「なんだこの展覧会名は・・・。」
浮世絵と土木・・・。太田記念美術館で最初にパンフレットを手にした時、この異質すぎる言葉の組み合わせの響きにあっけにとられました。浮世絵と言えば、美人画や役者絵など美男美女を描いて発展してきたジャンルですよね。「土木」という「たくましさ」や「力強さ」をイメージさせるキーワードと浮世絵の組み合わせは、なかなか想像しづらいものがあります。
調べてみると、本展「江戸の土木」では、橋やダム、水路、城郭や町作りなど、浮世絵の中に描かれた江戸の土木構造物を約70点の展示で特集しているのだとか・・・。これは凄い!これまで数多く開催されてきた浮世絵の展覧会の中でも、江戸時代の「土木」をテーマとして大々的に特集した展覧会はほとんどないのではないでしょうか?!
この「江戸の土木」という不思議なテーマの展覧会、一体どんな展示になるのだろう、と凄く興味が湧いてしまいました。そこで、せっかくなので思い切って本展を企画・監修した同館の上席学芸員・渡邉晃(わたなべあきら)さんに詳しく伺ってみることにしました!
一風変わったテーマの展覧会「江戸の土木」を開催しようと思った理由とは?
— 早速ですが、本展「江戸の土木」のようなユニークな企画はどうやって考えついたのですか?
渡邉:現在、浮世絵を持って街を歩くというツアーを定期的に開催していますが、その過程で江戸の地理に興味を抱くようになったんです。当館でも、江戸の地理を特集した展覧会をここ数年何度か企画頂いていて、例えば「大江戸クルージング」(2017)という水辺をテーマとした展覧会や、「江戸の凹凸」(2019)といった展覧会をやりました。
— 雑誌『東京人』とのコラボ企画みたいな感じで実施されているんですよね?
渡邉:そうなんです。今回、また新たに地理ネタで何かありませんか、と『東京人』の編集担当・田中さんに少しご相談したら、『土木、今来てますよ』といった話がありまして。確かに、ここ最近『東京人』の誌面では東京スリバチ学会や暗渠(あんきょ)マニア、境界線を辿るのが好きな境界協会など、非常にコアな地理系のファンの方たちが特集に登場していますよね。
渡邉:その中で、地理好きの人たちはダムや橋など巨大な土木構造物に詳しかったり、好きだったりする人が多いことに気付いたんです。そこで、この「土木」を次の展覧会のテーマにしてみようかなと思い立ちました。
— 土木は、いわゆる美人画や役者絵と違って、作品を集める上で様々なご苦労などがあったのではないでしょうか?
渡邉:そうですね。第一に私は土木の専門家ではないので(笑)。だから、企画にあたっては、土木への興味の入り口を紹介するというスタンスで臨みました。まず、楽しく浮世絵を見てもらうための切り口として、土木的な内容の作品を分類展示することで、土木の基礎知識に親しんで頂いたり、土木って面白そうだなと思ってもらえればいいかな、という感じで考えていました。その一方で、土木好きの人たちには逆に浮世絵の面白さや魅力を知ってもらいたいという思いもあります。要するに、「浮世絵」ファンと「土木」ファンの中間的な立場に立った展示になっているんです。
— 2つのジャンルをつなぐような展示なのですね?!
渡邉:そうです。なので、細かいところでここが違うんじゃないの?!などマニアの方に突っ込まれる点があるかもしれないのですが(笑)、そこはご容赦頂いて、できるだけふわっと土木の面白さを紹介する入り口にできればいいなと思っています。
浮世絵に描かれた土木を観るならまずは「橋」をチェック!
— 展示スペースのかなりの部分を占めているのが「橋」を描いた作品ですよね。これはなぜなのですか?
渡邉:江戸の土木を描いた作品の中で、一番華やかで存在感があるのが橋だからです。名作も多数残っています。水路や埋立地とは違って、形がちゃんとあるものなので、外観のデザインや美しさを愛でることができますよね。現代だと、ダムなんかもそうですよね。純粋に水を貯めるという用途の他に、その独特なフォルムの美しさを鑑賞する楽しみもありますから。
橋は、形の面白さや美しさを楽しめるという点で、浮世絵にした時に非常にわかりやすい存在なんです。デザインが美しいから絵になるのですね。もちろん、江戸庶民の生活に根ざした実用的な土木構造物でもあり、川を隔てて道路と道路をつなぐ交通の要所でもあります。だから、江戸の人々に親しまれる地域のランドマークになっていくんです。それは町の浮世絵師にとっても同様だったと思います。だから、彼らも想い入れを込めて優れた作品を残していったのでしょうね。
— 橋と言えば、両国橋の花火・・・がすぐに思いつくのですが、浮世絵では隅田川にかかる橋が多く描かれているのですか?
