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2025.01.23

美人画・春画の名手、磯田湖龍斎とは?素顔の鉄拳が『べらぼう』で演じる絵師の人生

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いよいよ始まりましたNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜」。江戸の出版文化を花開かせた蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)ですが、歌麿や写楽を有名にした浮世絵師のプロデューサーとしても名を上げていました。

この蔦重から一目置かれていた浮世絵師が、磯田湖龍斎(いそだこりゅうさい)です。

磯田湖龍斎って誰だ?

大河ドラマでは、鉄拳が演じることでも話題となっています。とはいえ、北斎や歌麿のようにパッと想い浮かぶ浮世絵もありませんし、「磯田湖龍斎」という名前自体を聞いたことがないという人も多いのではないでしょうか。そもそも浮世絵師は、資料が少なく、生没年や出生地も定かでない場合が多いのです。湖龍斎も享保20(1735)年生まれで、本名が磯田正勝、通称は庄兵衛ということと、小川町に屋敷のあった土浦藩土屋家に仕え、浪人になったとされることぐらいしか伝わっていません。ただし、浮世絵はたくさん残っていることから、確かな技術を持った絵師であり、後の浮世絵師にも影響を与えていたことは間違いありません。

『雛形若菜の初模様・丁子屋内名山(ひいながたわかな はつもよう ちょうじやうちめいざん)』磯田湖龍斎 東京国立博物館 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

鈴木春信を師として、美人画を得意とした湖龍斎

明和年間(1764~72年)に一世を風靡した浮世絵師といえば、鈴木春信(すずきはるのぶ)でした。墨一色の墨摺絵(すみずりえ)や赤や緑など数色の紅摺絵(べにずりえ)から、多色刷りの錦絵が開発されると、春信の作品は錦絵の草創期を飾ることになります。また、細面のやさしい雰囲気のある、独自の女性像を描き、美人画浮世絵師としての地位を確かなものにしていきました。浪人から浮世絵師へ転身した湖龍斎は、この春信に大きな影響を受け、一時期、春の字を取って、春廣(はるひろ)と名乗っていたことからも、師弟関係にあったといわれてます。タッチや繊細な表情など、初期の頃は春信の浮世絵をそのまま踏襲していました。

『「風流七小町」シリーズより 小野小町 清水寺参り』磯田湖龍斎 シカゴ美術館

今ならファッショングラビア? 100枚の美人画を描いた

江戸時代、浮世絵は今でいう人気スターのグラビアだったり、歌舞伎の宣伝用に描かれたり、相撲の番付表に添えられたりと、さまざまな役目をになっていました。

安永4~5(1775~1776)年から天明初年の間に発行された「雛形若菜の初模様(ひいながたわかなのはつもよう)」もその一つで、高級遊女が新年に衣装を新調することに目を付け、装いを描かせたものです。なお『若菜の初模様』は正月に初めて着る着物の柄、『雛形』は見本帳の意味でした。これを発行したのが、地本問屋(じほんどんや)の西村屋与八(にしむらやよはち)で、白羽の矢が立ったのが美人画が得意な湖龍斎でした。吉原に通じていた蔦重がアイディアを出し、描く遊女を調整するなど、仲介役を務めたといわれています。着物の柄や髪飾りなどの装いを詳しく描くことで、憧れた女性たちが着物の柄や飾りを真似するようになります。まさに今でいう広告の役目を果たしていたのです。スポンサーとなるのは呉服屋で、こういった浮世絵が100枚以上描かれた大規模なシリーズでした。

『雛形若菜の初模様・扇屋内七越(ひいながたわかなのはつもよう おうぎやうちななこし)』磯田湖龍斎 東京国立博物館 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

吉原人気から春画の名手として知られた

吉原の遊女を描くうちに、湖龍斎は秘画、いわゆる春画を描き、その名手としても名を馳せていきます。春信も春画を描いていましたが、この分野においては弟子の湖龍斎の方が上回っていたのか、たくさんの春画が残されています。また、この時代、家の柱に浮世絵を飾るブームが起きます。これは横約12~13㎝、縦約70㎝の判型のもので、「柱絵」と呼ばれました。鳥居清長らも柱絵の美人画をたくさん描いていましたが、湖龍斎もこの柱絵でも注目されていました。

「位」を与えられた浮世絵師

浮世絵に関しては、師匠の春信を超える評価を受けることはできませんでしたが、天明2(1782)年、浮世絵師としては異例の「法橋(ほっきょう)」という位を与えられます。これはもともと、僧侶に与えられる僧位の三番目のものでしたが、中世以降、医師や仏師に与えられるようになり、その後、大名お抱えの絵師などにも与えられた称号でした。この頃になると、版画ではなく、肉筆画を数多く描くようになっており、地位のある権力者たちから依頼を受けるなどしていたようです。メトロポリタン美術館やシカゴ美術館など、海外の有名な美術館にも湖龍斎の浮世絵は所蔵されており、その実力は日本以上に海外でも認められていました。あまりに有名な師匠を持ってしまった故なのか、歴史の中に埋もれてしまった浮世絵師でしたが、今回の大河ドラマを機に、注目されていくかもしれません。

参考文献:『蔦屋重三郎と江戸のアートがわかる本』歴史の謎を探る会編 河出書房新社/『湖龍斎』大判錦秘画帖『色道取組(しきどうとっくみ)十二番(じゅうにつがい)』リチャード・レイン編・著 河出書房新社/『絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ』 鈴木俊幸著 平凡社/日本大百科全書(ニッポニカ)小学館、デジタル大辞泉

アイキャッチ画像 『雛形若菜の初模様・丁子屋内名山(ひいながたわかな はつもよう ちょうじやうちめいざん)』磯田湖龍斎 東京国立博物館 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。