!」と編集長の声に、「空海、会いたいですね!」と、ケンケンが目を輝かせました。

第1章 御室仁和寺の歴史 「空海は生きていた!」

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仁和寺は天皇ゆかりのお寺。しかも京都でもいちばん格の高い筆頭門跡寺院なのです。「だからこそ、仁和寺には国宝の書画工芸の名品や、最古の医学書など、いいものがたくさんあるんですよね」と、編集長。「ええ、最初は独立した私院で、円堂というお堂でしたが、宇多天皇が仁和寺に住みついたんですね」と、丸山さん。光孝天皇(830-887)の発願で造営がはじまり、仁和4(888)年に、宇多天皇(867-931)により創建。宇多天皇は譲位後に出家して、延喜4(904)年に仁和寺に御室(僧坊)を造営します。その後も、歴代門主は親王・法親王が相承し、御願寺(皇室の私寺)として歴代の天皇から崇敬されてきました。「御室」と称される仁和寺だからこそ、国宝「高倉天皇宸翰消息」はじめ、歴代天皇の宸翰や、歴代の肖像画や工芸品、古文書などが多く残っているのです。「『消息』というのが手紙なんですね」と、ケンケン。「そうです、そうです。親戚のお兄ちゃんからの手紙です。宸翰や消息というと難しそうですが、親戚同士でやりとりした手紙です。代々皇室出身の方が門跡をなさっているので、今では宸翰や消息として残っています」と、金崎師。仁和寺の御宝物はなんと10万点にも及びます。まだ世間には知られてないものも多くあり、歴史の深さをうかがい知る事ができますね。

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国宝 三十帖冊子 空海ほか筆 平安時代・9世紀 三十帖 京都・仁和寺蔵

「これが空海の直筆!? うわぁ、空海は生きていたんだという感じがしますね!」と、興奮ぎみのケンケン。「弘法大師直筆のお経としていちばん古いものです」と、丸山さん。弘法大師・空海が在唐中(804〜806)に長安の青龍寺恵果阿闍梨から伝授相承した密教経典や儀軌などを書写して日本に持ち帰ったもので、真言密教の秘書として伝わり、書のファンを魅了してやまない空海ゆかりの書です。「いつも密教の秘法を身に着けていられるようにと、一緒に行った遣唐使も含めて、唐中のお坊さんらがみんな総出で写したものです」と、金崎師。「基本的に三十帖あり、中に数冊、空海が書いたものがあるんです。写経専門の人が書いた字は細字で綿密に書写されていますが、空海の書は行書体で、文字というよりは情報を重視。決して飾った字ではありません」と、丸山さん。今回は、選りすぐりの空海筆の部分だけを展示しています。「これ巻かれてたんですか?」と、ケンケン。「いや、冊子です。最古のノートですね」と、丸山さん。「じゃあ1200年前のメモ帳ということですね。すごいですねえ」。しかし、なぜ、これが仁和寺にあるのでしょう。「もともとは東寺にあったんですよ。仁和寺は皇室ゆかりの寺なので元締めのような働きもしていて、揉め事の仲裁をしたり、何かその原因となるものを預かっておこうということで…預かったままになっています。東寺さんも正直、これはちょっとどうやろみたいに思ってるかもしれません(笑)」と、金崎師。「そういうことあるんですね。面白い話ですね」「ええ、史実です(笑)」。

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尊勝陀羅尼梵字経 中国・唐時代 9世紀 仁和寺

こちらは、尊勝陀羅尼というお経を梵字で表したもの。本帖の梵字の筆者は、中国の高僧で日本の真言密教にとって重要な真言八祖の一人である不空と伝わります。これだけ古い中国のものが残っていることはないので、大変貴重なものだそうです。「不空は恵果のお師匠さんということですか。恵果が空海に灌頂(かんじょう)したんでしょう。空海のお師匠さんのさらにお師匠さんになるから、空海は孫弟子になる。すごいなあ」と、ケンケン。「空海はインドをとても大事にしたんです。密教が生まれたのはインドですから…。この梵字も、意味を訳してしまうと本質が伝わらない、それより発音がとても大事だとかおっしゃっています。今回は出ていませんが、空海自身が写した梵字があります」と、丸山さん。「私の勝手な見方ですが、刷毛ではいたような飛白体(ひはくたい)という空海独特の書は、もしかしたらこれを参考にしたのかもしれないとも思ったりするんです…違うかもしれないけども。空海は音と形を大事になさったんじゃないでしょうかね」

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国宝 薬師如来坐像 円勢・長円作 像高11.8CM 平安時代 康和5(1103)年 仁和寺