渡邉:江戸時代、隅田川には両国橋(りょうごくばし)、千住大橋(せんじゅおおはし)、永代橋(えいたいばし)、吾妻橋(あずまばし)、新大橋(しんおおはし)と5つの橋がかかっていました。橋の規模が非常に大きくて絵になるので、作品も非常に多く残っています。
— 「江戸の橋のここを見ろ!」といったようなオススメのポイントがあれば教えて頂けますか?
渡邉:江戸時代の橋を見ると、構造は共通していてどれも似ています。だから、橋だけに着目するのではなく、周囲の風景とセットで楽しむのがオススメです。たとえば、両国だったら花火や様々な屋台と一緒に描かれていたりとか。また、橋は交通の要衝であり、庶民の憩いの場でもあったので、たくさんの人物が描かれています。絵の中の群像表現に着目するのも面白いかもしれませんね。
もう1点挙げるならば、絵師別に、橋がどう描かれているかそれぞれの絵師ごとの特徴を見比べてみるのも面白いですね。風景画の中に橋が描かれるというパターンが多いので、一つ見比べてみるのであれば、風景画の二大巨匠である葛飾北斎と歌川広重を比較してみるといいと思います。
— 二人の作品では、橋の描き方なども違うのでしょうか?
渡邉:広重は、橋をサラッと描くというか。一つの絵の中で、全体の風景に馴染む感じで橋を描くことが多いですね。それに対して、北斎は橋の形を写実的にしっかり描く傾向にあります。おそらく橋の構造そのものに凄く興味があったのではないでしょうか。
渡邉:たとえば、深川万年橋の下の絵があるんですけど、これなどはきっちり構造を描こうとしているなという感じがしますよね。コレクターの方に見せて頂いた明治の古写真と比較しても、実物に非常に似ていて、しっかり描いていることがわかります。
— そういう意味では、北斎が亀戸天神の太鼓橋を描いた作品は面白いですね。
渡邉:これは今もあるんですけど、当時からめちゃくちゃアーチがきつかったらしいんです。滑って転んでしまうぐらいの。
— これは危ないですよね・・・。うっかり足を滑らせたら大怪我しそうです(笑)。
渡邉:そうなんです。結構危ない橋なのですが、実はこれも古写真と照合してみると、実物もこれくらい険しいアーチだったようで、北斎はここでも実景をリアルにスケッチしているのだなということがわかってきたんです。
東洋のヴェネツィアと呼ばれた江戸では土木も「水」が主役!
— ここまで色々橋について伺ってきましたが、それ以外の土木を描いた浮世絵ではどのような作品がありますか?
渡邉:やっぱり水路や貯水池といった「水」に関する土木構造物が目立ちますね。
— なぜ、江戸では「水」に関する土木が特に発展したのでしょうか?
渡邉:そもそも江戸は、1590年に家康が移住した当初は、入り江が入り組んだ海辺の農村でした。城下に武士や町民など何十万人も暮らせるようなインフラは全くなかったんです。だから、1600年代の後半まで、ひたすら小島や湿地帯などいろいろなところを埋め立て、飲水や生活用水、塩などを確保するために水路を引き、貯水池や堰(せき)を作って・・・といった大規模な工事を繰り返していきました。
— ダムみたいな構造物もあったのですね?!
渡邉:そうですね。水源を確保するため、九段牛ヶ淵(くだんうしがふち)という、九段坂のところに深い堀も掘削されました。ここには湧き水が出ていたので、これをダムのようにしてせき止めて水を貯めていました。これは今でも現存しています。
— ダイナミックな滝のようになっている貯水池もありますよね。
渡邉:溜池ですね。現在では完全に埋め立てられてなくなってしまったのですが、もともとはここも貯水池として作られ、ここから流れ出た水が外堀に取り込まれていました。この溜池と似たような雰囲気で今も現存しているのが、千鳥ヶ淵と九段牛ヶ淵ですね。「淵」という名前がついた場所は、深く水がたまったところ、つまり今で言うところのダムのような仕組みを意味しています。
— また、江戸の上水道では、神田上水や玉川上水などが有名ですよね。こうした上水を描いた作品も残っているんですか?
