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2025.01.06

北斎や広重が描いた浮世絵「風景画」とは?世界が注目した作品も紹介!

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美しい風景画を見ると、その場所を訪れてみたくなりますよね。江戸時代の人々も見たこともない景色の名所絵を見て、旅心を掻き立てられていました。今回は世界にも影響を与えた浮世絵の風景画をご紹介します。

西洋の技法を取り入れた風景画に繋がる浮絵の誕生

美人画、役者絵と並ぶ浮世絵の3大テーマの一つが、名所絵と呼ばれた風景画です。昔から描かれていた風景画ですが、浮世絵版画としては、美人画や役者絵より、ずっと後にブレイクすることになります。そのきっかけの一つとなるのが、18世紀前期に、西洋から透視図法、いわゆる遠近法が伝わり、今までの絵とは違う、空間の奥行きまでを描く浮絵(うきえ)が登場したことでした。これを生み出したのが、奥村政信(おくむらまさのぶ)です。元禄期(1688~1704)から錦絵が登場するまでの60年間、浮世絵の創成期を築いてきたうちの一人でした。浮絵を創生したことで、奥行のある絵が描かれるようになり、その後、西洋を真似た銅版画も江戸で作られるようになり、その技法を浮世絵版画に取り入れるようになります。

『新吉原大門口中之町浮絵根元』奥村政信筆  江戸時代 18世紀 横大判 漆絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

庶民の旅への憧れが高まり、風景画が大ヒットとなる

1780(安永9)年に発行された京都の名所を紹介する「都名所図会(みやこめいしょずえ)」を機に、有名な寺社や名所旧蹟、伝説・風俗や名物に至るまで、幅広い内容を取り上げた、まさに現代でいうガイドブックが登場します。これらがたちまちベストセラーとなり、「東海道名所図会」「江戸名所図会」が発行されます。文章と挿絵で作られた名所図会が売れたことで、風景画の挿絵を描く浮世絵師にも注目が集まります。さらに、伊勢参りなど庶民の旅行ブームで、名所への関心が高まり、名所絵は浮世絵の一つのジャンルへと成長を遂げたのです。そのブームのトップに立ったのが、後に『富嶽三十六景』を描いた葛飾北斎と『東海道五十三次』を描いた歌川広重でした。

『冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏』葛飾北斎 江戸時代 19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

『冨嶽三十六景』を描いた葛飾北斎。作品と人物像を徹底解説!

技法だけでなく、北斎ブルーが世の中を席巻

現代の日本人も、日本の絶景を聞かれたら、最初に上げるのが富士山ではないでしょうか。最近では、パスポートの査証ページにも、『富嶽三十六景』が採用され、話題となりました。江戸時代までは富士信仰も強く、庶民にとっては畏敬の念を抱いた憧れの地でもあったのです。

『冨嶽三十六景・凱風快晴』葛飾北斎 江戸時代 19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

北斎は、狂歌(きょうか)※1 や読本(よみほん)※2 の挿絵などで、すでに30代後半から人気を得ていましたが、大ブームを巻き起こしたのは、文政3(1820)年から天保4(1833)年まで為一(いいつ)と名乗っていた時代です。この頃に描かれたのが『富嶽三十六景』です。富士山をさまざまな地域、角度から描いた46図からなる錦絵は、北斎の代表作となりました。

ここがスゴイ!葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」5つの見どころ

この錦絵の特徴は、輸入人工顔料、プルシアン・ブルー、いわゆるべろ藍を使ったことです。版画とは思えない色鮮やかなブルーと大胆な構図の浮世絵は、人々に大きな衝撃を与えました。この時、すでに北斎は70歳を超えていましたが、絵に対する情熱は衰えることがなかったのでしょう。

※1 江戸時代に流行した古典和歌の形式のなかに、風俗や滑稽 (こっけい) を詠み込んだもの ※2 江戸時代の小説の一つで、挿絵が少ない読み物中心の本

『冨嶽三十六景・御厩川岸より両国橋夕陽見』葛飾北斎 江戸時代 19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

日本美術の革新!若冲と北斎を変えた魔法の色「ベロ藍」とは?

現代にも生き続ける広重の日本の美を捉えた東海道五十三次

江戸と京都を結ぶ大動脈といえば東海道でしたが、庶民にとっても憧れの旅路となります。宿場町ごとに描いた歌川広重の『東海道五十三次』は、江戸・日本橋に始まり、京都・三条大橋までの計55点からなる風景画のシリーズ作品です。

浮世絵「東海道五十三次(歌川広重)」解説!旅気分で鑑賞

今までの風景画と大きく異なっていたのは、風景を描いただけでなく、その町の風俗や暮らしぶりを季節と共に映し出したことにあります。さらに驚くべきは、遠近法を使った奥行きのある空間や巧みな構図などの画力です。四季だけでなく、雨や雪といった自然現象も描き、叙情的であり、日本人の心象風景とも重なって、大ヒットとなりました。

『東都名所・亀戸天満宮境内雪』歌川広重 江戸時代・19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

浮世絵師の中で、最も多くの錦絵を描いたといわれる広重ですが、60歳になると、生まれ育った江戸の風情を熟練の腕で描いていきます。それが「江戸名所百景」です。これが最後の遺作となるのですが、3年の間に描きあげた枚数は118枚にも及びました。まさに渾身の作品といえます。雨を描くことでも有名ですが、突然の夕立ちを描いた『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』は、雨を濃淡の線だけで表現し、今にも動き出しそうなほどリアルな錦絵となっています。

『名所江戸百景・大はしあたけの夕立」 歌川広重 横大判錦絵 江戸時代・安政4(1857)年 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

歌川広重、風景画の名作には秘密があった!

日本人の情緒に触れる旅の原点は風景画にあり

「東海道五十三次」で押しも押されもせぬ第一級の絵師となった広重は、その後も「近江八景」「京都名所』「浪花名所図会」や「箱根七湯図絵」など、まさに主要観光地の風景画を次々と発表していきます。広重の描いた諸国名所は、その後の日本人にとって、旅の原点となり、多大な影響を与えました。現在でも広告のポスターや商品のデザインに使用されるほど、日本人の心に深く浸透しているといえるのです。

『東海道五拾三次之内・江尻 三保遠望』歌川広重 江戸時代・19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

二人は良きライバルとして、日本の浮世絵を世界に知らしめた

広重の風景画に刺激を受けた北斎は、「東海道五十三次」に負けぬよう「諸国瀧廻り」や「諸国名橋奇覧」などを発表します。37歳も年の離れた二人でしたが、お互いを認め合うライバルのような存在でもあったのです。その後、北斎は、肉筆画に力を注ぐようになり、90歳で画狂と言われた人生を終えます。一方の広重は、最盛期の62歳で感染症にかかり亡くなってしまいます。しかし、二人の天才が生み出した浮世絵は、ゴッホをはじめ、海外の芸術家たちに大きな影響を及ぼし、今も多くの人々の心をときめかせているのです。

葛飾北斎と歌川広重、二人の世界的浮世絵師のライバル物語

参考文献:『浮世絵図鑑』 別冊太陽 安村正信・監修 『江戸浮世絵を読む』小林忠著 ちくま新書 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)

アイキャッチ画像:『冨嶽三十六景・凱風快晴』葛飾北斎 江戸時代 19世紀 横大判錦絵 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。