「こちらは国宝の中でいちばん小さい仏像です」と、丸山さん。歴代御室門跡の位牌を祀る霊明殿の本尊として安置されている薬師如来像。「1903年に中国から請来した念持仏があったという記載がありますが、火災に遭って焼けてしまいます。火災に遭う前の根本像は空海ゆかりの像だと伝えられており、大きさや形式を忠実に受け継いで再興したのがこの像です。泣いているというふうに言われますが、なんとも優しい、ふっくらとした表現です。平安時代後期、当時の日本の表現はこういうものだったと考えてもいいんじゃないかと思います」。台座の腰部には薬師の守り神である十二神将が三軀ずつ精緻に浮き彫りにされています。円形の頭光には7軀の七仏薬師坐像が…。「このサイズでこの精巧さ、すごいですね」と、編集長。しかも白檀の素地の上には微細な金箔を組み合わせる截金がほどこされています。「ほんとだ。言われてみれば台座の十二神将にまで金箔の模様がある!すごいなあ」と、ケンケン。日本の彫刻はだいたいヒノキですが、白檀は年輪がないので緻密な表現が出来るだそう。これが発見されたのがおよそ30年前です。翌年には重要文化財、翌々年には国宝になりました。「京都の国宝展で出品されたときは人が群がり過ぎて見られなかった」と、編集長。「ここでもすごい列です。閉館時間になってもここに座ったきり、ガードマンが閉館ですと告げても離れない人がいます(笑)」と、金崎師。「みんな見たいんだね。やっぱりこれは近くでこの微細な截金を見たいですよね」と、ケンケン。

第2章 修法の世界「曼荼羅は真ん中から見る?」

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密教の教えでは、修行者が仏と一体の境地に達する時、仏の知恵を悟り、その力(加持力)によって人々を救うと説かれています。その具体的なかたちとして、仏の力をもって現実世界に様々な影響を与える「修法」という儀式があるそうです。災いを除き、幸福をもたらすため、我が国では特に修法の力が密教に期待され、平安時代には国家的な行事として行われました。仁和寺は弘法大師空海を宗祖と仰ぎ、また創建以来皇室とのゆかりが深いことから、修法に関わる多くの名宝が伝えられています。

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国宝 両界曼荼羅(子島曼荼羅) 紺綾地金銀泥絵「金剛界」 平安時代 10〜11世紀 奈良・子島寺

こちらが俗に子島曼陀羅と言われている両界曼荼羅です。密教の世界観を多数の仏像群で表しています。「金剛界と胎蔵界という世界観を表している2点あり、胎蔵界曼荼羅は「大日経」というお経をもとに、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」というお経をもとに構成されています」と、丸山さん。真言密教では、修法の道場空間に金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を常備して、二つ一組で用います。「これを近くで見ていただくと、金泥と銀泥で綾の織り目が見えます。ほとんど金ですが、大きな丸の中に銀の小さい丸があります。酸化してしまっていますが、小さい丸の余白が銀泥です。最初は銀のほうが目立っていたと思うんですね」と、丸山さん。「だとしたら、最初は、すごくきらびやかだったんですね」と、ケンケン。「金剛界と世界観、どう違うんですか?」「うーん、どこから説明しようか(笑)」と、金崎師が困ると、「ああ、それぐらい大変なことなんだ(笑)」と、ケンケン。「ところで、曼陀羅ってどこから見ればいいんですか?順番はありますか?」と、編集長。金崎師が「真ん中、センターですね」。「あ、センターは大日如来だ。やっぱり真ん中に目が行っちゃいますね」と、ケンケン。曼荼羅を前にかれこれ10分。オーイ、皆さんこんなことでは仏像まで辿り着けませんよー。

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重要文化財 唐本曼荼羅図像(千臂軍荼利ほか) 紙本墨画 平安時代 12世紀 仁和寺

「これはわかりやすく言えば仏さんの設計図です。単独の像ではなく、曼荼羅として構成されたものに関する作例です」と、丸山さん。「いろんなお経のバリエーションがあって、同じ仏さんでもお経によってはデザインが違うんです。それを条件に合わせて設計図を描いています。仏像の絵を書込んだり、色を書き込んでいたりもします。メモのようなもので、形が大事なんです」と、金崎師。「そうか、そういうものがないと描けないですよね」と、ケンケン。「なるほど…この設計図は解説していただかないと、3回観に来たけど、何気にふわっと見過ごしていました(笑)」と、編集長。

【中編】 「そこは仏像男子、垂涎の空間!!」へ続きます!

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