渡邉:二つともあります。こちらも桜並木など、映える風景と一緒に描かれていますね。こうした水が流れている景色は、周囲の風景と合わせると美しい絵になりやすいですよね。たとえば、上の絵での主役は「芭蕉庵」という当時の名所だった建物です。これがまず主要なモチーフとして描かれ、その横に流れる神田上水は、どちらかといえば主題を引き立てるための風景の一部として描かれているのですね。
町ごと移転?!大胆なまちづくりの痕跡も浮世絵で確認できる!
— 本展では、橋や埋立地、水路といった「水」のある風景に加えて、「再開発」をテーマとしてピックアップされていますよね。これはなぜなのですか?
渡邉:最近、東京都心では渋谷や虎ノ門、大手町など各所でエリア開発が盛んに行われていますよね。区画を整理して複合商業施設を作ったり、近隣の古い建物を一斉に取り壊して再開発したり。でも、これってよくよく考えると江戸時代から盛んに行われていたんですよね。
— 例えばどういったケースがありますか?
渡邉:有名なのは遊郭が集まっていた吉原です。吉原って、もともとは今の人形町の近くにあったんです。それが、1657年に起こった「明暦の大火」(めいれきのたいか)で焼けてしまったことをきっかけに、幕府の都市計画の一環として、有力な寺社などと共に郊外へと移転させられてしまいます。その新たな移転地が、浅草寺の北でした。
— これを見ると、町ごと田畑の真ん中にどーんと移転してきたような感じですよね。
渡邉:そうです。幕府としては外へ外へと移動させたいんですよね。それで、大火事からの復興工事をきっかけとして、江戸の周縁部に新しい用地を与えてそこに街ごと引っ越しをさせた。それって、一種の再開発みたいなものですよね。
— 吉原の他にも大規模な移転・再開発はあったんですか?
渡邉:同じく、「天保の改革」で有名な水野忠邦が老中として登場した時代、芝居小屋もまとめて浅草や吉原の近くにあった猿若町(さるわかちょう)というところに移転させられました。もともとは人形町に中村座・市村座、木挽町(現在の東銀座のあたり)に森田座(当時は控櫓の河原崎座)と、「江戸三座」と呼ばれた有名な3つの劇場があったのですが、中村座・市村座が火事で焼けたことをきっかけに、3座とも移転が決定されました。
— よく簡単に移転できましたよね。
渡邉:今でこそ東京は郊外まで都会の風景が広がっていますが、江戸時代は、江戸から外れるとすぐに田園風景に変わるんですよね。古地図を見てみると、浅草よりも北にはもう街がありませんでしたから。街外れと農村の境界部分なら、再開発用の土地もまだまだ豊富に残されていたのでしょう。
— ということは、この広重が描いた猿若町の様子を見ると、いかにも典型的な江戸庶民の暮らした街並みに見えてしまうのですが、実は広重はニュータウンを描いていたという・・・。
渡邉:そうですね。これが描かれたのは移転してから10数年ぐらい後のことでした。街が出来上がり、人々がちょうど馴染み始めた頃を描いているんです。
浮世絵師も忖度した?!江戸城が浮世絵でほとんど描かれない不思議
— ここまで見てきて不思議なのは、江戸の象徴でもある「江戸城」を大々的に描いた浮世絵をあまり見かけないことなんですよね。たまに展覧会などで見つけても、小さく控えめに描かれているだけだったり・・・。
渡邉:たとえばこの作品などは、日本橋とセットで江戸城と富士山が描かれています。でも、やっぱり小さいんですよね。もっとも、本作で描かれている江戸城は、天守ではなく三層の櫓(やぐら)の部分なんです。天守は先述した明暦の大火で焼け落ちて以来再建されなかったので、江戸の庶民は残された櫓を天守の代わりのように親しんでいたそうです。でも、それにしてもちょっと小さすぎますよね。浮世絵だと申し訳程度にちらっと描かれるというケースが多くて、やっぱり何か憚っていたのだろうということは推測されています。
— お寺や神社などが大きく、リアルに描かれているのとは対照的ですよね。
渡邉:そうなんですよ。大規模な建築物は土木的な要素も含まれてくるので、有力な寺社を描いた浮世絵作品は本展での展示対象にしているのですが、これなんかは遠慮せずに細部の構造まで詳しく描かれていますよね。
— まさに、江戸城とは対照的な描きっぷりですよね。
渡邉:あくまで想像の範囲内ではあるんです。でも、これだけ描かれていないのは、なにか描きにくかったのだろうなと思われます。大名屋敷など同様にあまり描かれていないので、やっぱり身分の高い人の建物っていうのはそんなに一介の町絵師である浮世絵師には気軽に描けるものではなかったのかなと思います。
— 大建築でちょっと面白いものってありますか?
渡邉:三井越後屋なんかは面白いですよね。間口がそれぞれ約63mと約39mもあったというので。今だったら、ビルですごく上に伸ばしていくのでしょうけど、当時はどんどん横へ横へと延ばすしかない。それで、敷地面積がものすごく広くなってしまうんですよね。
— 町家だと、せいぜい2階建てまでなんですね。
渡邉:そうですね。でも、お店の中を描いた作品などを見ると、結構天井が高かったのだなというのがわかって面白いです。浮世絵を丁寧に紐解いていくと、こうした町家の大きな建築物などの構造もわかってくるんですよ。
渡邉学芸員がオススメする「江戸の土木展」で絶対見たい5つの浮世絵作品
ここまで、展覧会の見どころとともに、展示作品を見ながら江戸の土木や大建築の鑑賞法や意外な事実などをお伺いしてきました。ここからは、本展に出展される約70点の浮世絵の中から、渡邉学芸員に「これだけは外せない」というお気に入りのベスト5作品を選んでいただきました。順番に紹介していきたいと思います。
1.歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
浮世絵ファンがもっと「土木」を描いた作品を楽しむのなら、どの作品が一番オススメですか?と渡邉学芸員にお聞きした時、真っ先にオススメ頂いたのが江戸を描き尽くした歌川広重の代表作『名所江戸百景』シリーズでした。本作「大はしあたけの夕立」は印象派の巨匠・ゴッホが模写し、歴史や美術の教科書にも掲載される名作中の名作。
灰色の雲が立ち込め、ゴーッという轟音が聞こえてきそうなくらい土砂降りの夕立の中、橋の上を行き交う人々が描かれます。庶民のランドマークとして愛されてきた新大橋を舞台に、夏の夕方を象徴するような叙情的な場面を描いた傑作です。なお、昭和52年に鋼鉄製の斜張橋として架け直された現在の新大橋でも、主塔下部に本作のレリーフが埋め込まれています。聖地巡礼にぜひ!
2.昇亭北寿「東都御茶之水風景」
葛飾北斎の弟子、昇亭北寿(しょうていほくじゅ)が描いた江戸時代の御茶ノ水~水道橋近辺の風景。
もともとここは、「神田山」と呼ばれていた小高い丘でした。伊達氏率いる仙台藩が山を切り開く大規模な土木工事を担当したため、当時は通称「仙台堀」とも呼ばれていたそうです。深い渓谷を流れる神田川には物資を運ぶ川船が行き交い、向こう正面にはお約束の富士山も見えますね。遠近法がなんだかちょっと変なのはご愛敬としても、この絵に描かれた地形からは200年後の現代の風景に通じるような確かな名残りを感じることができます。
この絵で注目したいのが、神田川の渓谷に渡されている「掛樋」(かけひ)という水道橋。人が渡る橋ではなく、このフタ付きの橋の中を水が流れていたのですね。
ちょうどこの絵に描かれた地点の約3km上流に遡った「関口」という場所で神田上水を二分し、一方は渓谷を流れる神田川を通じて隅田川へと流し、もう一方の支流はこの掛樋を通すことで江戸北東部の上水道として活用されました。同じ水源から分岐した水路が下流で再び出合い、高速道路のジャンクションのように上下で交差するという、水路マニアにはたまらない構図なのです。
約300年前に、地形の高低差を巧みに利用して、水路を立体交差させて制御するという高度な土木工事を手掛けた技術力には本当に感嘆させられます。
3.二代歌川国明「千住大橋吾妻橋 洪水落橋の図」
横浜浮世絵や錦絵新聞などが登場した幕末~明治期、報道メディア的な性格が強くなっていった浮世絵には、自然災害を描いた作品も残っています。本作は、1885年7月1日の台風による増水によって上流から流されてしまった千住大橋と吾妻橋の破片を片付けている場面を描いた非常に珍しい3枚続の作品。
江戸時代以来、約300年もの間風雪を耐え抜いた千住大橋が流されてしまっただけでなく、落橋して猛烈な勢いで下流に流された木材が吾妻橋の橋脚に直撃し、連鎖的に吾妻橋まで落橋してしまったという非常に珍しいエピソードのワンシーンを丹念に描き出した興味深い作品です。
4.歌川広重「東都名所 新吉原後丁目弥生花盛全図」
こちらは、隅田川の上空付近(?)へとドローンを飛ばして空の上から街全体を眺めたような、新吉原を描いた3枚続の俯瞰図。ちょっとした観光マップみたいな感じで、江戸のお土産品として重宝されたのでしょうか。
碁盤の目のように走る東西南北の通り沿いには、びっしりと遊郭の建物が並んでいます。街の東西を貫く大通りには、満開の桜が咲き誇っているのが印象的ですよね。毎年3月1日になると植木屋が桜の木を運び込んできてメインストリート沿いに植え込み、桜が散ってしまうと引き抜いて撤去しまったのだとか。3枚続きの一番右下には、吉原の街全体を囲む堀「お歯黒どぶ」もちらっと描かれているのが見えますね。
5.歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」
本作は、展覧会のエピローグを飾る1枚。
江戸時代、浮世絵が活発に作られた18~19世紀にかけて起こった最大の天災は、安政の大地震(1855年11月)です。この時、家屋の倒壊や大規模な火事など、江戸の市中は甚大な被害を受けたとされています。中でも有名な被害の一つとして、浅草寺の五重塔の先端部についている「九輪」(くりん)がぐにゃっと曲がってしまったという事件がありました。
この安政大地震の時、歌川広重はちょうど『名所江戸百景』シリーズを描いていた頃でした。
ここで注目したいのが本作「浅草金龍山」が出版されたタイミングです。本作は安政大地震の翌年、1856年7月に発表されているのですが、錦絵の中で描かれた九輪は、元通り真っ直ぐに修復されていますよね。記録では、その直前の5月に修復が終わったとされていますので、広重は修復後の五重塔を見て描いているのですね。
だから、本作はまさに災害からの復興を祝して記念に描かれたのではないか、と考えても良いのかもしれません。
そういえば、真夏に出版されているのに、作品では雪が降っている真冬の情景を描いているのも季節感が真逆で少し妙ですよね。一説には、五重塔の「朱」に対して、雪景色で「白」を表現することで、広重は復興をイメージさせる縁起のよい「紅白柄」を演出したかったのだという解釈もあるそうです。
今まで単に叙情的な雪景色だな、ぐらいにしか見ていなかったので、改めて浮世絵鑑賞の面白さや奥深さを感じることができた1枚でした。
浮世絵に描かれた「土木」によって江戸の街の歴史が見えてくる!
そういえば、渡邉学芸員は街歩きのプロでもあります。そこで、最後に浮世絵と実景を見比べながら街歩きを楽しむコツなどをお聞きしてみました。
渡邉:江戸から東京へと街が変わっていく過程で、関東大震災と東京大空襲という2度の大災害がありました。今はもう江戸時代のものはほとんど残っていないんです。実際、浮世絵や古地図を見ながら現地に行ってみると、全然残っていないじゃん・・・。ということもよくあるわけです。
そんな時こそオススメなのが、数少ない痕跡を辿りながら当時の様子を想像してみることなんです。例えば、御茶ノ水付近の風景を比べてみると、建物は残っていませんが、地形はそのまま残っていますよね。だから、地形から江戸時代の姿を思い浮かべたりすることができたりするわけですよね。そういう意味で、浮世絵に残された土木的なものを辿る街歩きは、想像を働かせて楽しむという面白さがありますよね。
最後に、意外なコメントを渡邉学芸員からいただきました。
渡邉:実は、広重や北斎が浮世絵の中に描いた土木建造物は、ほとんどがリアルタイムのものではないんですよ。
えっ、リアルタイムじゃないってどういうことなのでしょう?
渡邉:本展では、隅田川の橋をはじめ、土地の埋立てや水路整備、新吉原の街づくりなど様々なテーマを取り上げていますが、実はこれらの工事の大部分は江戸の前期、1600年代に終わってしまっているんです。だから、北斎や広重もまた、(一部を除いて)江戸前期の大規模な土木事業をありのままの姿で描いているわけではないんです。
なるほど。すると北斎や広重もまた、現代の我々が街歩きを楽しむのと同じように、江戸が猛烈な勢いで変わっていった100~150年前の街の姿を想像しながら浮世絵を描いていたのかもしれませんね。こうした北斎や広重が働かせたイマジネーションを感じながら鑑賞すると、展覧会をもっと面白く見られるかもしれませんね!
展覧会基本情報
展覧会名:「江戸の土木」
場所:太田記念美術館(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10)
会期:2020年10月10日(土)~11月8日(日)
公式HP:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/doboku